
『忌野清志郎+有賀幹夫写真展NAUGHTY BOY』を
4日に道頓堀のスタジオZAZAで観てきた。
NAUGHTY BOY King of Rock'n Roll 忌野清志郎+有賀幹夫写真展
私はほとんど予備知識無しに行ったので、
写真がいきなり86年から始まっていたことに不意を突かれた。
そして、胸が熱くなった。
多分、私が一番強く憧れたのが、この時期の清志郎だった。
82年に彼を知ってから、当初はこちらの予想を遙かに超える、
清志郎の強烈さにただならぬものを感じて、心惹かれたのが、
だんだんと、86年頃にはアーティストとして純粋に、
清志郎の表現するものに惚れ込むようになっていた。
売れ始めた頃の、どぎつい濃いピンク調のメイクアップが、
次第に洗練されてきて、入れ替わりに、清志郎の存在感そのものに、
スケールの大きさと貫禄とが備わってきた時期だった。
86年以降、RCサクセションが活動停止するまで、
私は、ツアーは必ずどこかで聴いたし、野音も武道館も皆勤だった。
写真で並んでいる清志郎を観るだけで、音が蘇ってきた。
チャボのギター・リフも遠くから聞こえてきた。
「OKベイベーOK、夏には、日比谷の野音で、会おうぜー!」
と言った清志郎の声も、思い出した。
ステージの清志郎、レコーディングスタジオの清志郎、
街角に立つ清志郎、メンバーや仲間と談笑する清志郎。
見覚えのある顔もあれば、初めて見る表情もあった。
舞台の上から観客を思い通りに翻弄する、KING忌野清志郎、
どこかの室内で、はにかんだように笑う、きよしくん。
さすが有賀幹夫氏の写真なので、
ミック・ジャガーと並んだ清志郎も、あった。
清志郎は夢を叶えて、ここまで登り詰めたのだなあと思った。
映像では、ごく最近の清志郎のライブも上映されていた。
清志郎は私にとって、強く強く憧れた遠い存在から、
だんだんと、敬愛する偉大な「同志」になり、
最後には、胸の痛いほどいとおしい人になって、逝ってしまった。
若いときの清志郎と、最近の清志郎とが並んでいると、
私には、その間の何年もの自分の思いが、一度に蘇った。
清志郎は、いつもずっと「忌野清志郎」だったのだ、
と写真を見ながら、前にも思ったことを、また思った。
彼が公開した闘病は、復活公演の最初にスクリーンに映し出された、
あの、抜けた髪がだんだん生えてくる過程を並べた何枚か、だけだ。
それ以外、私たちにとって清志郎は、ただ一貫した「忌野清志郎」だった。
清志郎が私たちに見せようとしなかったものが、
きっと物凄くたくさんあったと思うけれど、
私たちは、ただ彼が表現したものだけを受けとっていれば良かった。
それで、良かったんだと、改めて思った。