淀どの日記 2 | 転妻よしこの道楽日記

転妻よしこの道楽日記

goo blogサービス終了につき、こちらにデータをとりあえず移しました

井上靖『淀どの日記』、昨日今日でほとんど読了した。
淡々とした文体なのだが、展開が巧みで、読者を惹きつける本だった。
こういう小説と巡り会えたのは、たかこさんの御陰だと思うと有り難い。
あとほんの少し残っているのだが、
読み終えてしまうのが勿体ないような気さえする。

映画ではどこに焦点を当てることになるのか、まだわからないが、
幽閉同然の茶々の少女時代、政略結婚に翻弄される女性たちの姿、
ひとりの男性を正室側室で取り囲むような結婚の実態、
など、現代の我々の生活感覚では感情移入しづらい設定が多々あるし、
また、仇敵だった男性に対して抱く思いがけない執着や、
我が子への溢れる慈しみ、息子を権力者にするまではと思う業の深さ、
等々は、宝塚歌劇団の主演者だったたかこさんには、
おそらくほとんど実生活上の接点が見いだせない事柄ではないか、
という気がした。

しかし、演技者であれば、「経験がないから理解できない」、
だから「演じられない」、とは思われない。
かのスタニスラーフスキーが、演技の組み立てのために、
経験から来る感覚の再現を重視したからと言って、
狼少女をやるために山で野生動物として暮らしてみるという、
紅天女候補・北島マヤの方法論は、いかがなものかと私は思う。

演じる本人が、一度も経験したことのない事柄でも、
また、本当はどうだったか知りようのないことでも、
『なるほど、そうだったかもしれないな。わかるような気がする』
と観る者に感じさせるのが、役者の仕事ではないか。
それは必ずしもリアリティなど伴わなくて良いと私は思う。
それどころか、大嘘だったとしても、一向に構いはしないのだ。
観客の心に触れ、感覚的なところで深く納得させ、
その気持ちを揺り動かすものでありさえすれば。
観客は、虚構でも胸躍るようなものをこそ支持するのであって、
つまらぬ事実や現実なら、代金を払ってまで確認したいと思わない。

ここまで考えて、私はハタと思い当たった。
たかこさんは、これまでずっと、「男」を演じてきた人だ。
女性に生まれた以上、どんなに努力しても絶対に経験してみられない、
「男」というものを、演じ続けてそのことで人気を集めるのが、
彼女に課せられた、宝塚の男役としての役割だったのだ。
経験がないから、想像が及ばないから、などということは、
このような人にとって、今更、一体、なんの妨げになるだろうか。

ただ、技術上の問題に関しては、それで全部解決するわけではないのが、
なかなか、ツライところだ。
昔、某男役が宝塚の公演で初めて女役を務めたとき、
ポスターの写真は物凄くキレイだったが、動くと新宿二丁目だった、
という思い出が、私の脳裏に、
今、鮮やかに蘇ってきているのもホントウだ(逃)。