多少ストレスが溜まったので愚痴を。
「事なかれ主義」 えー、よく聞きますねー。
我が国は特に集団主義的傾向が強い国民性であるとされる事が多いですが、
こういう国民性に密接に関わる「事なかれ主義」について理論的に感情論を振りかざしてみます。
事なかれ主義:紛争を回避し、平穏無事であることをなにより優先する態度。(はてなキーワードより)
平穏無事を何より優先する・・・ 聞こえはいいですねぇー、いやホントに。
大事だと思いますよ。実現できればの話ですけどね。
しかし現実、ヤグったりヤグられたり、アサヒったりアサヒられたり、ありとあらゆる問題が大小問わず、マジタイミングとか空気とか読まずに発現し、我々に降りかかってくるものです。
事なかれなんて夢物語、絵空事、机上の空論です。おとぎ話です。
ですが、「事なかれ」を是として善処し努力する事は、あながち間違いとも言い切れないと思います。むしろ、個々の冷静な考察と努力によって得られる「事なかれ」はまさに「平和」そのもの。
問題が起こらないよう努力し、時に我慢し、時に上手く立ち回り、或いは多少の自己犠牲を払って周囲の平穏を守る。かっこいいじゃないですか。美しい、まさに和の精神です。こういう事なかれなら大歓迎です。こういった中で上手く自己や他者の主張を平和的に考察し、互いを高めあえればより高次的「平穏無事」を目指せる可能性すら感じます。時に、難題に直面する事があっても、個々の努力によって最小限度の被害によって解決できる事でしょう。
人々が互いを尊重し合い、博愛の精神で平和を維持する。実に美しいではないですか。
こういったコミュニティや社会は個々のアイデンティティや自己愛のさらなる成長の礎となるでしょう。
いわば「平和主義的事なかれ」であります。
しかしながら、現実はそうではありません。そんなイージーモードじゃないです。
ろくすっぽ努力もせず、我慢もせず、ただただ問題を「無かった事に」する事に注力するような姿勢が溢れかえっています。努力も我慢もしなければ当然問題は簡単に起こるんですがそこが分からないようです。こういった姿勢の根底には「責任を負いたくない」という回避思考があるように思います。とにかく責められたくない、償うようなことをしたくない、でも努力も我慢も嫌。でも問題は発現してしまう。ならば起こってしまった問題そのものを「無かった事に」してしまおう!という一見天才的に見えて無計画なバカ丸出しの場当たり的思考が根底にあるのです。
これを「責任回避的事なかれ」としてみましょう。
前者が作りあげる「事なかれ」はそれぞれが個々が努力し組織内における責任を果たすことによって成り立ちます。その上で「全体の平和」を目標としているわけですから組織全体が平和なわけです。
一方後者においては、「個々が責任を負いたくない」という大前提の上に成り立っているので、組織全体が平和とは限りません。利害が一致するもの同士が結託し責任の擦り付け合いをする場合が少なくないのではないでしょうか。もっとも利害が一致するもの同士によって形成された組織は問題は起こらないでしょうが。(それも上辺っつらだけですけどね)
表面的かつ短期的に見れば、どちらが作り出すコミュニティも「平穏無事」でしょうが、全くもってそこに至るプロセスが違う訳です。
しかしながら、表面的かつ短期的にしか判断できないバカは前者も後者も同じに見えますから、後者に属するという(あるいは無意識の内に行われる)選択のほうが楽な訳です。
或いは、努力も我慢もせず、責任も負わないという生き方はおのずとこういったコミュニティの形成に荷担し、不必要かつ低次元的な問題に関わる多大な責任を周囲に負わせているのかもしれません。
そして本質的かつ長期的に見た「責任回避的事なかれ」の結束力の脆弱性なんてもう考えたくもありません。見なかったことにしましょう。無かった事に無かった事に…