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リーダーズコーチ・陣幸四郎のつぶやきブログ

日々、リーダーズコーチ・陣幸四郎のつぶやきブログ。

「自分は何でこんな事が出来ないのだろう、こんな風に考えてしまうのだろう、そんな自分が嫌だ」

 

、、と思う事ありますよね、特に努力していたり、意識を高くしようとしている時期に意外とそうゆう事は多いかもしれません。

 

実際にその事が原因で苦労や損をしたり、人に嫌な思いをさせている事もあるかもしれません。

 

しかし、考えてもみてください、、そういった自分の嫌な部分て「大多数のみんなは普通に出来るのに」「うまく出来て当たり前なはずなのに」だめ、出来ない、、

 

という前提があっての事ではないでしょうか、自分以外の誰も出来ない事を自分が出来なくてもそれはコンプレックスにはなりません。

 

だから「他者との比較はやめましょう、あなたはあなた!」という事を今回は言いたい訳ではありません。

 

そう自分を許容出来るのなら良いでしょう。

 

それで事が済むなら誰も悩まないのではないかと思うのは私だけでしょうか笑

 

他人と比較する事は悪い事ではありません、そういった分析も出来ないとポジショニング戦略にしろ、現実世界をうまく生きられませんからね、必要な事です。

 

ここで一つ視点を少し変えてみてください。

 

みんなは出来る、私は出来ない。

 

みんなは多数、私は少数派。

 

これって良し悪しは別にして個性と言えないでしょうか?

 

高次元の世界、いわゆる神様の世界やその先の体験をしてきた人によると、そういった所では、すべての人、万物が自分であり自分が世界の全てなんだと気付き至高の幸せに包まれる、、、、

 

といった話を聞いた事があります、ワンネス体験というものの様です。

 

そういった世界では一は全、全は一なので個性というものは存在しないでしょう、何しろ「個」というものがないのですから。

 

例えば、、

 

すごく精神的レベルが高い人やとてもポジティブな人の話を聞いているとみんな結局同じ様な事を言っていて

 

「個性ないな、面白くない」「本当に自分の意見なんだろうか?良い人だから誰かの意見を鵜呑みにしてるんじゃ?」

 

と思ったり心配になった事はないでしょうか?

 

しかし恐らくですがこう言った方々は本当に自分の内なる思いを言語化しているのに過ぎないのだと思います。

 

そう、人間進化が進んで次元上昇するにつれてネガティブを手放し、自然とアクや個性は無くなって行くものなのだと思います。

 

そう考えると、、ですが、

 

この自分の嫌な所やダメな所、ネガティブって、一度もう飽きてしまって手放してしまったらもう二度と味わい手にする事が出来ない、この地球で人間として生きる上ならではの貴重な自分が自分である印の一つなんではないでしょうか。

 

そう思うと自分の中のネガティブってある意味愛おしく、手放し難い自分の大切な個性と言えるのだと思います。

 

飽きてしまったらもうそれ手放す事は誰にも止められないのですから笑

 

 

 

 

 

 

 

「そんな事わかっているよ!」

 

と言いたくなる様な事を言われた経験は誰でもあると思います。

 

私もありました、、と言いたいところですが今もあります笑

 

過去に暴食を繰り返して今よりも20kg程度太っていた時、よく身近な人間から「そんなに太っていると今は良いけどそのうち病気になってしまうよ!」などと心配をされて良く耳に痛い事を言われていました。

 

自分自身も逆の立場で良かれと思って人に転ばぬ先の杖の様なアドバイスをするも一向に相手に変化はなく、場合によってはより態度を硬化されてしまう事もあります。

 

本人もそうした方が「良い」事は百も承知、でもどうしても出来ない、なぜでしょう?

 

ここで当人や自分を頑固で頑なだ、能力がない、天邪鬼のひねくれ者、、と思い込むのは簡単です。

 

いずれにしろこのままでは自分の脳に対して「やらなければならない」「でもやりたくない」と言う逆方向の司令を与えてダブルバインド状態となり、膨大な精神的労力を払いながら現実の自分の行動は指摘をされた時点での行動パターンで固着してしまいます。

 

ここで一つ視点を変えてみませんか?

