旅行中は新聞やニュースなど見る機会が少なかったが、
大きな出来事と言えば、ビン・ラディン殺害と、焼肉店の食中毒事件か。
日本その他の死刑制度に賛成しない人々の場合、
ビン・ラディン殺害をJustice has been done.(正義は、為された)と
表現するオバマ大統領のスピーチには共感できるのだろうか。
また、『汝の敵を愛せよ』という聖書の言葉があるが
仇であるビン・ラディンやアルカイダの人々と理解し合える力や、
彼らの救済や幸福を願う力を、どうか我々に与えて下さいと、
キリスト教徒たちが神に祈るのは、あり得ないことだったのだろうか。
神の愛を知らない人間なら、憎い仇は殺していい、と考えるのは自然だろうが、
聖書はそんなことは、すすめていないのではないか、と私は思うのだが。
私が教会の外の門でうろうろしながら、中に入れない状態で長年過ごしているのは、
きっと、いつもこのあたりでつまづくからだろう。
以前、どこかの掲示板で、カトリック信者だという方が、
『キリスト教を迫害した存在だから、神社の鳥居なんて見るだけで虫酸が走ります』
と書いていらして、私は結構失望したものだった。
自分を害する者のためにさえ祈ることのできるのが、信仰かと思っていたのだが、
私はキリスト教に対して、自分勝手な理想を当てはめていただけなのかもしれない。
『信仰だけでは信仰さえも守りきれないのが、人間世界の現実である』
と塩野七生氏がお書きになっていた通り(『十字軍物語』)、
信仰しているだけでは、一方的に奪われるばかりで自分たちは何も出来ないから、
信仰を守るためには人を殺すこともやむを得ない、という考え方になるわけか。
皆が平等だと唱えながらも、現実には指導者に権力を与え全体主義を徹底しなければ
最初の理念さえ定着しない、という共産主義の弱点と似たようなものか(汗)。
一方、食中毒事件の話のほうだが、被害が拡大しているようで正直、驚いている。
O-157など、十何年か前に非常に騒がれたあと、最近はずっと、
皆無ではないにせよ地味な話題にしかならなかったと思うのだが、
このほど、O-157やO-111が突然に広がったような印象がある。
私は焼肉店に行く機会がほぼないので、自分ではユッケを食べたことがないのだが、
焼肉店ならどこでも、以前からユッケは定番メニューだったはずだ。
これまでは何も起こらなかったのに、今回急激にこういう被害が広がったのは、
一般的な肉の品質や管理の問題以外に、何か別の原因があったのではないかと思う。
勿論、現実問題として、生食用牛肉の流通の基準が、ひどく曖昧で、
いい加減なものだったことは、今回の事件で初めて明るみに出たことなので、
改善して行かねばならない問題だと私にもわかったのだが、
それとは別に、この短期間に同じ系列店ばかりで食中毒が出たということは
その店の調理方法や、あるいはそこに材料の肉を業者が納品するまでの段階で、
今までには無かった問題が起きていたということではないかという気がする。
もしそうなら、何が問題だったかをはっきりさせて貰わないと、
焼肉関連業者全体が打撃を受けることにになってしまうだろう。
そうでなくても今回のことで、「外食」「生もの」に関する一般的な信頼感は
やはり、多少なりとも揺らいでいると思う。
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などと、結論も出ないことを、つらつらと考える休日なのだった(苦笑)。
広島はフラワー・フェスティバルの最終日で、娘は午後から見に行った。
主人は自室のテレビで野球を見ながら昼寝。
私は、これをUPしたら、例のほんやくコンニャクをなんとかせねば。