学生 | 1丁目住人のブログ

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一人一人が楽しく生きるためのブログ。

起業家や投資家を中心にした社会人、学生、大学教授が集うミートアップイベントに参加した。というより主催側だったのだけれど。

言うまでもなく、近代日本における学生とは、未熟で発展途上な存在である。僕らのような若手~中堅社会人でさえ、世の中の辛酸を舐めたことが少しくらいはあるかもしれないが、それでも世の中のことを多く知らない。こと海外の事情についてはさらに白痴である。

辛いことや苦労も少なく、常に満足に食事が与えられ、指導要領に沿った教育を日本人によって与えられ、つい先日センター試験を終え、やれ「グローバルに通用する人間になれ」とお尻を叩かれている、お酒を飲めるようになっはばかりの子供たちだ。

そういう彼らが今、人生の一つの選択肢として、起業家に憧れている。

それはそれで良いことだ。ポジティブだし、反対するような人も少ない時代だろう。

しかし、やはり起業云々よりも、僕らが真にこれからの10代20代の若者に啓蒙しなくてはならないのは、己と向き合いながら固めてゆく、それぞれの独立した生き方なのである。

成功していると言われる起業家は必ずと言っていい程、強烈な原体験を持っている。多くの場合それはショッキングな出来事であり、それによって時間の有限性を知り、己がなすべきことを悟り、自分なりの貢献をしようと心に決めるのだ。

そのような境遇にステージが進むと、周囲の顔色を見て行動することはもはや無価値である。世間的な幸せや生き方は参考材料にこそなるが、マニュアル通りなぞる必要性もなく、何しろインセンティブが一切ないので、そういう行動はとらない。

まさにアニメ、「ハンター×ハンター」中のグラピカが幻影旅団に復讐する時の「制約と誓約」であり、その背後には、最終的には自分自身にコミットメントしかないのだ。

そういった意味で、"一つの生き方としての起業家はどうでしょうか?"という切り口では、本質を語ることはできないと思っている。

全員に言えることは、様々なことを能動的に経験し、失敗という実験結果を味わって、自分オリジナルの生き方に辿り着けということであり、一つの結果に対して、個の文脈なしにアントレプレナーへ誘導することは、ベンチャーキャピタルという立場上むしろ、ご法度のように感じている。

戦後日本の、大企業を沢山生み出して皆で一緒に成功してゆくというモデルは終わりを告げ、アメリカを始めとした先進国のように、個の生き方や行いが世の中に直に反映される世の中になった。

時代は個の成熟という前提を求める時代になった。だが、まだ日本の個人は成熟し切れていない、というのが僕の見方である。

いつの時代も幸せへのショートカットはなく、螺旋階段のように、満遍なく味わなくてはならないのだと、僕は信じている。

成功を味わい、友人や家族に愛されて愛する。人生の所謂"幸せ"を感じる瞬間。でもそれは階段の踊り場のようなもので、同等に挫折や悔しさ、孤独や悲しみも愛し、波乱万丈を受け入れることで、もう一階上のもっと面白くて眺めの良い踊り場に行けるのではないかと思う。それが僕の成長意欲の源泉だ。

とにかく、若者と交流することは良い。いつも考えさせられる。作用と反作用で、いくらこちらがリードして話してても、何かを与えてもらえる。