正しさに欠かせないものがあるとしたら、それは何だと思いますか?おそらくその答えを聞けば、そんなこと解り切ったことじゃない?って思われるかもしれないけど。正しさに欠かせないものとしたら制限や枠組み。
上部の写真は北海道登別の大湯沼付近の川です。
上の写真の中央をよく見ると湯気が立っているのが観えますよね?
あれねぇ!「水しぶき」じゃあないんです。
「温かい温泉」が流れてるんですよ!
こんな感じで川に入ると
天然の足湯。
なかなかいいもんです!
天然なので足の裏の感触が人工のものとはかなり違う。
よく観ると川の色がちょっと白く濁っているのがわかりますよね。
河原に温泉があるのはよく見かけますが、
温泉が流れてくる川ってのは、なかなか観られない。
この時はかなり衝撃をうけました。
(今日の記事はインスピレーションを元にしてます。ですから真実や叡智のエッセンスが書かれているかもしれないなんて構えずに。この内容から何らかの刺激を受けることで、みなさんの内面になにが湧いてくるのか?そちらの方が、きっと意味深いものになるのではないかと思ってます。)
正しさには欠かせないものがあるとしたら。
それは何だと思いますか?
おそらくその答えを聞けば、
そんなこと解り切ったことじゃない?
って思われるかもしれないけど。
正しさに欠かせないものがあるとしたらそれは
制限とか枠組みというもの。
制限や枠組みといった条件がなかったら
正しさって存在できませんよね。
なぜなら
正しさは、限界を作ることでできている
からです。
もしある出来事を体験した後に、
このようなことをしみじみと実感して、
気づきや深い洞察を得たなら
正しさという観念そのものが
制限的なビリーフであり
メンタルブロックだ
ということもわかってくるかもしれません。
もし仮にそうだとしても、
自由を犠牲にするからといって、
それを解消してしまっていいのでしょうか?
背筋を伸ばして、
深い呼吸をして、
穏やかさや敬意や感謝の感覚を抱きながら
ハートの中心に意識を向けて
このような問いを内面に投げかけた時
どのような気づきやインスピレーションが
湧いてくるのでしょう?
そして自分にそっと問いかけます。
自分にとってこの「正しさ」というものが、
内面の深いところで、どのような感覚を呼び起こしているだろう?
どのような「反応」がそこにあるのだろう?
「感情」と呼べる感覚の手前には、
どのような体感覚があるだろう?
その感覚に、敬意を払ってつながってみたら、
どんな気づきが生まれるのでしょうか?
今日もさらに可能性が広がる1日を創造しましょう。
4年前に、こんな記事も書いてました。
関連記事:あらゆるビリーフはリソースである。(2015.02.21)
当時、NLPの大御所クリスティーナ・ホールズ先生の講座を受けていて、そのときの先生のひとこと。
それまで多くのセッションをしてきて私も実感していたことではありましたが、やはり長い間セッションワークをしている人なら同じように体験するものなのでしょうね。
東洋哲学の根幹の部分でも「自然に産まれるものに無駄なものはない」と言われていますから(^-^)
感性行動研究所主催の瞑想会や講座にご参加のみなさんは、毎月恒例の満月の遠隔ヒーリングに参加できます。
先日のスーパームーンの遠隔ヒーリングにご参加の小坂里美(仮名)さんよりこのようなご感想をいただいております。
ご感想ありがとうございます。
そうですね。
そういう抵抗というか邪魔はときどきあったりするものです。
それでも内観する作業を繰り返していれば、器ができていくのできっとそのようになっていくのでしょう。
ご参加ありがとうございます。
公式ホームページは、7年前に制作したものです。
したがいまして、今の私とは随分かけ離れた印象をお受けになるかもしれません。
現在このブログを今の私とのかけはしの場として公式ホームページは瞑想会やイベント受付用としております。
そのうちリニューアルするとは思いますが、それまでご了承のほどよろしくお願いいたします。
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