「自分は何でこんな事が出来ないのだろう、こんな風に考えてしまうのだろう、そんな自分が嫌だ」
、、と思う事ありますよね、特に努力していたり、意識を高くしようとしている時期に意外とそうゆう事は多いかもしれません。
実際にその事が原因で苦労や損をしたり、人に嫌な思いをさせている事もあるかもしれません。
しかし、考えてもみてください、、そういった自分の嫌な部分て「大多数のみんなは普通に出来るのに」「うまく出来て当たり前なはずなのに」だめ、出来ない、、
という前提があっての事ではないでしょうか、自分以外の誰も出来ない事を自分が出来なくてもそれはコンプレックスにはなりません。
だから「他者との比較はやめましょう、あなたはあなた!」という事を今回は言いたい訳ではありません。
そう自分を許容出来るのなら良いでしょう。
それで事が済むなら誰も悩まないのではないかと思うのは私だけでしょうか笑
他人と比較する事は悪い事ではありません、そういった分析も出来ないとポジショニング戦略にしろ、現実世界をうまく生きられませんからね、必要な事です。
ここで一つ視点を少し変えてみてください。
みんなは出来る、私は出来ない。
みんなは多数、私は少数派。
これって良し悪しは別にして個性と言えないでしょうか?
高次元の世界、いわゆる神様の世界やその先の体験をしてきた人によると、そういった所では、すべての人、万物が自分であり自分が世界の全てなんだと気付き至高の幸せに包まれる、、、、
といった話を聞いた事があります、ワンネス体験というものの様です。
そういった世界では一は全、全は一なので個性というものは存在しないでしょう、何しろ「個」というものがないのですから。
例えば、、
すごく精神的レベルが高い人やとてもポジティブな人の話を聞いているとみんな結局同じ様な事を言っていて
「個性ないな、面白くない」「本当に自分の意見なんだろうか?良い人だから誰かの意見を鵜呑みにしてるんじゃ?」
と思ったり心配になった事はないでしょうか?
しかし恐らくですがこう言った方々は本当に自分の内なる思いを言語化しているのに過ぎないのだと思います。
そう、人間進化が進んで次元上昇するにつれてネガティブを手放し、自然とアクや個性は無くなって行くものなのだと思います。
そう考えると、、ですが、
この自分の嫌な所やダメな所、ネガティブって、一度もう飽きてしまって手放してしまったらもう二度と味わい手にする事が出来ない、この地球で人間として生きる上ならではの貴重な自分が自分である印の一つなんではないでしょうか。
そう思うと自分の中のネガティブってある意味愛おしく、手放し難い自分の大切な個性と言えるのだと思います。
飽きてしまったらもうそれ手放す事は誰にも止められないのですから笑