「はぁあ!? 僕だってやろうと思えば女らしく振舞えるわボケ!」
 と、啖呵を切ってしまったのは数分前の事。
 伯父がキモオタ丸出しで、久しぶりに会った桜ばかりを褒めるものだから、売り言葉に買い言葉でつい口走ってしまった言葉だった。
 丁度最近、クラスメイトに同じような罵倒をされたばかりだったから、伯父が冗談で言っているのは分かっていたけどついムキになってしまった。大反省。
 そして面白がった伯父と桜に、今日は女らしく振舞うという約束をさせられて、現在進行形で桜が僕でも着られそうな服を見繕っているところだ。
 あんなこと、軽率に口に出すんじゃなかった……。
「うーん、奏夜は背が高いから、パンツはわたしのじゃサイズが合わないし、スカートかな! こういう色も似合うと思うんだよね」
「やだ……やだ……」
「トップスは奏夜が前着てた白いシャツとかにして、うん、こんな感じかな」
 当事者の僕を置き去りに、準備が着々と進んでいく。
 あーあ、もうどうにでもなーれ。

 桜に好き勝手弄られて、まるで別人のような顔面が出来上がった。鏡の中の自分に誰だお前と言ってしまいそうになる。
 服装もすでに女らしいものに着替えているので、覚悟を決めて部屋を出た。階段を下り、リビングで待つ伯父の元に向かう。
 こうなったら度肝抜いてやるから覚悟しろよ。
 扉を開けると、テレビを見ていた伯父から声がかけられた。
「お、奏夜は大変身出来たのか?」
「ええ、おかげさまで」
 声を聞いて振り返った伯父が、途端に挙動不審になる。僕だと認識出来ていないらしい。
「え? え、っと……どちら様?」
「もう、伯父さんったら、こーんなに可愛い姪の顔を忘れてしまったの?」
 いっそのこと突き抜けて演じてやろうと思って、アニメを思い出しながら精いっぱいの可愛いポーズをかます。
 があああ、鳥肌が!
「音依路さん。この子、奏夜ですよ!」
「そッ!? おま、全然顔が違うじゃないか! 詐欺だ!」
「ぼ……私でも女らしく振舞えるって、信じて貰えた?」
 まあ、詐欺顔面の補正がなかったら気持ち悪いだけだっただろうけど。僕の元々の顔から、可愛らしい顔面を作り上げられる桜のメイク技術すごいな。
 わざとらしく伯父さんの側に近寄れば、僕だと分かっているはずなのに奇声を上げて飛びのく。あはは、面白い。
 途中からは羞恥心も忘れて、女慣れしてなさすぎる伯父をからかって遊んだ。

 しばらくして帰宅したおかーさんとおとーさんに、その姿を見られて顔から火が出る思いをした。ばち当たった。


――
―――
奏夜のなんでもない一日の小話。
書きたいところだけ書いた。リハビリ。

 

 

「肝試し?」

「そう。せっかくならクラス全員でやりたいから、|椛《もみじ》さんも参加してほしいのだけれど」

 昼休み、珍しく委員長が話しかけてきた。

 受験勉強の息抜きにと、カースト上位の面々が肝試しを企画しているのは知っていた。なにせ大声で話していたから、教室にいるだけで聞こえてくる。

 僕には関係のない話だと思っていたんだけど、クラス全員参加なんてことになってたのか。みんなどんだけ息抜きを欲してんだよ。

 でも、肝試し、ねぇ。

「ごめん、誘ってくれるのはありがたいんだけど……」

「それじゃ困るの!」

 机にバン、と手を付いて声を荒げる。どうした委員長。

 驚いて呆然と見上げれば、きまり悪そうに咳ばらいをして、彼女は言葉を続けた。

「大きな声を出してごめんなさい。でも、そんなこと言わずに参加してくれないかな。中学を卒業したら、皆ばらばらの高校に行く事になってしまうでしょ? 最後の思い出作りだと思って」

 なんだ、やけに食い下がるな。いくら中学最後の思い出作りだからって、クラスでほとんど空気な僕一人の参加が重要だとは思えないんだけど。

 何が委員長をそこまで突き動かすのか。探るように眼鏡の奥の目をジッと見つめた。

 彼女は怯んだように目を逸らす。その時、横目で|何か《圏》を見た。

 ――ああ、そういう。

 委員長が見た先には数人の男女と楽しそうに話す桜がいて、その瞬間、僕は全てを理解した。

 つまり、桜が肝試しに参加する交換条件を出したのだろう。僕が参加するなら自分も参加する、といったような。

 だから委員長もこんなに必死になって僕を誘っているわけだ。そりゃあ、桜の参加がかかっているとなれば一大事だわな。

 しかしあいつ、ほんっとにいい性格してんな。僕が肝試しやら幽霊やら、そういうのを苦手にしていると誰より知っているくせにそういう事すんのか。ド鬼畜じゃねえか。

「椛さん、お願い!」

「……はー。分かった。じゃあ参加ってことにしておいて」

「よかった! それじゃあ来週の土曜日、十九時までに旧校舎集合ね」

 ほっとしたような表情の委員長は眼鏡の位置をくいっと直し、嬉々として桜の元へ向かった。ほら見ろ。

 さて、と。さしあたり、今日から毎日水被って全裸で寝るか!