 

「やってはいけないダメな事をしてしまっている、自分自身を大事に出来ないダメな自分」

 

ではなく

 

「むしろ積極的に暴食を繰り返し一般的にマイナスでしかない「肥満」と言う状態を経験したかったんだ、これで良いのだ!」

 

と。

 

自分自身を思い返してみてもその当時は暴食を繰り返し嫌だ嫌だと思いながらも太りに太りました。

 

しかしある地点で「これも良いかも」、、と諦めにも似た開き直りの様な気持ちになりました。

 

考えてみると誰もが食事に気を遣って食べたい物も食べられない中で何でも制限なく食べられる事は嬉しい。

 

道すがらすれ違う人が私のお腹を見て自分のお腹をさすっていく事や、あからさまに人から「太ってるねー」と苦言を呈される事も「あーそう思うんだそう反応するんだ」と流せる様になっていました。

 

そうなって来ると面白い事に「あれ、自分別に太ってなくても良くない?」とある種フラットに考えられる様になってきて頑なな抵抗感が消え、簡単に自分が痩せていく習慣、行動を取れる様になって来たのです。

 

要は太った自分という経験に「飽きた」のです。

 

そう!

 

「飽き」こそ人生を前に進める一番強力な感情なのかもしれない!

 

 

、、、、とその時気付いたのです。

 

思い返してみると会社員時代、嫌だ嫌だ転職したい、辞めたいと思っていた時は何も事態が動く事はなく、、、

 

「あぁもう仕方ないや、なんかここも居心地良くなってきたし、仮に一生このままでも致し方ないかな」

 

とこれまた半ば諦めの境地に達して穏やかな日々の足音が聞こえ始めた時期に急転直下で良い条件で引抜きの話をこちらが何のアクションもしていないにも関わらず環境が変わったという事がありました。

 

これも、嫌だ嫌だ、もしくは(自分が)ダメだダメだ、まだまだ、と思っていた時には永遠とも思える時間状況が変わらず。

 

「まぁこれもアリか、そうゆう事ね」と冷静に「観察」する様な態度に移行した時に「飽き」が訪れ状況が好転する。

 

「もうこの状況は必要ないよ、得るもの(=ネガティブな感情)がもう湧いてこないからね」と誰かが囁いている様に。

 

まとめ、、

 

「飽きる事」は前提としてある程度「肯定的に捉える事」「受け入れる感覚」が必要、その際「何を受け入れるか」というのは「ポジティブに捉え感謝できる様にする」という事では必ずしも無く「この嫌な状況(人、物)は嫌だ」という感覚は持ち続けるものの、「これ(あいつ)はずっとこのまま変わらないだろうよ!」とある種、状況や相手が変わらない事、あるがままでいる事を受け入れる事。

 

「嫌なものは嫌、受け入れられないものは受け入れられない」という感情自体はその時点で捨てる必要はなくて、ただ「相手や環境を無理やり変える」気持ちを手放す。

 

ある意味状況と自分を切り離して傍観者に徹する事も時には好転をもたらす、自分自身の体のことであっても笑

 

 

 

「ネガティブな経験や感情などは感じたく無い!ポジティブだけで生きたい!」

と思った事はありませんか?

 

私もそう思います、痛いのとか辛いのは嫌ですものね。

 

しかし、この思いが存外にも人生の中で訪れる「問題」を延命させている原因かもしれません。

 

以前私が関わっていた自己啓発系のサークルでこんな事がありました。

 

そのサークルはポジティブ大好きでキラキラ明るい人達が多く、運が悪いと言うか悪い事があってもその事を気に病まない心掛けがありました、その事自体は素晴らしい事です。

 

例えば、不意に車の運転をしていて自損事故を起こしてしまったり、空き巣に入られて少額被害にあったりした時に、、、

 

「人を傷つけた訳でないからよかった」「空き巣と鉢合わせて乱暴をされる様な事が無くて良かった」

 

と思考と気持ちを切り替えるのです。この事自体は分かります。

 

そしてさらに、、

 

「悪い事があったけどラッキー!ついてる!その分運が巡って良い事がある前触れだ!」

 

、、、と二段活用しているのにはその当時驚き理由は分かりませんが違和感を感じていました。

 

さて、こういった経験から今は

 

「ネガティブな感情はしっかりと受け取って感じた方が良い」と思います。

 

その理由としては

 

