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1丁目住人のブログ

一人一人が楽しく生きるためのブログ。

愚痴を書く。

金に絡む話だ。

いま会社を立ち上げている。40代を2名雇う予定なのだが、20代との、自分たちがもらう金に対してのシビアさのギャップを感じている。

特に会社の立ち上げをしたことがない方に関しては、まるで転職者のようなテンションで、いつからスタートなのか、ここらへんがタイムリミットだ、ばっかり聞いてくる。

面白そうだけで動く世代ではないのだ。だから、そういうところも手当してあげないと全く動き出さない。

僕はそれに対して、配慮が甘かったという反省と、こちらの事情も考慮しないで、サンプル結果も出そうとしないで、自分のことばかり主張するなという一抹の疑問を持った。なんだか釈然としなく、ストレスが溜まった。

ここまで持ってくるのにどれだけ苦労したか。そのような苦労をいとも簡単に踏みにじるような自分ごとばかりの主張に辟易し、別にあなたなんて雇わなくてもいいんですけどという心境にもなりかけた。

結局会社草創期から手がけるキャピタルは全てにおいての責任を取ることになる。多岐にわたる利害関係者をの希望を汲み取り調整し、うまく設計して導かなくてはいけないのだ。これは普通の自己資金でやる起業より難しいと思う。終いには、成功するかどうかも分からない。世の中にこんなに難易度が高い仕事があるのだろうかとおもえるくらいである。

相手の要望をかなえることで調整する一方で、時にはうまく説得して押し黙らせる必要もある。

この部分のノウハウはレベルが高いことをすればするほど、金に値するのは確かだ。色々と心労したけど、がんばろうとおもった。


今年、国立の大学院へ進学をしようと思っている。まだ受かっていないのだけれども。

海外のMBAなども考えていたが、英語で世界のビジネスを学習するよりも、まず技術系の学問をしっかりやろうと思ったのが今の結論である。国内のMBAという手もあるのだが、いろんな理由があって、イマイチ気が乗らない。

実務家でありたいと思う。つまり、大学院、その後に何かの縁があって博士課程に進むようなことになっても、学術的な知識や解を礎にして、あくまでも実務でその成果を出したいと思う。

僕ももう今年33歳となってしまう。一般的に「良い年」であり、対外的にはふらふらはしていられない年である。かといって、世間の見方や尺度に必ずしも従う必要はない。とりわけ同調的バイアスの強い日本においては。

実務で結果を出しながら、勉学にも猛烈に熱心に取り組む。よほどのことがない限り、35歳まではまだ家庭も持たないだろう。家庭を持つと、優先順位が変わるので、それまで自己投資にプライベート時間の100%近い時間を使えるかが勝負である。もちろん、息抜きは適度に行う。

世界標準に追いつくのではなく、世界標準で抜きんでないと仕方がない。どうも日本で言われているグローバリズムというのは前者の概念で、そこで戦い勝つというシンプルなものに執着していないように思える。

日本を背負って、世界で勝ちにいかないといけない。楽天やサイバーエージェントのような海外ビジネスモデル輸入型ベンチャーの時代はとっくに終わってしまった。彼らは投資に比重を置き、自己変化を試みているが、一度しみついたDNAは書き換えが難しい。下流から上流に水を流すようなものだ。日米の情報の非対称性に目を付けた鞘取り商売はもっともっと通用しなくなる。これからは技術をベースにした、ビジネスモデル輸出型のベンチャービジネスを主軸におかないといけない。かつてのソニーができたように、世界で真似をされる商品やビジネスを作るということである。

そして、僕はラッキーなことに必死に頑張れば、それをやれる環境にいる。やらない手はない。

世界がいつ時も、単一のシナリオ通りに進むとは限らない。むしろ短期的にはさまざまなシナリオが重なり精密な解析は不能だ。しかし長期的には物事は極めてシンプルな筋書き通りに進んでいる。歴史を振り返ってみても。

その論理構成を明らかにし、来るべくして来る未来に対してどのような価値貢献ができるか。見識と実力を磨くと同時に、結果を出してゆく。

こういった見方をしている同世代は少ない、だから僕は必然的にこんなことを話し合う友人も少ない。でも少なくても存在する。それを糧にして、今年の残りもがんばっていこうと思っている。

年齢やバックグラウンドなどの現在のステイタスにとらわれてはいけない。世界を変えてきたのは、いつでもそのような制約から解き放たれ、世界と直接対峙できた人である。生き方はむき出しだ。正しい野心を胸に宿し、こつこつ石を積むがごとく、まだ見ぬ新しくオリジナルな価値を積み上げてゆきたい。
すっかり更新しなくなってしまった。

こんな僕もすっかり32歳という歳になり、あれからボストン行って一度戻り、今はシリコンバレーからサンフランシスコに移ってきた。だいたいの用事も済んだのでこうしてブログを更新してみた。

アメリカに来るとだいたいの日本人が思うことは、「日本は蚊帳の外でしょぼい」とか「日本だいじょうぶか」的な気づきだと思う。まあ僕も今年3回アメリカに来ているけど、そのような感想はないわけではない。