 

 

 結果からいうと、風邪は引けなかった。丈夫で健康な体が憎い。

 今日はバックレる気満々だったのに、逃がさないとばかりに朝っぱらから桜が押しかけてきて、強引に旧校舎まで連行される羽目になった。

「一体どういうつもりなんだよ、お前」

「うん? なにが?」

「はいはい、そういうのいらねえから」

 小首を傾げて何も知らないですよアピールをする桜に、さすがにイラついてくる。舌打ちしてしまうのも仕方がないと思う。

 すると今度は困ったように眉を下げ、「奏夜が参加するって知って嬉しかったんだもん……」などと宣う。自分でそう仕向けたくせに、よく言うわ。

 そうこう話していたら、あっという間に旧校舎の前まで来てしまった。

 廃れた遊具がいくつか残る校庭。全ての窓が板で打ちつけられた三階建ての木造校舎。|いかにも《圏》といった舞台は、恐怖心を加速させる。ボロい旧校舎なんかさっさと壊せよバカ野郎。

 桜は集合場所についた途端クラスメイトに囲まれて、輪の中心へと行ってしまう。僕は輪の外に一人ぽつんと取り残された。

 

 周囲もだいぶ暗くなってきた頃、パンパンと手を叩く音がして、皆一斉にそちらを向く。

「お待たせしました。皆揃ったみたいだから、早速肝試しを開始するよー!」

「待ってましたァ!」

「ヒュー!」

 委員長の言葉に、陽キャが茶々を入れる。

 ブンブンと振り回される懐中電灯の明かりが逆に怖い。もう怖い。帰っていいですか? いやでも一人でここから帰るのも嫌だ。そういうのホラーだと最初に死ぬじゃん、無理じゃん。

「今回は二人一組になってもらって、七不思議にちなんだ場所に設置したスタンプを集めて戻ってくるだけの単純な肝試しだよ。ペアはくじ引きだから誰と組むことになっても文句なしでお願いね!」

 七不思議ってことは七つもスタンプを集める必要があんの? 正気か?

 そもそも、うちの学校にも七不思議とかいうベタな怪談あったのか。知らなかった。最悪だ。

 しかもペアはくじ引きときた。帰りたい。果てしなく帰りたい。

 木々の枝葉が擦れる音や風の音さえ恐怖を煽り、ぶるりと身を震わせた。

 

 出席番号順にくじを引いていき、男女ごちゃ混ぜで組み合わせが決まる。

 僕が引いた番号は十七番。全部で十八組だから最後から二番目だ。くじ運が悪くて泣きそう。

 肝心のペア相手は、中村|杏一郎《きょういちろう》くんという背が高くガタイのいい男子だった。真っ赤なインナーカラーといくつものシルバーピアスが黒髪に映えて、オラついているようにも見える。

 僕をイジメてくるような輩ではないが、いつも不愛想で何を考えているのか分からないうえ、口数も少ないから話したことさえない相手だ。

「……えっと、よろしくお願いします」

「ああ」

 首痛めてる系のポーズで素っ気ない一言を頂いた。無視されなくて少しホッとする。

 周囲のペアは和気あいあいと盛り上がっていて、それがちょっとだけ羨ましかった。

 桜はどうしているだろうと見やれば、学内でもイケメンと名高い男子とペアになっていて、なんだか陰謀を感じた。お似合いのカップルですネ。

 サッと目を逸らし、ペアを報告しに行った時に渡されたスタンプ用紙を確認する。

 そこには七不思議についての簡単な説明と、進むべきルートの記された校内マップ、そしてスタンプを押す欄が印刷されていた。

 意外としっかりした仕上がりに目を見張る。僕ら受験生なんだけど、こんなの作ることに時間使っていいのだろうか。

 まずは学校の七不思議、と書かれたところから読んでみることにする。

 七不思議というから僕はてっきり七つあるものだと思っていたけど、そういうわけではなかった。

『一、理科室の動く人体模型』

『二、一段多い階段』

『三、ひとりでに奏で始めるピアノ』

『四、トイレの花子さん』

『五、異界に繋がる大鏡』

『六、神隠しの体育館』

 そして、最後の七つ目の内容を知ってしまった者には災いが訪れる、らしい。

 今回の肝試しはこの七不思議の順番になぞらえて進むようだ。生徒玄関からスタートし、一階の理科室、東階段、二階の音楽室、三階の女子トイレ、西階段の踊り場を経由し、体育館の出入口から外に出ればゴールとなる。 

 そこまで読んだところで、早速一番のペアが校舎の中に入って行くのが見えた。拍手で見送られていく。

 険しい表情のまま生徒玄関の方を眺める中村くんを、チラリと見上げる。

「……少し、意外。中村くんってこういうの参加するんだな」

「それはおまえもだろ」

「あ、あは、確かにね……」

 そもそも最初は参加しないつもりだったし。

 なんとなくだけど、中村くんも何かやんごとなき理由があって無理やり参加させられたのかもしれないと思った。

 五分間隔で次々に二人組が校舎の闇へと飲み込まれていく。

 中から聞こえてくるクラスメイトの悲鳴にビクビクしながら、気を逸らすためにスタンプ用紙を眺めて自分たちの番が来るのを待った。

 

