今年、国立の大学院へ進学をしようと思っている。まだ受かっていないのだけれども。
海外のMBAなども考えていたが、英語で世界のビジネスを学習するよりも、まず技術系の学問をしっかりやろうと思ったのが今の結論である。国内のMBAという手もあるのだが、いろんな理由があって、イマイチ気が乗らない。
実務家でありたいと思う。つまり、大学院、その後に何かの縁があって博士課程に進むようなことになっても、学術的な知識や解を礎にして、あくまでも実務でその成果を出したいと思う。
僕ももう今年33歳となってしまう。一般的に「良い年」であり、対外的にはふらふらはしていられない年である。かといって、世間の見方や尺度に必ずしも従う必要はない。とりわけ同調的バイアスの強い日本においては。
実務で結果を出しながら、勉学にも猛烈に熱心に取り組む。よほどのことがない限り、35歳まではまだ家庭も持たないだろう。家庭を持つと、優先順位が変わるので、それまで自己投資にプライベート時間の100%近い時間を使えるかが勝負である。もちろん、息抜きは適度に行う。
世界標準に追いつくのではなく、世界標準で抜きんでないと仕方がない。どうも日本で言われているグローバリズムというのは前者の概念で、そこで戦い勝つというシンプルなものに執着していないように思える。
日本を背負って、世界で勝ちにいかないといけない。楽天やサイバーエージェントのような海外ビジネスモデル輸入型ベンチャーの時代はとっくに終わってしまった。彼らは投資に比重を置き、自己変化を試みているが、一度しみついたDNAは書き換えが難しい。下流から上流に水を流すようなものだ。日米の情報の非対称性に目を付けた鞘取り商売はもっともっと通用しなくなる。これからは技術をベースにした、ビジネスモデル輸出型のベンチャービジネスを主軸におかないといけない。かつてのソニーができたように、世界で真似をされる商品やビジネスを作るということである。
そして、僕はラッキーなことに必死に頑張れば、それをやれる環境にいる。やらない手はない。
世界がいつ時も、単一のシナリオ通りに進むとは限らない。むしろ短期的にはさまざまなシナリオが重なり精密な解析は不能だ。しかし長期的には物事は極めてシンプルな筋書き通りに進んでいる。歴史を振り返ってみても。
その論理構成を明らかにし、来るべくして来る未来に対してどのような価値貢献ができるか。見識と実力を磨くと同時に、結果を出してゆく。
こういった見方をしている同世代は少ない、だから僕は必然的にこんなことを話し合う友人も少ない。でも少なくても存在する。それを糧にして、今年の残りもがんばっていこうと思っている。
年齢やバックグラウンドなどの現在のステイタスにとらわれてはいけない。世界を変えてきたのは、いつでもそのような制約から解き放たれ、世界と直接対峙できた人である。生き方はむき出しだ。正しい野心を胸に宿し、こつこつ石を積むがごとく、まだ見ぬ新しくオリジナルな価値を積み上げてゆきたい。