アンティッチ、カタルーニャへ・・・。
アトレティコを救えなかった、ラドミール・アンティッチ。
解任された直後、ルイス・アラゴネスの後釜を探していた、
古巣レアル・オビエドからオファーが来る。
レアル・オビエドは莫大な負債を抱えており、
補強がままならないクラブだったが、古巣だったこともあり、
特に断る理由もなかったアンティッチは契約を結ぶことになった。
やはり、戦力が決定的に劣っていたのもあり、オビエドは開幕から低迷。
最後までチームに知力を注いだが、最終節に降格が決定。
アンティッチは、2年連続2部降格を経験することになる。
その後のレアル・オビエドの状況は、非常に厳しく、
現在、2部Bまで降格しており、存続が危ぶまれている。
オビエドを去ったアンティッチは、しばらくフリーの身であった。
故郷セルビア・モンテネグロや、イングランドのクラブからオファーが来たが、
全てのオファーを断って、家族とのバケーションを楽しんでいた。
そのとき、バルセロナでは、ルイス・ファンハールが監督を務めていたが、
開幕から低迷を続け、クラブ史上最悪の状況に陥る状況であった。
2002年1月、ルイス・ファンハール監督が解任される。
そこで、様々な候補がバルサの監督候補に挙がったが、
その中の一人が、スペインでの経験が豊富で、
95-96にアトレティコをリーグ&国王杯二冠に導いた、アンティッチだった。
アトレティコ、レアル・オビエドでの困難な仕事をこなしたアンティッチに、
またもや、困難なオファーがやってきた。
熱狂的なファンに支えられ、市民のシンボルである
FCバルセロナのピンチを回避するという、
並ならぬプレッシャーが掛かる、厳しい仕事だった。
フロント、現場は、共にファンからの信頼を失われており、
選手たちもファンハールの不可解な采配に戸惑っており、
チームの状況は、非常に厳しいものがあったが、
アンティッチは、この状況下のバルサを率いることになる。
ファンハールは、システムを重視し、
オランダ人を重用したりと、ファンの反感を買っていた。
本来のポジションでプレーできていない選手が多く、
全体的にバランスを欠いてしまった。
アンティッチは、周囲の状況に囚われることもなく、
フォーメーションをファンハール流の3バックから、
スペインではベーシックの4バックへ戻し、
選手を本来のポジションに戻すことにした。
中でも大きく変わったのは、ウィングで使われていた、
ハビエル・サビオラが、ストライカーに戻され、得点を量産していた。
一時期、16位に沈んでいたバルセロナが、終わってみれば、6位で終了。
なんとかUEFA CUP出場権を確保し、アンティッチはバルサを去った。
そんなアンティッチのことをスペインでは、「再建請負人」と呼んでいた。
バルセロナを率いたことで、ラドミール・アンティッチは、
レアル・マドリー、バルセロナ、アトレティコの
スペイン3大ビッククラブを率いた、唯一の外国人になった。
2003-2004では、またもやシーズン途中に
残留争いに苦しむ、セルタ・デ・ビゴを率いることになる。
だが、セルタでの指揮は失敗に終わり、三度目の降格を味わうことになる。
監督としてのキャリアには、正直、疑問を感じる方が多いだろうが、
ラドミール・アンティッチという男は、厳しい状況下で監督を務めている。
「人生は挑戦だ」
確かに、アンティッチという監督は、3度の降格を味わっているだけに、
様々な人間に恨まれ、馬鹿にされているのかもしれない。
多くの選手とも対立しているし、フロントとの揉め事もあった。
だが、「マネー」という価値に動かされるのではなく、
どんな名監督でも避けたがるような「厳しい状況」へ
自ら好んでオファーを引き受けるような監督はそうそういないだろう・・・。
セルタでの失敗以後、ラドミール・アンティッチは監督を務めていない。
だが、どこか彼の魂を燃え立たされる状況になれば、
彼は、再び我々の前に現れるであろう・・・。
アンティッチとアトレティコ
※左:ヘスス・ヒル元会長、右:ラドミール・アンティッチ。
熱狂的なアレッティファンが望んでいたリーグ優勝・・・。
ラドミール・アンティッチは、1978-79年以来の快挙を成し遂げた。
これまで、次々と監督を変えてきたヘスス・ヒル会長も
アンティッチの手腕には満足したそうで、契約を1999年まで延長した。
だが、96-97チャンピオンズリーグ、早々に敗退すると、
ヘスス・ヒル会長との関係が悪化。
