テレビ番組のディレクターに、映像出版の件について相談した。
彼は有名番組の制作を過去にしてきており、現在は東北の街おこしをしているらしい。
得意分野は、世界の超能力者や不可思議な現象とのことで、話がとてもおもしろかった。
デモテープを見せたところ、是非「世に出すべきだ」という言葉もあったが、選んだ楽曲に対しては、個人的に「ちょっと惜しい」ということ。
僕としては、写真家の写真をより引き出すために、同じ波動を感じた楽曲をつけたのだが、彼からすると、それが同質的で、”寄り添い過ぎている”とのことなのだ。とても素晴らしいもの同士を重ねる事で、差し出がましい印象だというのである。彼曰く、異質的である、たとえば民族音楽などをつけることで、写真に集中できるというのである。
非常に示唆に富んだアドバイスである。素人の僕にとっては、一理はおろか、二里ほどある。
しかし、全く彼のアドバイス通りに作り直すことにも疑問が生じる。
きっと現状の楽曲では、被写体や写真そのものに敷居を感じている一般人への訴求効果が高いものが生まれる。同質を組み合わせることで、表現がシンクロし、作歌性が増幅され、わかりやすい総合形になるのだ。
そして彼のアドバイス通りのものは、プロフェッショナルを喜ばすものば生まれる可能性が高い。時々無音があったり、民族音楽をベースに作り込む事で、BGMで牽引するような見せ方はできないが、その分、写真の持っている純粋なパワーのみを誇示する事ができるだろう。
これは、観るものの立場からすると、好き嫌いの世界になってくるのではないか。ある一定の品質をクリアすれば、あとは好き嫌いの世界となり、逆に作り手の立場からすれば、誰を最終的に照準を合わせるか、によって変わってくる。
クリエイティブな仕事における、「軸」の大切さを学んだ。そして制作者である限り、軸がぶれてはいけない。人の意見を聞いてちょくちょく変えても良いものは作れないだろう。その一方で軸と決めた以外の部分は、柔軟に変更していかなくてはいけない。1つの優れた表現を目指すために、2つの異なった主義をバランスをとって活用してゆく、そのようなことなのだろうか。