性的少数者に対する認識について考える。 | 愚痴、悪口、その他諸々。

愚痴、悪口、その他諸々。

タイトルの通り陳述します。

深夜だというのに頭が真面目ちゃんモードです。
備忘録的、殴り書き的、かつ暇つぶし的に真面目なことを書きます。

表題のとおり、「性的少数者に対する認識」について、私なりに考えてみたものです。

昨今、LGBTという単語が少し一般に認知されてきたかもしれない・・・とは思いますが、
私に言わせれば非常に視野の狭い話な訳で。

LesbianとGayは言わずもがな同性愛者。Bisexualityが両性愛。
Transgenderは非常に端的に言えば性同一性障害。
この4つの頭文字を取ってLGBTという括りになってます。

しかしながらこの4つに含まれない「性的少数者」というのも看過できない数が存在する訳です。

たとえば、「男女どちらにも帰属意識を持たない」あるいは「両方の性に帰属意識を持つ」という人。
或いは、男女二元論に限らず、あらゆる性的特徴の人に対して性愛感情を持つ、
「オムニセクシャル(全性愛)」という性的指向であったり。
誰に対しても性愛を抱かない「アセクシャル(無性愛)」という性的指向であったり。
それから、性指向とは同列に語るべきではありませんが性分化疾患という、身体的性別が非典型的である人も居られます。

※あえてメディアや巷で取り上げられるような呼称は使いません。興味のある人はググってください。

ここまで掘り下げると、そもそもの「性別二元論」というものや「性愛の定義」にスポットを当てる必要性を感じます。が、無学故に死ぬほど長くなるのですっ飛ばします。

ちなみに、私個人としては、「性別(特に心理的側面)というのはあくまで傾向であり、多数が男女どちらかの典型に当てはまるだけであって、その特徴は千差万別である。ゆえに(特に心理的な分野においては)可能であれば単純かつ安直に二分、或いは三分するべきものではない。」というのが今現在の見解です。

さて、少し話が逸れましたが、「性的少数者」というのは結構幅広いものなんです。
ということをまず言いたかったわけです。
或いは「小児性愛」なんかも性的少数者に含んでもいいのかもしれません。

正直なところ「典型的男性或いは女性」なんてのが本当に多数派なのか?という疑念すらあります。
誰しもがそれぞれに性的指向・嗜好を持っている訳ですから、区別する線引きの場所と量の問題であって、人口を上限としていくらでも細分化できるのではないか?と。
現実問題として便宜上、扱い易い位置に線を引いているだけなのではないか?と・・・

これはたぶん性的少数者に限らず、あらゆる「マジョリティ・マイノリティ」の問題に当てはめられるのではないでしょうか?そもそもの線引きを見直すべきものって沢山あると思います。

こういった視点の移動から私は「性的少数者に対する認識」においては「性というカテゴリが特に一般的に興味の的に成り易いが故に、多くの当事者の実際の生活・感覚とは剥離した『イメージ』が先行している事が問題なのではないか?」という考えに至ったわけです。

つまりは、嫌悪感や差別なんてものを語る以前の問題であって、
まず両サイドの認識の違いを整理し、可能な範囲で統合するべきなのではないか?と。
少数者側も含めて、あらゆる「偏見」をまず軽減する事が重要なのだと思います。

もっと言えば、日常のコミュニティに置ける人間関係においては、
他人を「個」として認識し、性別をはじめとする特徴はあくまで「タグ付け」程度に留めるべきなのではないかと思います。

あくまで理想論ですけどね・・・
全人類がこういった思考を共有してしまうのはそれはそれで問題ですし。

こういった過程を経て、ようやく「差別」だとかなんだとか言う話になってくる訳ですが、
私は、前述のように「偏見」が軽減されたところで、「嫌悪感」を抱く人は無くならないのではないかと考えています。

そもそも「嫌悪」と「差別」は何故か混同されがちですが全く別物です。
何にでも嫌悪感を持つ人は居ます。

極端な話「クチャラー」と同じことです。
特定の特徴を生理的に受け付けないのと同じ事です。

ひっくりかえせば「同性愛者」が異性に対して性愛感情を持たないのと
似たようなものではないでしょうか?

さらに掘り下げ、生物学的見地で見れば「子孫を残せない種を沙汰しよう」という動きが起こるのは至極当然な事、とも捉えられる訳です。

私は、そういった嫌悪感や「劣等」という認識について、不当性は感じません。
十分に発現し得る主張だと思います。

ただ、それを当事者、或いは関係者に対して口に出して卑下する事は、
あまり文明的な思考ではないと思いますが・・・
それは「お前の性格や容姿が気に食わんから失せろ」というのと同じですからね。

結局のところこういった問題においての目標は「差別を無くしましょう」というより
「偏見を無くしましょう」という文脈において語られるべきであって、
偏見が軽減された上での嫌悪感や排他意識というものに対して、
解消や妥協点を探る為の議論は有意義かもしれませんが、
必要以上に問題視すべきではないと思います。
むしろこういった感情や主張を抑圧するのは、逆差別につながるものであると考えます。

以上。

えー、乱文長文、お目汚し失礼しました。2000字越えましたww
この穴だらけの理論をきちんと整理して次に進むために大学に行こうかと思います。