「それじゃあ十七番のお二人! お待たせ!」

 委員長の通る声がしんと静まり返った校庭に響く。

 十七番、僕らだ。

「俺らか」

「う、うん」

 目を瞑って木のベンチに腰かけていた中村くんが、颯爽と立ち上がって玄関に向かう。僕も慌てて後ろをついていった。

 時刻は二十時半。辺りはすっかり闇に包まれてしまった。心臓がドクドクとうるさい。ひっそりと深呼吸した。

「奏夜、がんばれ~!」

「杏一郎くんもな!」

 十八番のペア、桜と|藤堂《とうどう》くんが僕たちにエールを送る。なんかその余裕な態度、腹立つな。

 僕たちは二人して彼女たちの声掛けを無視した。

 

 右手に懐中電灯、左手にはスタンプ用紙をしっかりと握って、旧校舎の中へと足を踏み入れた。ひんやりと冷たい空気を感じて、ぶわりと鳥肌が立つ。

 なんでこんな苦行を強いられているんだろう。桜、アイツ絶対許さない。

 中村くんは懐中電灯も持たずにズボンのポケットに手を突っ込んで、悠々と進んでいく。

 歩幅が大きいせいで、少し早歩きをしなければ置いていかれてしまいそうだ。それは絶対に御免なので、せっせと足を動かす。

 まず向かうべきは、一階東にある理科室。

 堂々と進む中村くんのおかげで、今のところは割と平気だ。

 ギシギシと音を立てる床も、ヒュゥーという隙間風の音も、窓枠ががたつく音も全然怖くない。怖くない、怖くない。

 不意に、ぴちゃん、と何かの音。

 思わず「ヒッ」と情けない声がくちから漏れる。

 そろりと音の出処を確認すれば、何の変哲もない水飲み場の蛇口から、水滴がこぼれ落ちてるだけの話だった。

 こんなことにさえビビってしまう自分が情ない。ホラーゲームでの修行が足りなかったようだな。

「何、おまえ、こういうの苦手?」

「エッ、あ、ま、まあ……ね。得意ではない、かな」

「ふーん。よく参加しようと思ったな」

 本当にね。

 成り行きでそうなってしまった旨を告げると、大して興味もなかったのか薄い反応を返された。そりゃ、僕の話なんて興味無いよな。

 しかしながら、そこから中村くんが歩幅を合わせて隣を歩いてくれるようになった。見かけによらず優しい人だ。

 隣に人の気配がある安心感に背中を押されて、比較的スムーズに第一のポイントである理科室に辿り着いた。

 人体模型の前に置いてあるスタンプを、おっかなびっくり押す。

「よし、一つめ……」

 そう言って顔を上げた時。

 目の前で人体模型の腕がゴトリ、と落ちた。

「ッギャー!」

「いってぇ! 椛、落ち着け」

 思わず飛び退けば、後ろに立っていた中村くんに思い切りぶつかってしまった。ガタイのいい彼はビクともせずに支えてくれたが、コツンと頭を軽く小突かれる。

 僕は驚きのあまり、ぱくぱくと金魚のようにくちを動かし、ただ人体模型を指さすことしか出来なかった。

 呆れたようにため息を零した彼は僕の体を押しのけると、床に落ちた人体模型の腕をむんずと掴み、机の上に投げ置いた。

「次行くぞ」

「う、うん……」

 もう帰りたい。そう思いながら、中村くんに手首を掴まれて、半ば引きずられるように東階段へと移動させられていくのだった。

 

 東階段、二階の音楽室、三階の女子トイレ、と、なんとかスタンプを集めていく。

 音楽室と女子トイレに至っては、中村くんが一人で中に入ってさっさとスタンプを押してきてくれた。

 僕がすべての場所で逐一ビビり散らした結果、「怖ぇなら目瞑ってろ」と言って、現在進行形で腕を引いて進んでくれている。

 僕なんかにこんなに優しくしてくれる人は珍しくて、感動で震えた。決して怖いから震えているわけではない。ないったらない。

 まあ、彼は単にさっさと終わらせて帰りたいだけなのかもしれないけれど。

 そろりと目を開けて、中村くんの後ろ姿を見上げる。

「中村くん、ほとんど一人でやらせてごめん……」

「別にいい。そこ、段差あるから気を付けろ」

 チラリと目線だけこちらに寄こし、軽く眉を上げた。

 そして、手の甲で肩をポンと軽く叩かれる。その気安い仕草に、少しだけ、中村くんと親しくなれたような気がした。

 ギシッギシッ、と何かが近付いてくる音が聞こえて来たかと思えば、次の瞬間。

「そーうやっ!」

「ッ……!」

 突然後ろから強い衝撃を受けて、声にならない悲鳴を上げる。勢いを殺しきれず、前を歩く中村くんに頭からぶつかってしまった。

 はずみで懐中電灯が手から離れ、カラカラカラと床を滑る。

 ドクドクとうるさい心臓を押さえながら恐る恐る後ろを見れば、満面の笑みを浮かべた桜が抱きついていた。コイツ、マジで!

