ショパン『ピアノ・ソナタ第2番』第一楽章の謎 | 転妻よしこの道楽日記

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80年代始めに熱心にピアノを聴いていた者にとっては、
イーヴォ・ポゴレリチとの出会いの曲は多分、ショパンのどれかで、
中でもデビューアルバム『ショパン・リサイタル』の一曲目だった、
ソナタ2番の第一楽章は、多くの人にとってポゴレリチの印象を決定づけた、
大変特徴的な演奏だったと思う。

この一楽章の開始部分は、この曲を知っている人が鼻歌にするなら100人が100人とも、
「♪タラン・タララン、タラン・タララン」
的なリズムで歌うだろう。あるいは、この箇所のリズム感を体得する方法として、
「♪愛って何、愛って何」
という歌詞を当てはめる人もいると聞いたことがある。

 (問題の箇所の楽譜:ピアノ曲解説 ピアノ・ソナタ(ショパン・ウェブ))

ところが、ポゴレリチのリズム感は独特なのだ。
いっ」 「てにっ」
みたいな音型になり、しかもデビューアルバムでは相当な速度で弾いているので、
極端に言うと「あ」と「な」の箇所の音しか印象に残らない。
唐突に背中をド突かれてるみたいなリズム感で、
どう聴いても、私たちが知っている「タラン・タララン」ではなく、
強いて歌うなら、「タ!…・…ラ!…」だ。
さらに彼はペダルも、多分ほとんど踏んでいない。

私は長らく、この箇所は彼の独自の解釈なのだろうと思っていた。
もともと若い頃から、ポゴレリチは特異なリズム感で注目された人だし
(ベートーヴェンのソナタ32番二楽章の、第二変奏、第三変奏など)、
ショパン演奏の際にも批評家言うところの「現代的な感覚」を発揮したのだろう、
と私は彼の弾き方を楽しんで聞いていた。

それが、まさに今日の昼前に、覆った(笑)。
ポゴレリチは意図的に他人のしない新しいことに挑戦してみたというより、
むしろ頑ななまでに、もともとの楽譜通りに弾くことを追求していた、
ということが、わかったのだ。
きっかけは、私のピアノ仲間の某氏がこの曲を練習していて、
自分でも気づかぬうちに相当な速度で弾いてしまったときに、
あとからその録音を聞き直したら、なんと、ポゴレリチの弾いていたリズムと
実によく似たかたちになって聞こえた、という話をしてくれたことだった。
それで改めて楽譜をよく見てみると、確かに楽譜そのものがそうなっていた、
と某氏は、語ってくれた。

某氏の指摘の通り、楽譜に書かれているスラーを忠実に再現するなら、
♪タラン・タララン とすべての音がきちんと聞こえるような演奏になるより、むしろ、
ポゴレリチがやっているかたちの強弱がつく方が自然だ。
ポゴレリチのほうが「自然」だ、などと書くと、
我ながら違和感に耐えがたい思いになるが(爆)、スラーは明確に切れているし、
各スラーの最後の音が、弱く消え入るかたちになるのも道理に適っており、
更にその次には休符もあるのだから、フレージングとして、
ポゴレリチの弾き方は、少なくとも全く間違っては、いない。

多くのピアニストは、しかしそれでは音楽が流れない、と感じるだろう。
この右手のリズム、……最初に提示される、三つの音が「つぶて」か何かのように
めくるめく速さで打ち付けられる様を、どう表現するのが良いかと工夫を凝らすのが、
ほとんどピアニストにとって課題である筈だ。
また、音色を工夫しなければ、重厚な左手の響きの中に、ともすれば旋律が埋没してしまう。
そこで編み出されたのが「♪タラン・タララン」に聞こえる弾き方だったと思うのだ。
ペダルも、ほとんど踏みっぱなしに近い演奏も世の中にはよくあるし、
美しく整ったさざ波が遠くから寄せて来るような「♪タランタラランタランタララン…」
も、私はほかの演奏家でなら、幾度も聴いたことがある。

「私は楽譜通りに弾いている」「根拠のないことは、やっていない」
とポゴレリチは若い頃、インタビューのたびによく言っていたものだが、
なるほど、彼のこだわりの一端を私は四半世紀を超えるファン歴の中で(笑)
ほぼ初めて具体的な箇所を通して、理解することができた。
こういうところに私が気づかずにいたのは、ひとつには私自身が、
このような曲を手がけるような技術のある弾き手にはほど遠く、
「聴く」ことしかしていなかったから、というのも理由だと思うが、
やはり聞き手としての私自身がそもそも、
彼のしていることの多くを、聞き流して来たのに近いということなのだろう。

2007年来日公演のBプロで、ポゴレリチはこの曲を弾いているのだが、
残念ながら私はAプロのほうしか聴けていなくて、
以後も、ポゴレリチのショパンのソナタは3番のほうにしか縁がないままだ。
今の彼なら、これをどう弾くのか、なかなか興味深いところだと思った。