概念の再定義 | 愚痴、悪口、その他諸々。

愚痴、悪口、その他諸々。

タイトルの通り陳述します。

少し暑さも薄らいで、過ごしやすくなってきました。
油断して薄着で出歩いて風邪引かないようにせねば。

えー、特に何というわけでもないですが、備忘録的に、今の私の思考法の根幹を活字にして残しておこうと思います。今夜もたぶん長くなります。

1.言語という概念

人類は、遥か昔に「言語」を獲得し、思考においても常に何かを定義した「語」を用い、結果を導いたりするわけです。

つまり、快不快や空腹、眠気、興奮、その他もろもろの本能的情動を、「言葉」に変換することでより論理的に考察し、ある意味で「一歩引いた目線」において自己をコントロールしているのです。

口に出すわけではないけれど「あぁ、おなか空いたな・・・確かカップラーメンがあったはずだ・・・」なんて、言語に変換して考える。日常的に行っているのでなんとも思わないですが、空腹→食べる、というプロセスが能動的かつ短絡的に行われるのではなく、常に一度「言語」に変換された上で行動につなげてるわけですね。

いわば「言語」というのは、情報を一定のルールに則って整理する「ソフトウェア」なわけです。

そして「ソフトウェア」と一口に言ってもLinuxとかWindowsとかMacとかあるように、英語とか日本語とかフランス語とかいろいろある訳です。
共通のソフトウェアであれば出力された情報は相互に共有できますが、たとえばMacで作ったデータがWindowsに送ると文字化けしたりっていうのは、日本語というソフトウェアしか持たない人に対して、英語でいくら愛の言葉を語ってもワケワカメなのに似ているのです。

「言語」というのはコミュニケーションツールである以前に、OSの一つなのです。
ですから、OSの持つ特性がPCの動作を左右するように、個々の「言語」という概念、「言葉」というものに対する姿勢というのは、コミュニケーションのみならず、その人の行動をも表し、影響するものなのです。

だからこそ、一つ一つの「言葉」を大切に、意味を捉え守ることこそ、いわばOSのバージョンアップであり、さまざまな物事への互換性が増すのではないかと思います。

2.概念への姿勢

前章では「言語」について述べましたね。まずこれが基本です。そしてこの捉え方は何にでも応用ができます。
たとえば車の運転なんていうのでもそうです。「青は進んでも良い、赤は止まれ」なんていうルールがソフトウェアであり、それが法に則り、ドライバーの間で共通しているから免許が貰えるという制度がある訳です。
ありとあらゆる事象に対して、一つ一つ丁寧に、きっちりとそのアウトラインを捉え、理解を深化させていくプロセスこそが思考であり、深化させる能力が思考力なのです。

ここで「理解」とは何か、という事を考えてみようかと思います。

例えば、「昨日、私は家でカレーを食べました。」という文章があったとしましょう。
ここから、直接的に読み取れることは「私というヤツが昨日家でカレーを食べた。」という事だけです。「理解した」と言うには十分かもしれませんが、これで完結してしまってはただ読んだだけです。
ここで、「何故カレーを食べたのか」とか「家で食べたのなら家族が作ったのか、或いはココイチの宅配だったのか」とか、いわば妄想を繰り返すことで、その一つの文章が持つ「伸びしろ」であったり「発展の可能性」が広がっていくわけです。

ここで「私」という人間に対する予備知識があれば、この妄想を推測に変える事が出来ます。
例えば「私さんは一人暮らしで、あまり収入はないものの料理が得意。昨日は昼間から友達に付き合わされて甘いものを食わされまくっていた。」としましょう。
どうですかね?ココイチの宅配っていう線は可能性としてかなり低くなりますよね?
そして甘いものに飽きて反動で辛いものが食べたかった。と推測できるのではないでしょうか。

即ち、一つの事象を独立したものとして捉えるのではなく、「あらゆる情報と結びつき得るものだ」と考え、捉える姿勢によって、理解が深化する可能性が生まれるのです。

これは、誰がカレー食ったとかそういう「現象」だけでなく、例えば「学歴」とか「性別」とか「年齢」とか、いわゆる「スペック」であったり、「好き」とか「嫌い」とか「どうでもいい」とかいう「対人感情」であったり、まさしくあらゆる物を捉える上で極めて重要な姿勢であると言えるでしょう。

Wikipediaではどんな項目からでも、ページ内のリンクを辿ることを繰り返せば、6クリック以内にあらゆる別の項目にたどり着ける、と言われています。

いかに「情報と情報を結びつけるか」という姿勢が、「理解を深化させる」というプロセスにおいて重要になるのです。

3.思考という移動手段

さて、「情報と情報を結ぶ」という考え方を述べましたが、では情報と情報はどのようにつながっているのか、考えてみたいと思います。

脳科学的にもさまざまな研究がありますが、ここは私らしく「情報と情報を結ぶ」という「概念」として捉えてみようかと思います。

今回はざっくりと「地図」として考えてみましょう。
さまざまな情報・記憶があらゆるところに散らばっていると。

下ネタ関連はある程度固まっているでしょう。いわばラブホ街です。
同じように、好きな物事にまつわる物も固まっているでしょう。例えるなら商業地域ですね。
生活の知恵、みたいなのも近場にありそうですね。商店街のように。
仕事に関係する情報も固まっているでしょうね。ビジネス街です。
失恋の記憶、なんてのはきっと臨海地域の埋立地とかの隅っこに固めてあるか、人によっては海上投棄したりしてるでしょう。