 ぎゅうぎゅうと内臓を絞めつけてくる腕から抜け出し、床に転がった懐中電灯を拾い上げる。

「はは、追いついてしまったな。杏一郎くん、ずいぶんとゆっくり進んでいたんだな?」

「……まぁな」

 どうやら僕がビビりすぎた結果、後続ペアに追いつかれてしまったらしい。

「奏夜、大丈夫? すごい汗」

「お前のせいだけど」

「ええっ、ごめん!」

 べたべたと擦り寄ってくる桜を押しのけて、ササッと中村くんの陰に回る。彼は体が大きいからいい壁になってくれる。

 藤堂くんが「せっかくだし残りは一緒に回ろう」と爽やかに提案してきて、みんなそれに賛成した。

 僕も人数が増えるのは大歓迎。人が多い方が怖くなくなる気がするし。

 さすがに桜と藤堂くんの前で腕を引いてもらう訳にもいかないので、先頭にも最後尾にもならないように気を付けて進んだ。桜が喋り続けてくれるおかげて、そんなに怖い思いはしなかった。

 西階段の踊り場のスタンプも問題なく押し、階段を下りて体育館へ向かう。

 先陣を切って進む中村くんと桜が他愛もない世間話をして、僕と藤堂くんがそれを追う形。僕は懐中電灯をしっかり握って、ただ足を動かした。

 

 体育館の中も真っ暗だった。僕と桜が持つ懐中電灯で照らしながら、どこかにあるスタンプを探す。

 ここでの七不思議は、バスケットゴールの下で転ぶと神隠しのように消えてしまう、だったよな。てことはスタンプもどこかのバスケットゴールの下か?

 桜たちの後ろをついていきながらそんなことを考えていたら、藤堂くんが声をかけてきた。

「椛さん、向こうが気になるから、少し一緒に来てもらえないか?」

「え……まあ、いいけど」

 桜とペアなんだからあいつと行きゃいいのにとは思ったが、桜は中村くんと楽しそうに話していて、確かにあれは邪魔できないなと頷いた。あいつは誰とでも話が弾んですごいな。

 藤堂くんは懐中電灯を持っていないから、明かりが欲しいんだろうと思って周囲を注意深く照らしながら彼の言う通りの方向に進んだ。

「えっと、どのあたりが気になるんだ?」

「……」

「藤堂くん?」

「……ああ、ごめん。そこのステージ横の小部屋が気になって」

 一瞬無表情だった藤堂くんは、ぱっと人好きのする笑みを浮かべて扉を指さす。

 少し寒気を覚えたが、言う通りステージの横あたりに懐中電灯を向けた。藤堂くんが扉を開く。

「何も、ないようにみえるな」

「うーん、おかしいな。もう少し中に入って探してみよう。な?」

 こんなところにスタンプがあるとは思えなかったけど、彼の言葉の圧に負けた。僕に選択肢なんてなかった。カースト上位こわい。

 体育用具室だったと思われる小さな部屋は、全体的に埃っぽかった。用具は新校舎に移動したのか、ほとんどない。鉄の棒やもう使えなさそうなぼろぼろのマット、暗幕のようなものが放置されているだけ。

 他には少し低い位置に引き戸があるくらいで、スタンプは見るからにない。藤堂くんは一体何が気になったんだ?

「……君、桜さんとよく一緒にいるよな」

「そう、かな。そんなことないと思う」

「いいや! そんなことあるさ。だから俺は……いつも、いつも気に食わなかったんだ。君みたいな人が彼女の側にいる事が」

「え? 藤堂く、うわッ」

 後ろから背中を強く突き飛ばされた。唐突すぎて踏ん張ることも出来ず、どてんと床に倒れ込む。埃が舞って、それにむせた。

 想定外の出来事に頭がついていかない。

 優等生で品行方正、誰にでも優しく爽やかな彼が、僕にも表面上は普通に接してくれていたはずの彼が、まさかそんな風に思っていただなんて。

 たしかに僕は結構な人に疎まれている。でも彼もその内の一人だとは、思いもしなかった。

 近付いてきた人影が、僕の持つ懐中電灯を無理やり奪う。そして、懐中電灯の光をこちらに向けてきた。強い光に目が眩んだ。

「君は怖いのが苦手なようだし、ここで少し痛い目を見ればいい。これに懲りたら、桜さんに付きまとうのは止めるんだ」

「藤堂くん、待っ……!」

 一方的に言葉を吐き捨てて、藤堂くんは外に出て行った。ガコッと不穏な音がした。

 急いで扉を開けようとしたものの、何かがつっかえていて開かない。

 どうやら藤堂くんに閉じ込められてしまったらしい。最悪だ。

 次第に暗闇に目が慣れてきたが、それだけで恐怖心がなくなるわけではない。今にも闇が蠢いて、何かが這い出してきそうな気さえする。

「桜! 中村くん! おーい! 誰か開けて! ねえ!」

 ドンドンと扉を叩き、大きな声で助けを求めてみても、一向に反応はなかった。

 なんで? もう、みんな体育館から出てしまったのか?