優勝は宿敵レアル・マドリーに奪われ、アトレティコは無冠に終わる。
97-98シーズンでは、積極的な補強を敢行し、
クリスチャン・ビエリ、ジュニーニョ・パウリスタなど獲得した。
UEFA CUPでは準決勝まで進出したが、リーガでの成績は振るわなかった。
ユベントスから移籍してきた、クリスチャン・ビエリが得点王になるが、
アンティッチとビエリの相性は最悪。
頻繁に口論を繰り返し、チームの雰囲気も悪くなっていた。
そんな状況に堪忍の尾が切れたヒル会長は、アンティッチを解任した。
アンティッチは、1999年までの契約を強制的に打ち切られ、
ヘスス・ヒル会長に、違約金を支払うよう、訴えていた。
ヘスス・ヒルが後任に選んだのは、イタリアの巨匠、アリーゴ・サッキ。
プレッシングスタイルと、積極的なオフサイドトラップで、
イタリアセリエAに旋風を起こした、イタリア屈指の名将である。
だが、シーズン開幕直前にクリスチャン・ビエリの放出が計画を狂わせ、
彼の厳しい選手管理に、チームの雰囲気も最悪だった。
目立った結果を残すことがないまま、
1999年1月、サッキは監督としてのキャリアを終えることを決意する。
(2001年、一度、パルマで復帰している)
そして、ヘスス・ヒルが後任に選んだのは、
違約金を支払っていない、アンティッチを復帰させた。
契約は、2000年までだった。
アンティッチが復帰した、アトレティコは、
リーグ戦では、13位で終了したが、
国王杯決勝に進出し、UEFA CUP出場権を獲得。
チームに秩序を復活させた、アンティッチだが、
結局、ヘスス・ヒルは、来期の監督に、
国王杯決勝でバレンシアを率い、アトレティコに圧勝した、
クラウディオ・ラニエリを就任させることに決定。
またもや、ヘスス・ヒルに振り回されたアンティッチ。
違約金を払うよう要求しながらも、アトレティコから去った。
当時世界最高クラスのFWと言われた、リーズのジミー・ハッセルバインク、
そして、パラグアイが誇る南米最高のDFカルロス・ガマーラを獲得。
国王杯優勝監督であるクラウディオ・ラニエリ。
主力選手も、GKモリナ、DFカブデビラ、MFバラハ、バレロン、FWキコなど、
スペイン代表に選出されるスターを擁しており、
チームは当然、優勝争いを期待されていた。
だが、1999-2000のアトレティコは、クラブ史上最悪のシーズンだった。
開幕から期待を裏切り、チームは降格圏内に彷徨っていた。
ファンは、ラニエリに猛ブーイング。アンティッチを要求していた。
2000年3月、アトレティコの厳しい状況に耐えられなくなり、
クラウディオ・ラニエリ監督が辞任した。
マルベージャ市の税金横領疑惑に追われていたヘスス・ヒル会長は、
ラドミール・アンティッチにクラブの命運を賭けることにした。
アンティッチは、これまで、数々のチームを復活させたが、
今回のアトレティコの状況は非常に厳しかった。
優勝も経験したクラブでの、危機的な状況を救うのは、
彼にとっては、監督人生で最も困難な状況であった。
だが、特に断る理由もなく、「人生は挑戦だ」と言い張る彼は、
クラブ史上、最悪な状況下での采配を拒まなかった。
だが、アトレティコを良く知る、名将ラドミール・アンティッチでも、
この状況を乗り越えることが出来なかった。
第36節、アトレティコ・マドリーは、クラブ史上初の2部降格が決定。
その責任を負って、アンティッチ監督は、
「給料はいらないから、来期も指揮させてほしい」
・・・とクラブへ訴えていた。
結局、最終節を前にチームを救えなかったアンティッチは解任された。
95-96年の優勝監督ラドミール・アンティッチにとって、
アトレティコでの最後の指揮は、あまりにも寂しいものであった。
「SYMPHONIC LIVE」
続いて、YESの「SYMPHONIC LIVE」でございます。
実を言うと、まだ見ながら書いているところですが、
こちらは、ほぼノーカットに近い状態で味わえます。
なんか「Media Ban Live」の半額なのに、おいしい思いしてるような(笑)
Yesとは、70年代前半に席巻した、プログレッシブロックグループで、
数々のメンバーの入れ替わりを繰り返し、今もなお続いているグループです。
まぁ、細かいことをいったら、キリがないグループなんでこの辺にしておきましょ。
このライブDVDは、2001年に発売された「Magnification」のツアーで、
従来のYESのメンバーである、