こういったように人間はある程度関連した情報を固めてまとめて置いてるんですね。

近場にあるものは徒歩でふらふらっと出ても見つかるように、大体苦労なく自然にたどり着けます。特に普段通っていて慣れていればなおさらですね。
印象に残っているところなんかは、行き方を覚えてたりしますから、これもさほど苦労なく辿りつけるでしょう。

しかし、例えばラブホ街歩いてる時にビジネス街に思いを馳せたりはなかなかしないんではないですかね。(一部OL好きの人なんかはともかく) 大体、横を歩いてる誰かさんとどのホテルに入るか。或いは、お気に入りのデリ嬢は今日はどんな格好で来るだろうか、とかそういう、やっぱり近場のことを考えると思います。

ここで、詳細な地図を持ってるとしましょう。
「あぁ、なるほどこっちとあっちはこういう鉄道路線があって、車でいくならこれこれこうで、こことあそこは少し遠いけどよく走ってるから大丈夫だ」とか、そういう風に思考できるんではないですかね。

下ネタをあらゆる物に結び付けられるあの人なんかはきっと、下ネタターミナルから凄い本数のバスがあちこちに出てるんでしょう。
なんでも仕事に結び付けて考えてしまうあの方は、ビジネス街を中心に放射状にいろんな方に路線は伸びてるけれども、隣接自治体同士の関わりは薄いのかもしれません。
突拍子も無いことを言い出すあの殿は、山間部をぶち抜くトンネルを持ってるのかもしれませんし、もしかしたら第一種低層住居専用地域に何故かショッピングモールが建ってるのかもしれません。

友人のシムシティのデータ見て、「そこにそれ建てちゃう!?」な事もあれば「そこのシャトルバスいる!?」みたいな事もある訳です。

人はそれぞれ、各々が必要な情報と情報を結ぶルートを持っています。
逆説的に言えば、必要外のルートは採算取れないんで廃止されちゃうわけです。
(↑これ、脳科学的にも結構合理的なんですよ。)

実際、情報と情報ってのはもっと複雑に絡みあってますが、ざっくりとこういう捉え方も出来るんではないですかね?

普段、電車バスしか使わない人は、決まった路線を逸れて、たまに車で出掛けてみれば、こんなところにこんなものがあったのか!と気付くかもしれません。
普段、バイクだけの人は、自由度は下がってしまいますが、電車に乗ってみれば、流れていく車窓に気付かされる何かがあるかもしれません。

地図を詳細に書き込んで、自分が見易いようにまとめるっていうのも、「自分の思考」というものに対する理解の深化なのだと思います。

4.概念の再定義  (やっと表題…この章で終わります。)

さて、概念の再定義。今日の日記のタイトルですね。
再定義、なんでしょうね。地図の話で言えば「地域再開発」とでも言いましょうか。

人間に限らず、動物は安定を求めます。生殖の為であり、種の保存の為です。
しかし、目先の安定に囚われていては、あとあと痛い目を見ることになりかねません。

住宅地の近くにショッピングモールぶっ建てても、地域の商店街を弱体化させ、シャッター街は治安を悪化させる温床となるかもしれません。買い物をする住民が離れてしまえば、ショッピングモールもただの箱です。

大切なのは、常に「何が正解なのか」です。
多少めんどくさくても、正解を見誤っていなければ結果は必ず良いものとなるはずです。

商店街の各店舗の店主が消費者ニーズを見据え、商法を上手く消費者に合わせていけば、時間はかかっても商店街はかつての活気を取り戻す可能性があるでしょう。

原点に立ち返ってみましょう。
我々が日夜接触する森羅万象を、より齟齬のない安定したソフトウェアを用い、正確に捉える。
そしてそれを上手く自分の中で整理し、定義する事で、自分と言う世界の中に新たな建造物を建てる。
さらにはそれをフィードバックして自分のソフトウェアのエラーを探し、一つ一つ地道に潰して、より正確で安定した情報理解に繋げていく。いわばPDCAです。

「何が正しいのか」という疑念を捨てずに、常に情報やソフトウェアを「更新」していく。
誤った情報があればそれは修正すべきですが、投げやりになるのではなく「何を見誤ったのか」をしっかり深く理解して、いわばハザードマップを作っていく。間違ってしまったことを悔やみ恥じるだけではなく、次に生かす為にしっかりとその事実と向き合う。

こういったプロセスこそが大切であり。結果というのは、指標であり通過点であり一つの駅でしかありません。プロセスを確実に積み重ねなければより良い結果は望めませんし、積み重ねの上にある結果こそ高い評価を受け得るものなのです。結果と言うのは過程の評価なのです。

仕事なんかにおいてはクライアントの意向の沿う必要がありますし、結果が全てだと言われますが、「評価においては結果が全て」なだけであって、過程をすっ飛ばしてまともな結果が出るわけがありません。

常にあらゆる物事、即ち「概念」を精査し、状況や成長に応じてより正確に組み立て直す。つまり「再定義」する姿勢こそが、過程というものの全てであり、そういう姿勢を持って取り組む過程が「より高次的な概念の再定義」につながっていくのです。

ハイ!以上!
お堅いですねー・・・
薄っぺらい自己啓発本みたいになってしまいましたが、今の私の哲学はざっくりとまとめられたかと。
えーっと、約4500字ですか・・・こりゃなかなか・・・。
希望大学のレポが大体3000字以内との事なので、これを週2~3本出さないといけないと・・・。
まぁ、頑張りましょう・・・w 卒論20000字やったかな・・・orz