 諦めずに大声を出し続けるが、やっぱりは応答はない。埃が喉に入ってゲホゲホと咳き込む。

 このまま、ここから出られなかったらどうしよう、どうしよう。くらい、こわい。

 恐怖で埋め尽くされた思考は上手く働かない。

 目を閉じて、耳を塞いで、座り込んだ。

 自分の荒い息遣いと、建物が軋む音だけが聞こえる。

 ひやりとした隙間風が肌を撫でて、鳥肌が立った。ガタガタと震え出す体を自身で抱きかかえる様に小さく縮こまった。

 大丈夫、大丈夫、大丈夫。桜が、きっと気付いて、探しに来てくれる。家に帰らなかったら両親も気付いてくれるだろうし、だから、きっと大丈夫。

 何度も何度も自分にそう言い聞かせて励ました。

 

 どのくらいそうしていただろう。随分長い時間が経った気もするし、数分だったかもしれない。

 不意に、横で何かが動く気配がした。突然だった。

『ドウ、シテ……?』

 耳元で、少女のような声がした。

「ぎゃあぁああ!」

 悲鳴を上げ、逆方向に飛びのく。心臓が暴れて、上手く息が出来ない。喘ぐように酸素を求めて浅い呼吸を繰り返す。

 閉じていた目はいつの間にか見開いていて、目の前の闇が蠢くのをしっかりと直視してしまった。

 血走った二対の真っ黒な瞳が、ずりずりと近付いてくる。

『オモイダセ』

 また耳元で声がする。

「い、いや……嫌。近付かないで、嫌だ……」

『オモイダセ』

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

 腰が抜けて立ち上がれず、座ったまま後ずさった。

 すぐ扉にぶつかってしまい、いやいやをするように首を振る。この行動に意味なんてないと分かっていても、体が勝手に動いてしまう。

 なおも蠢きながら近づいてくる黒い闇。

 怖くて堪らないのに、ジッと睨み付けてくる瞳から、なぜか目が逸らせない。

 そして恐怖値がいよいよ限界を迎えそうになった時、背中を押し付けていた扉が突然開け放たれた。

 

「椛!」

「うわああ!」

 バランスを崩して後ろに倒れる、かと思いきや、しっかりとした何かが支えになって倒れることは無かった。

「少し落ち着け」

 熱い何かが目を覆い、背中側から暖かい何かに包まれた。

 耳元では低い声が何度も「大丈夫、大丈夫」と呪文のように繰り返し囁かれる。トントンと一定間隔で頭を優しくたたかれるのが心地よかった。

 血走った黒い目の幻影は見えなくなり、少女の声も、もう聞こえない。あれが何だったのか、今はもう考えたくなかった。

 次第に落ち着きを取り戻し、背中に感じるのが人の熱だと理解した途端、ぼうと火が出そうなほど顔が熱くなる。

「あ、あの、中村くん……」

「落ち着いたか?」

 全力で首を縦に振る。

 彼は安堵したように息を漏らすと、そっと僕を解放した。

 後ろから抱き抱えられるような体勢になっていたことを考えると、とてつもなく恥ずかしくて堪らない。乙ゲーじゃないんだから!

 中村くんは床に放り出していた懐中電灯を使って、ひととおり僕に怪我がないかどうかを確かめる。その手馴れた動きは、なんだかお兄ちゃんみたいだった。僕にお兄ちゃんはいないから、想像だけど。

「あー……悪い。妹みたいに扱っちまって」

 怖がりの妹がいるから癖で、と言い訳するように早口で付け加えた。ほんとうにお兄ちゃんだったんだな。

「いや、助けてくれて本当にありがとう。……その、どうして探しに来てくれたんだ?」

 桜が来るならまだ分かるけど、中村くんが来てくれたのは意外だった。というか、桜、アイツは何をやってるんだ。

 中村くんは腰を抜かした僕に肩を貸しながら、少し迷った風にくちを開く。

「湊が……おまえの持ってた懐中電灯を持ってきたから、少し変だと思ってな」

 肩を借りて歩きながら、僕が閉じ込められてからの話を聞いた。

 桜たちと合流した藤堂くんは、僕が一人で外に出ていったと尤もらしい嘘を吐き、速やかに三人で外に出るよう誘導したらしい。

 しかし外に出て、僕の姿が全く見当たらない事を桜が不思議がり、そんな桜に彼は少し苛立ちを見せた。それを中村くんは不審に思ったようだ。

 そして懐中電灯の事もあり、一応確認のために体育館を見に来たら、あの小部屋から物音がしたのだという。

 中村くん、ちょっといい人すぎないか? 聖人なの?