それよりも、そのような全ての反省点は、常に自分に向けられている。集中して取組むべきは、いかに自分が世界と同一のフェーズに身を置く事ができ、その上で圧倒的に突き抜けられるかということに集約される。日本に刺激や最先端を取り込むという役割を果たすのではなく、日本のアイデンティティを武器の一つとしてこちらで認められるという境地である。

よく海外のMBAを取ったあとに日本で教えたり、いつまでたっても日本企業を相手にコンサルしたりする人が多い。帰国後に日本を変えるなどと言っている人も実はほとんどがそうだが、僕はそういった人たちに一切の憧れもないし、リスペクトもない。軽蔑しているわけではなく、ただそんなんで偉そうにふるまっている内弁慶な人を毛嫌いしているだけだ。

たとえ日本語しかしゃべれなくても、知っている世界が深いが小さくとも、志がユニバースであって器が大きければ、尊敬されるべきだと思う。なぜならばそれが本質的な人間としてのキャパシティだからである。ただし問題はあって、そのままに放置しておくと、著しく損をする仕組みになっている。それを解決するのがいまの僕の役目であると自負している。そして、それを仕事にできていることを僕はとても光栄なことに思っている。

20代はアジアばっかり攻めていたのだが、やはりアメリカは無視できないという気持ちが確固たるものとなっている。アメリカは依然として世界のタレントを魅了し続けていて、さながら世界選抜の場所である。国際政治的には一極集中の時代は過ぎたと言われて久しいが、ことイノベーションの観点で言うと、アメリカの重要性は不動である。その他は、アメリカを軸としたアービトラージに過ぎないと感じざるを得ない。
6月に試験が終わって結果が出るまで、NYに遊びに行ったり、飲んだくれたり、白人女性と楽しくチャットしたり(笑)と割とだらだらな日々を送っている。でも役所関係の仕事をしたり、100人近くのベンチャー経営者の前で話をしたりと今まではなかったようなこともしてきている。ただ効率が悪いのは認めざるを得ない。

まあそれは試験結果がまだ正式に出ていないからなのであると自分に言い聞かせている。僕はこの試験結果が出たら、進路をおおまかに決めなくてはならない。

ベンチャーキャピタリストになるのか?それとも企業調査アナリストになるのか?というところで、先輩方にはいろいろつっこまれており、僕もうまく回答できないでいた。

僕がいま考えている職種は、非上場企業のアナリスト(セルサイド・バイサイド)というものである。日本はまだ市場が未成熟で、まだこの非上場企業のアナリストという職種がない。上場企業のアナリストはほとんどが証券会社(主にセルサイド)や運用会社(主にバイサイド)に在籍いるのだが、未上場企業にはそのような区分けもないし、ベンチャーキャピタリストや士業(ベンチャーを専門にする税理士、会計士や弁護士)という職種があるだけである。

全体的に日本のベンチャーキャピタリストはまだまだ二流、三流と言わざるをえない。実際の経営をハンズオンでサポートできる起業家出身のキャピタリストは増えてきた。しかし、企業の評価や分析調査を行えるグローバルで戦えるアナリストは皆無であるし、海外市場を熟知している者も少ない。上場している小型株ですらアナリストがいないのだから、当然かもしれない。

ベンチャー企業は上場企業のそれとはまったく違った切り口で評価しなければならないのは明白であるが、まだ確立できていない。ぼくはそのパイオニアになれないかな?と思っているのだ。がんばってもなれないかもしれない。でもがんばったらなれるかもしれない。
本質を深く見抜くトレーニングをすればするほど、世の中には二流以下と偽物が大半を形成していることがわかる。これは発言のタイミングと用法に気をつけなくてはならないが、ここは匿名ブログなのでオッケーとして。

特に僕が腹がたつのは、自分が本物であると疑わない偽物である。これは筋金入りの偽物なのであるか、困ったことに、おそらく今までのどんな時代もそうだったと思うのだが、その自称本物(本当に自分は本物だと言っているわけてわはない)のやつにコントロールされる下々の民がいるわけで、そのグループが形成した世論というものは、バカにならないくらいのサイズになる。だから、厄介なのである。こういう集団を相手にしてある暇はない。かといって良いようにやられるわけにもいかない。すると、どうやってこの手の輩たちと付き合ってゆくのかが、最大の論点になるわけである。

ところで、偽物とはどういった人たちか?前に出たがり、支配欲や立身出世欲が強い、他人の名声を身にまといたがる、比較的能力は高い人たち、のことである。何かしらの能力があるというのがポイントで、だからこそ、表舞台にしゃしゃり出る機会を手にすることができるわけである。

結論から言うと、僕が採用している方針は、敵視されないように気をつけ、こちらから相手にもしなく、相手から相手にされた場合はさわやかに応えるというものである。

謙虚なる気持ちを持ち、どんな人からも学ぶことはあると心得、己の道に精進することである。決して目線を落として時間を無駄にする必要はない。評価は神様や自分の手の届かない存在に託す、ということである。

さらに換言するならば、波動を高めつつ、正々堂々と実世界での実力を高める努力を怠らないこと。エネルギーの発散を遮るものを取り除いてあげて、どんなことでも自分の肥やしにしてゆくという覚悟がより一層エネルギーを高めさせてくれる。