アイデンティティ確立の重要性 | 愚痴、悪口、その他諸々。

愚痴、悪口、その他諸々。

タイトルの通り陳述します。

えー、真面目ちゃんモードです。
月末はどうやらこうなるようです。

アイデンティティですね、私自身今まさに立ち向かっている課題であります。

アイデンティティ(自我同一性)とは、自分が何者であるか、何をしたいのか、
何をすべきかという問題への対峙を通して確立される、「自分のありかた」であるといわれます。
一般に心理発達において、青年期の課題とされています。

私は具体的に「不甲斐ない自己の受容」とか「自己の能力の認知」の中で
「自分を理解し愛する力」を獲得・確立する時期だと考えています。

えぇ、聞こえはいいですよね。アイデンティティ万歳ですよね。

ですが、人間というのは古来から「社会」というものを形成し、
相互援助の形を作り上げ、時に集団と集団で争い、今日に至っています。
そして、支配する集団が認めないものは「異常」とされ排除されるわけです。
つまりは、ある程度この「社会」というものを念頭に置いて、迎合しなければならない訳です。

と言う事は、アイデンティティ形成など適当に、権力者の言うがまま、
ただなんとなく流れに身を任せて似たもの同士馴れ合って生きてるほうが、
何も考えず、疲れず済む訳です。

或いはこういうありかたも一つの「アイデンティティ」なのかもしれません。

しかし、こういった考えが「個の尊重」や「少数意見の尊重(≠全面受容)」に
果たしてつながるでしょうか?

あらゆるものの多様性が爆発的に広がる昨今において、
非常に前時代的かつ時流を無視したあり方だと思う訳です。

高い自律性に基づくより良い個々のアイデンティティの確立があってこそ、
より良い集団形成が生まれ、多様性の富んだ心豊かな社会になるのでは、
と思う今日此の頃であります。

えー、非常に思慮と学が浅いですねー・・・ 
幸いモラトリアムを頂ける環境にあるので、ゆっくり学ぶことにします。
書きたい事はまだまだありますが、今回はこの辺で。