 再び感謝を伝えれば、「別にいい」と短い言葉で返された。

 体感では少なくとも二、三時間は閉じ込められていた気がしたが、まだ三十分くらいしか経っていないというから驚きだった。

 

 体育館から出ると、出口のところで桜と藤堂くんが待っていた。他のクラスメイトたちはもう帰ってしまったようで、二人以外に人影はない。

「奏夜! なんでまた校舎の中に入ってったの!?」

「……落し物でもしてしまったんじゃないか? なぁ、椛さん」

「湊」

 中村くんが咎めるように藤堂くんの名前を呼ぶ。

 彼には、言ってやりたいことがいくつもあった。

 閉じ込められた時は恐怖でそれどころじゃなかったけど、さっきまでは文句の一つや二つかましてやろうと、そう、考えていたのに。

 何事も無かったみたいにいつも通りの爽やかで人好きのする笑みを向けてくるのが、たまらなく怖くて。悪い事をしたという自覚さえなさそうなその態度が、とても恐ろしかった。

 弱い僕に出来たのは震える手を押えて、笑って肯定することだけ。

「ほら、彼女もこう言ってる」

「でも、奏夜こういう場所苦手なのに、よく一人で行けたね?」

「あ、あは……克服しなきゃ、と思って」

 桜と話すたび、藤堂くんが笑顔のままこちらをじっと見る。その目が全く笑っていないことに気づいて、ぞわりと背筋が粟立った。

 気遣わしげにこちらを見下ろす中村くんに、大丈夫だというようにへらりと笑いかける。

 何故かよりいっそう藤堂くんの瞳に殺意が籠って、怖かった。

 

 もう、忘れてしまおう。今日あった嫌なこと全部。

 帰ったら、お父さんが隠してるハーゲンダッツでも食べて、風呂入って歯を磨いて、クーラーの効いた部屋でさっさと寝てしまおう。

 体育館の中で見たものも、藤堂くんの事も、なかったことにして。

 

「それじゃ、帰ろっか」

「そうだな。桜さん、暗いし家まで送るよ」

「奏夜がいるから大丈夫だよ」

「……椛さんも女の子じゃないか」

「あ、そっか。うーん、じゃあお願いするね」

 僕がいれば何が大丈夫だと思ったんだよ。無意識に爆弾を落としまくる桜に頭が痛くなる。藤堂くんの視線も痛い。

 結局この日は、男子二人に送られて家へ帰ることになってしまったのだった。

 

 この一件の後、お化けや幽霊のみならず、暗い所さえもより一層苦手になったことは、言うまでもない。

 ちなみに、中村くんとは挨拶を交わすくらいの付かず離れずの関係を築くことが出来たから、そこだけが今回唯一の収穫だったといえるかな。

 

 

 

――

―――

夏なのでホラー風味な感じで。

こういうことが多々あるので、奏夜はどんどん学校では桜に近寄らなくなったのでした。

 

 

「雅様って呼ばせてください」
 それが、彼女の初めての言葉だった。

 入学式の日、あたしの後ろの席だった奏を初めて見た時、とても綺麗な女の子だと思った。
 長くて真っ直ぐな黒髪は実に女の子らしい印象で、それでいて奏の纏う雰囲気は深海のように静かな穏やかさを湛えていた。
 そう、あの時はそう感じたのだ。
「みーやーびーさーまー、またあたしの話を聞き流してたよね、今」
「ごめんなさい、奏。あなたの話は要領を得ないのよ、もっと文脈を考えて話して欲しいわ……」
「う、どうせ成績優秀な雅様には不出来なわたくしめの話は理解出来ないのよ……これでもくらえ!」
 そう言ったと思えば、いきなりあたしの口に奏が手に持っていた食べかけのサンドイッチを押し込んできた。|奏の食べかけの《圏》、だ。
 あたしは驚いて口から出そうとするものの、得意気な顔の奏がそれを許さない。「わたしの話を聞かなかった罰よ!」とかなんとか理不尽な事を言いながらぐいぐい押し込んでくる。
 仕方なく、黒崎くんが作ったのであろうハムサンドを咀嚼した。薄味が好きな奏に合わせてマヨネーズの量が抑えられている黒崎くん特製ハムサンドは素朴な味わいで美味しかった。
 確かに美味しかった、けれど。
 そっと奏の様子を伺う。あたしが大人しくサンドイッチを食べたから満足げだ。でも、それだけ。
 奏からしてみればただの友人にサンドイッチを強引に食べさせただけなのだし、他に何か思う事もないのだろう。
 でも。でも、あたしは。
「どう? 今、雅様に食べてもらったのはりっちゃん特製のハムサンドなのです! 美味しいでしょう?」
「そうね……。黒崎くんはあなたと違って料理が上手だものね」
「わ、わたしだってカレーなら律己にも負けないのよ! カレーなら!」
「カレーなんて小学生でも作れるじゃない……」
 奏はむっとした表情で何か反論をしていたけれど、あたしの耳には入ってこなかった。
 自分のお弁当をつつきながら、先ほどの思考に戻っていく。
 第一印象こそ、クールでどこか神秘的な雰囲気すら感じた奏だったけれど、今はその印象は影を潜めてしまった。尤も、今でもふとした瞬間にそんな雰囲気を醸すことがあるのだけれど。
 涼やかな外見とは裏腹に、少しばかり喧しくて快活な彼女はとても親しみやすかった。恐れられてばかりで友人なんて一人もいなかったあたしでも仲良くなれたくらいには。
 しかし目の前のこの子に初めて声をかけられた時は本当に驚いたものだ。
 かけられた言葉が、第一印象からかけ離れていたせいもあるのだろうけれど、まさか|わたし《圏》に話しかけて来るなんて。
「奏。なんで入学式の日、あたしにあんなことを言ったの?」
 真っ直ぐな黒い髪を左手で耳にかけながら、右手でサンドイッチを頬張ろうとする奏は、少し驚いたようにあたしを見た。
 出会った時からずっと不思議に思っていた事がつい口をついて出てしまった。すぐにしまったと思ったが、あたしは動揺を隠すように静かに目を伏せた。
「いきなりどうしたの?」
「いいから」
 この際だから理由を聞いておこうと思い、そのまま奏の返答を待つ。
 奏はサンドイッチを一度置き、目を閉じる。これは彼女の癖。何かを思い出してから言葉を発そうとしている時によくやるのだ。
 数秒待てば、彼女は長いまつ毛に縁どられた切れ長の瞳をゆっくりと開いてアタシを見る。
「名前……鬼頭雅って名前、すっごくかっこいいじゃない?」
「は……?」
「だ、だからね。雅様を一目見た時、漫画にいそうなくらいかっこいい人だなって思って。名前を知った時にあまりにもかっこいい名前だったから、どうにか仲良くなりたいと、勢い余ってあんなことを口走ってしまったというか、その……」
「そ、そう。奏は本当に対人関係は迷走するわね……」
 そう言うと奏は困ったように眉を下げて笑った。
 あたし自身、奏のことを言えないけれど。自分の方がよっぽど迷走している。今この瞬間も、奏とどう接すればいいのか、悩んでしまうのだから。
 そしてこれからもきっとあたしは自分の気持ちに整理がつかないまま、奏とどう接していけばいいのか悩み続けるのだろう。