ジョン・アンダーソン(Vo)、スティーブ・ハウ(G)、
クリス・スクワイア(Ba)、アラン・ホワイト(Dr)の4人に、
ゲストミュージシャンに、トム・ブリズリン(Key)、
そして「ヨーロピアン・フェスティヴァル・オーケストラ」の競演の
167分に渡る、壮大なライブアルバムでございます。
最初は、「オーケストラの影が薄くなるのでは?」
・・・なんて思ってましたが、実際聞いてみるとそうでもなかった。
それどころか、オーケストラが巧く溶け込んでいるので、
思わず笑ってしまいました。
メンバーが70年代Yesらしく、
1曲15分以上の大作3曲も演奏されていて、
聞きなれている曲も、オーケストラとの競演で新鮮に聞こえました。
なかなか面白いな・・・と思ったのは、
やはり、オーケストラのメンバーの表情を巧く捉えていて、
一人一人が「Yes」のメンバーになったような感じで面白かった。
まぁ、相変わらずぶっ飛んでますわ(苦笑)
でも、このDVD、絶対疲れます(大汗)
Media Ban Live
今日、給料が入ったので、2枚のDVDを買ってしまいました。
一つは、坂本龍一の「Media Ban Live」
もう一つは、Yesの「SYMPHONIC LIVE」
両方ともライブDVDでございます。
まず、坂本龍一の「Media Ban Live」から・・・。
CD版にあった、ピアノソロの曲が大幅にカットされていたが、
その代わりに、オリジナル曲がいろいろ入っていました。
従来のライブDVDと違い、ノーカット版ではなかったので、
個人的には、期待はずれ・・・でした(苦笑)
一部短縮されている曲などあって、中身が薄かった。
本人もCD版、DVD版の出来に不満だったらしく、
歓声が聞こえないなど、言ってるらしいです(苦笑)
DVD版は、なんか本人の意向が入ってるのかどうなのか正直微妙です(汗)
でも、個人的には「Media Ban Live」の楽曲が好きなんで、
コレクションとして持っておくにはいいかな?なんて思います。
いつ聞いても、「Parolibre」はいい曲だなぁ~・・・なんて思いますし(笑)
一発屋特集で・・・(笑)
まずは、一発屋といえば、ロシアから(謎)
オレグ・サレンコ
94年W杯得点王(6得点)。
だが、ブルガリアをベスト4に導いた、「怒りの芸術家」こと、
フリスト・ストイチコフ大先生と同点だったため、
得点王だということをあまり知られていない可哀想なお方(汗)
代表通算成績は、8試合6得点。
つまり、代表での得点は全てW杯での得点である・・・。
アレクサンドル・パノフ
EURO2000予選、アウェーのフランス戦で、
2得点を決め、スタッド・ドゥ・フランスの不敗神話を崩した男。
だが、国外移籍したサンテチエンヌで、
たびたびのトラブルに巻き込まれ、現在は代表に呼ばれなくなった・・・。
ドミトリー・ブリキン
EURO2004出場に大きく貢献した、大型ストライカー。
だが、イングランドのクラブへの移籍騒動に巻き込まれ、
結局、所属のディナモ・モスクワでも干されてしまった悲しいお方。
でも、まだ26歳なので、一発屋というには、まだ早いか??
なんかロシアばっかり上げて申し訳ないんだけど、
FW以外にも、GKニグマトゥリン、オフチニコフ、MFセマクなど、
どうも、数年間も調子を維持できない選手が多いので、上げてしまいました。
まぁ、W杯のような短期決戦だと、一発何かを起こせる選手がいると大きいけど、
(EURO2004での、ギリシャのハリステアスなど・・・)
やはり安定した結果を残せない選手を入れるのは、リスクがあります。
今は、アルシャービンとゲルジャコフという若いFWが2トップを務めているが、
W杯逃した彼らも、長く使ってもらえるかどうか不安です(汗)
(個人的に2人ともお気に入り・・・)
ホントは、ロシア代表なんて、ポテンシャルが高いと思いますが、
他の東欧の諸国と比べると、
どうもサッカーのスタイルに一貫性がないように思えます。
サレンコ、パノフ、ブリキンはいい選手だと思っているが、
やはり、彼らが常に実力を発揮できるような環境がロシアにはない。
今のロシアリーグのトップクラスには、
ロシア人よりもブラジル人が多いのが現状で、
なかなか優秀なFWが育ちにくい・・・のかもしれません。
その分、ゼニト・サンクトペテルブルグの2トップ、
アルシャービンとゲルジャコフに頑張ってもらいたいものですがね・・・。




