
昨日は、大阪いずみホールで、ラドゥ・ルプーを聴いた。
昨夜のルプーは、もはや『神』の領域だった。
音楽を「楽しむ」などという気楽なものではなく、
かと言って、自己と「対決する」というような凄惨なものでもなく、
ルプーは、厳しく神聖な、霊的な世界に身を置き、
音のひとつひとつを、限りなく繊細に積み上げていた。
演奏というのはある種の降霊術だと思う。
演奏が高度な再生芸術であるということを、
私に最初に考えさせたのはイーヴォ・ポゴレリチだが、
そもそも演奏家が何を「再生」しているかというと、
それは、偉大な作曲家たちが書き記した「言葉」なのであり、
現代音楽でない限り、そうした作者たちは皆、既に故人だ。
演奏家は、死者の声を聴き取り、自分の手技でそれを形にして、
私たち聴き手に届けてくれる。
演奏という行為で作品が再生されている間だけ、
私達は、今この瞬間に蘇った作曲家の言葉を聴くことができるのだ。
昨夜のルプーは、シューベルトひとりと、深く深く対話していた。
シューベルトの、音楽への純粋な敬愛や畏怖、逡巡する言葉、
ルプーの中では、それらが天上の歌となって木霊していて、
彼はそれをつぶさに追って再現しつつ、
この美しい音を重ねているのだろう、と私には思われた。
ラドゥ・ルプー 11月6日(火)19時開演 いずみホール
シューベルト・プログラム
16のドイツ舞曲 D783、op.33
即興曲集 D935、op.142
1.ヘ短調 2.変イ長調 3.変ロ長調 4.ヘ短調
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ピアノ・ソナタ第21番 変ロ長調 D960(遺作)
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アンコール:
スケルツォ 変ニ長調 D593-2
楽興の時 D780より第2曲 変イ長調
プログラム冊子に、ルプーの過去の来日公演の記録が掲載されていて、
1973年の初来日以来、前回2010年までの十回に及ぶ来日公演の、
公演地とプログラムが出ていた。
今回はルプーの11回目の日本ツアーとなったわけだが、
こうして改めて眺めてみると、ルプーは本当にショパンを弾いていない
(87年リサイタルで、ピアノ・ソナタ3番を取り上げたのみ)。
シューマンもブラームスもよく弾くのに、ショパンと、それにリストは、
ルプーがその言葉を聞き取ろうとする作曲家ではないようだった。
演奏家が弾く作品を選び、プログラムを組むときには、
作曲家のほうでも、言葉を託す演奏家を選んでいるに違いない。
その時点で、作曲家と演奏家の霊的な交流は
既に始まっているということなのだろう。