 この関係を壊す勇気なんてないから、もしかして、の気持ちに蓋をして。
 あなたのそばで一番の“友達”として、悩みながら支えていこう。いつまでも彼女が笑っていられるように。


――
―――
友達でいるために、気付きかけた気持ちに蓋をする女の子の話。
でもこういう事って多いだろうと思うんですよね。

 

 馬鹿みたい。本当に馬鹿みたい。生きたくても、生きれないひとがいるのに、自ら命を絶つなんて命を冒涜するのもいい加減にしてよ。
 生きたかった者たちの想いを背負って生まれるのに、そんなこともスッキリ忘れて、何様のつもりなの。
 死にたいと、そう望むのは構わない。そう思う事で生きる事が出来る時もあるだろう。
 でも命を絶つことは赦されない。赦せない!
 生きていられることがどれだけ幸せなのか忘れた奴らへ、罰を。
 死ねて嬉しいのだと、笑顔で命を絶つ者たちを見ると本当に虫唾が走る。
 辛いのは周囲のせいだと決めつけて、自分が変わろうとしなかっただけじゃないのか?
 生前どれだけ努力しようと、死んだらそこで終わり。何故命の尊さに気付けないの。

 私は生きたかった、もっと、もっと! 生を渇望して、毎日、一日でも長く生きていられるように、努力した。
 母も父も病弱だった私を捨てた。それでも私は生きるために毎日を精一杯生きた。拾われて、凌辱されても、私は生を望んだ。辛くても、前を見て、生きた。
 それなのに、何故? 何故あんなに若くして私は死ななければいけなかった? 生きたかったのに、死にたくなんてなかったのに。
 私は生きたくても生きられなかったのに、生きられる環境にある奴らが、何人も自ら望んで命をドブに捨てる。毎日、毎日毎日毎日毎日毎日!
 生きたいのだと醜く生にしがみついていた私を嘲笑うように、命を投げ捨てる。
 そんなに死にたいのならせいぜい最後に足掻いて見せたらどうなの。実際に命を絶つ前に、何故行動を起こそうと思えなかったの?
 赦せない、ユルセナイ。私の望んだものを、あっさりと捨てる彼らが! 彼女たちが!
 だから私は今日も罰を下す。自らの命を絶って安寧を得ようとする者に、罰を。


――
―――
こちらは自殺者にひどい恨みを持つ赤い鬼の話。
八つ当たりなんですけどねえ。
 

 朝が来る。おかあさん、わたしのことが嫌いなのですか。
『大好きだったわ。あんたがあの人を私から奪うまではね』
 髪を引っ張られる。憎しみを宿すおかあさんの瞳が、炎みたいに燃えていてきれい……なんて場違いな事を考えた。瞬間。じんわりと頬に痛みが広がって、ぶたれたのだと気付く。
 ――痛い。
 でも、これはおかあさんを傷つけたわたしが悪いの。そう、これは仕方ないこと。
 だからわたしは、次々に振り下ろされる理不尽な痛みに耐え続けた。時には刃物で切り付けられることもあった、息が出来なくなるまで顔を水につけられたこともあった、背中を炎で焼かれたこともあったけれど、いつも決まっておかあさんは涙を流していた。
 自分もおとうさんに愛されたいのだと、そう嘆いて。あの時、わたしはどうすればよかったんだろう。どうすることもできなかった自分を恨んだ。