まず現実的な面から、程良い位に「自分のせいだ」と錯覚してこんな事はもう嫌だと思わないと自分の行動が変わらないので同じ事を繰り返す可能性が高いからです。

 

睡眠不足のまま運転したり、スマホ片手に運転していたのかも知れません。空き巣についても窓やドアを二重ロックにしたり民間の警備サービスなどを導入すれば格段に繰り返す確率は減ります、当然のことですが。

 

そして、感情面や本質的な面から言っても、人は光の世界では存在しないネガティブな事柄を「この事を経験しよう!」とわざわざ地球で体験、観察し識る為に生まれてきているので、その目的であるネガティブをしっかりと観察して感じ切るまではこれまた繰り返します。

 

ネガティブな感情、寂しい、悲しい、窮屈、自分は○○が足りない、この人が嫌だ苦手だ、、etc

 

それは確かにその人自身の心の中の思い込みが作り出した幻想です、適切なブロック解除を行えばそれが嫌なものであった事自体忘れてしまいます。

 

しかし、それが〇〇が「嫌だ」と思う事を恥じて自分自身に感じる事を禁じてしまうとその感情自体を観察出来ていないのでそれを知る事ができず、変わる事も出来なくなってしまいます、やせ我慢ですね。

 

ネガティブな感情をしっかりと認め、観察しレポートとして宇宙に報告書を送り、その後ブロック解除をすれば跡形も無くなります。

 

なので黒いと言うだけで他の野鳥と大して存在としては変わらないカラスを無闇に邪険に扱う様に自分の中のネガティブな感情を忌み嫌ったり無かった事にするともったいないです。

 

せっかく、本来は喉から手が出る程、ある時点では経験したかった感情のはずなので。

 

ネガティブな感情を体験する事は地球に来た一つの大切な目的、しっかりと観察して報告書にまとめて還しましょう!

 

 

 

 

①「あなたを○○と言う神様(天使、守護存在、、、etc)がサポートしています」

 

と言う様な事をスピリチュアルや心の世界に親しんでいる人なら言われた事が一度はあると思います。

 

そんな時あなたはどう思うでしょう?

 

「有難い」「恐縮です」「驚き!」はたまた「本当かなぁ」と言った所かもしれません。

 

本当かどうかは分かりません。

 

「自分の中でしっくりくるかどうか」と言うことに尽きると思います。

 

ここで問題にしたいのはそう言った事の「真偽」ではなくてそう言ったいわゆる「高次元の存在」と言われる存在に対しての「捉え方」についてです。

 

「自分の外ではなくて内側に答えを求める」

 

これもよく言われる事です。

 

なぜなら、この地球に生きる人間はかつて、すべからく神の如く万能な存在であったからです。

 

ただただ自分自身がこの地球で肉体を持ち自分自身の正反対の資質、非万能、ネガティブを体験するだけの為に

 

イメージして見て下さい、、、

 

地球を見下ろしながら、肉体を持ち、その肉体の中に「自分の一部」を送り込み地球でリアルな体験をしたい。

 

最近話題のVR体験と少し似ていますね、決定的な違いは「自分の一部」を確実に送り込まなければいけない所。

 

「この万能感、千里眼は除いておかないと出来レースみたいになって面白くないよね」

「何でもできるって感覚も地球上のネガティブ体験には不要だね抜いておこう」

、、、、、、、、、etc、etc

 

とはい!最初の地球上の「私」出来上がり!

 

、、、とその過程で抜き去ったエッセンスが神様、守護存在、ハイアーセルフと後に呼ばれる様になる「元自分の一部」です。

 

なのであなたに影響を与えうる存在、そして実は家族や友人にも遠慮や下手な気遣いをする必要は全くないのです。

 

なぜなら「元自分」なので。

 

あとは、、、地球はそもそも非万能を体感する為に何とかして作られた世界であり「ネガティブ」はその為に大変役に立つもの。

 

なのでネガティブである事、1日の中で嫌だった事ばかりに目がいってしまう事を「恥じる」必要は全く無いのです。

 

そもそもそれがある意味地球人として真面目に使命を果たしている姿だから。

 

だからやはりグチを言い合って仲良くなる部分はあるし、ちょいワルは相変わらず魅力的なのだ、それで良いのだ。