 夜が来る。おとうさん、わたしのことが嫌いなのですか。
『嫌いな訳ないだろう、世界で一番愛しているよ』
 そう言ったおとうさんの劣情を滲ませた昏い瞳が、怯えたわたしを映す。おかあさんにぶたれて赤く腫れた頬をふわりと優しくなでられて、肩が震えた。震えるわたしを見て、おとうさんは愉快そうに口の端を歪ませる。恍惚とした面持ちで荒い息を吐くおとうさんの唇が、わたしの耳をゆっくりと這った。その、虫が蠢いたようなおぞましい感覚に悲鳴を上げそうになるのを堪える。
 その感覚は耳から首筋、肩、胸……。ゆるゆると下へ下へと下っていく。
 おかあさんとは真逆の優しい手つきでわたしの体に触れるおとうさんは、愛しそうにわたしを見る。
 いやだ、やめて。わたしをそんな顔で見ないで。
 ごく優しく与えられる刺激にきつく目を瞑って耐える。大人しくしていたら、すぐ終わるはずだから。
 そんな風に考えるわたしが気に食わなかったのか、内腿をおとうさんに強く噛まれた。突然の痛みにちいさく悲鳴を上げ、反射的に身を捩る。
 怯えた瞳でおとうさんを見ると、彼は満足そうに微笑んで、わたしの瞼にキスを落とした。
 こんなのは異常なんだって、幼いわたしでも分かっていたのに、あの日まで拒否できなかったのはそれでも愛されていたかったからか、諦めていたからか。
 もう遠い昔の事で思い出せないな。

 あの日は、おかあさんもおとうさんも揃って朝から家に居なくて、独りぼっちだった。
 物心ついてから初めて一人になって、おかあさんとおとうさんが急に怖く思えてきた。何故、急にそう思ったのかは分からない。
 切りつけられた手首から止めどなく溢れ出る赤のせいだったのか、体中についた“痣”のせいだったのか。 
 とにかくあの時、急に今までの事が辛く思えて、これからもこんな辛い思いをするのは嫌だと願ってしまった。
 倦怠感の残る体に鞭打って窓際に近づくと、外を仲良さそうに歩くおかあさんとおとうさんが見えた。見えてしまった。
 それを見てようやく、わたしが邪魔者だったんだって。わたしなんていないほうが二人は仲良しさんなんだって気付いて、もうどうでもよくなって、そのままわたしは窓から飛び降りた。
 もう死んで楽になりたかった。
 穢れたこの体を捨ててしまいたかった。

 なのに。

『アッはッは! 死んだら楽になれるとでも思ったァ? そんな訳ないじゃん。馬鹿だねェ? 自らの命を自分で絶つような傲慢なクズに楽になる資格なんてあると思わないでよ。周囲が原因で辛かったんだとしてもねェ、自分で環境を変える努力もしないで“死ぬ”っていう逃避方法を選んだお前は間違ってるんだよ。その選択を一生後悔し続けろ』
 気付けば、額から角の生えた女の子にそう捲し立てられていた。
 誰だろうと思う間もなく、その角の人に肩をドンっと押されて、抵抗も虚しく後ろにあったらしい穴へと、わたしは堕ちていった。暗く、深い、場所へ。
 ぱちりと目を開ける。いつの間にか気を失っていたみたいだ。わたしは死んだはずなのに、さっきから一体どうなっているのだろう。
『冥府へようこそ、お嬢ちゃん』
 どこからか、声がした。
「おじょ……お嬢! お嬢、起きてください!」
 棒状のものでわき腹をつつかれて、意識が急上昇する。
 どうやらわたしは寝てしまっていて、夢を見ていたようだね。随分と懐かしい夢を見たものだ。
 目を開くと、わたしの大鎌を持ったオウィスの姿が見えた。
「やーっと起きてくれましたか」
「あは、おはようオウィス! いい朝だね!」
「もう夜です。仕事行きますよ、とりあえず涎ふいてください」
「涎出てた!?」
「冗談です」
「もーっ!」
 大丈夫、大丈夫。忘れてない。
 これは罰。
 自らの命を絶った者に対する罰。
 この罰から解放されるには、死んで楽になりたいと願わない事。過去を忘れて死神の職務を全うする事。
 わたしは今でも自分の姿を見るたびに嫌悪感で体が震えるし、死にたいと願ってしまうけど、死神になってしまった以上、死ぬことは許されない。もう既に死んでいるようなものだから。
 ああ、早く罰から解放されて、楽に、なりたい――。


おまけ

「お前、アレは言い過ぎだったろ、まだ幼い子だったのに……」
「自分で死を選ぶ馬鹿にはあのくらい言ってやればいいの。楽になりたくて命を絶ったァ? ふざけないで、命をなんだと思ってるワケ? 楽になる方法なら他にもあったろうに、よりによって死を選ぶとかホント最低の選択だから」
「……たとえお前がそう思うんだとしても、もっと優しくしてやれって。少なくとも説明もしないで突き落とすのはやめてやれ」
「い、や、だ、ね。というか、自殺したゴミが死んだ後の方が生き生きしてるとか滑稽すぎて虫唾が走る。お前は死にたかったんじゃないのか、って」
「お前ほんとなんでこの仕事してんだよ……」


――
―――
死神、フラーウムの生前の夢。
彼らは幸せにはなれない……。