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リーダーズコーチ・陣幸四郎のつぶやきブログ

日々、リーダーズコーチ・陣幸四郎のつぶやきブログ。

先日、文字通り、自身のガイド(ガーディアンエンジェル)との邂逅を果たした。

 

それは、、、

 

「良くここまでこれたね」

 

涙を流すことは余りない、苦手だと思っていた。

 

感情の解放、心のブロックに気付き手放すたびに涙を流せる人はただ単にラテン系なのだと思っていた。

 

困ったものだと、淡々と恬淡と生きていきたいものである。

 

大抵のことは何とかなるし、大したことないのだ、みんな騒ぎすぎなのだ、怪我をしたとしてもいつかは治る。

 

そんな矢先にのよく晴れた日に、とても空の広く見える公園で真っ青な空と太陽を見上げた時、不意に「良くここまで来れたね」と男性とも女性とも、大人とも子供とも取れないただただ優しい響きの声が語りかけてきた。

 

その瞬間か少し早いタイミングで不意に目に涙が止めどなく流れ出てきた。

 

全く自分ではコントロールし難い感覚であった。

 

つい最近までなら「間違いでは無いにしろ、自分の頭の中で作り出した思念かな?」と思っていた。

 

しかし、先日「クレアオーディエンス(Clair・audience)」について習い、体験したばかりだったので、この声が紛れもなく自分のガイドスピリットか何かの声であると気づいた。

 

実は「よくここまで来れたね」と語りかけられたのは今回が初めてではない。

 

記憶の中にあるだけでも20歳の時、文系の大学に入りながらも国立大学医学部を目指し仮面浪人をしていた時に大学の図書館に向かう坂を登りながら同じ様によく晴れた青空と太陽を見上げた時、そして一昨年の2月、厳しく辛く孤独な大阪生活を乗り切り東京の赤坂にある会社にヘッドハンティングをされて働きながら南青山のリーダーコーチングのスピーチ塾に初めて行く為に4時半に起床しまだ真っ暗の246号青山通りを一人歩く道すがら、、、

 

その当時はClair・audienceについても知識は無いながらも何か自分以外の意識からのメッセージである事は分かっていたが、何か高い場所から「よく登ってこれたじゃん」的な「こんにちは」的な少し斜め上からなメッセージなのかな、、と思いながらも涙していた。

 

しかし、それは違った。

 

この声の主は私が生まれてから今の今に至るまでずぅっ、、と二人三脚で併走しながら、いついかなる瞬間もつかず離れず自分をサポートし、必要な時はそのクレヤボヤンスや体感、ビジョンなどでアドバイスをくれていた。

 

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以上の所までが先日「Clair・audience」について習っていた教室でシェアした内容となる。

 

その邂逅の時に副次的にプチ気づきがあったので記そうと思う。

 

「心の痛みは魂の血行を良くする」

 

思い返せば、、

 

20代前半に人生の計画で迷っていた時に

 

「35歳位まで過去世での経験やパターンを実体験として再現する事になるから、大きな決断や対人支援職をするのはそれ以降の方が良いよ、起業しても結婚をしてもその追体験に費やされてしまうから」

「あなたは起業や大恋愛、結婚で追体験をする事も可能だけどそうでなくても良いよ、今の会社員生活や人間関係で十分追体験はできる、他人のフンドシで大失敗した方が傷が浅くて済むからね、傷が深い必要は無い、既にある形をなぞるだけだから」

 

20代後半に会社の評価やボーナス査定が正当なものと感じられずヤキモキしていた時に楽しげな声で「今の仕事は経験をするため、いわばボランティアみたいなものだから、、」と言ったのもその声。

 

30代前半で単身大阪に「東京本社営業部肝入り」の異動となり、社内政治的な状況の影響もあり支店から異例の「一切の引継ぎ無しで1年で○億円のノルマ達成」を突き付けられ、四面楚歌の様な状態の時も

 

「形式的な新規営業活動や細かい小銭稼ぎの仕事は全て逆に断った方が良い、伸るか反るか、難易度に関係なく一番開拓して旨味が大きいユーザー、一番本当に自分がモノにしたい営業先一つに絞って注力しなさい、落下傘方式だ」と某医療ドラマのモデルとなった浪速大学の某白い巨塔医局(営業先)の開拓に全力を注ぐ事が一番実りある事をアドバイスしてくれたのもあの声。

 

などなど、、、挙げだすとキリがないくらい。

 

「本当にずうぅっと一緒に二人三脚で見守ってきてくれていたんだ!」

 

思い返してみると、、本当に辛い時、本当は誰かにもう助けてほしいと願うほどの困難に遭遇した時、いつも空を見上げ仰いでいた。

 

青い空を見上げると、そこは地球上どこから見ても、人が地球に降り立ってからいつの時代においても同じ青い空だから、世界のどこにいてもいつの時代の過去に同じ思いで空を見上げた人達と繋がれる様な気がしていた。

 

いつも自分一人で必死に孤独に頑張って来たつもりであったが、例の声を認識した瞬間から今までどの様に二人三脚、手取り足取り私自身がお世話になって、ある意味頼り切って信頼し切って来たかと言うのを思うと少し恥ずかしくもなった。

 

人生のどの段階においても「これならどうだ、そうら」と言うふうに一つ一つお題を与え、私自身もそれを一つ一つ丁寧にクリアして来たのだ。

 

そして気持ちも楽になった。

 

「幾千の時を経て様々な経験と記憶が詰まったこの空を見上げた時はもう自分の心の内は隠す事はできないなぁ、、まいった」

 

と思っていた本当はそういった時に空を見上げた時、自分の胸が張り裂け、耐えられない位に辛く、生きづらさを抱えていながらもその事に自分が飲み込まれない様に必死に自分を律し、縛り付けている事が、隠しているはずなのに全部お見通しの様な気がして余計に悲しくなったなぁ、、etcetc

 

そんな事をまたモニャモニャと考えながら、、、

 

自分の中で「なかった事」にしてしまっていた自分の中の心の傷であり体感としては胸の痛みを感じて

 

「ぐむぅう、、いやぁ、、、はぁ、、、」

 

と存分に感じ切った時にふと思った「あれ、これ何かに似ている」と、、

 

これは、、まさに

 

「温泉と一緒じゃないか!」

 

そう、そうなのだ、温泉もそうだ、熱い!、、と感じるあの感覚は紛れもなく「痛覚」しかし人は「気持ち良い」と言う。

 

ネガティブな事があったり、怒りがきっかけで物凄い初動エネルギーになる事もある。

 

「心の痛みは、乗り越えようといまいと、経験するだけで魂の血行を良くする!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

良くある話で、、、

 

夜寝ている時は意識はアストラル界などの「あちら」の世界に帰っていて色々な情報をもらったり、そんな事やあんな事があり、、、etc

 

しかしながら、私自身は残念ながらほぼ夢を全く記憶しないで目覚めるタイプです。

 

なので寝起きが悪いと言う事もなく、、ただ、目覚めてすぐは確かに昨日まで疑問に思ってた事の答えがパッと浮かんで来たりアイデアが降りて来たりはするので目覚めて10分位は大体布団を出ずに一人で何かぶつぶつと独り言を言っている事が多いです。

 

「そうだったのか、そうだよな」

 

みたいな。

 

しかし、その気付きのレベルは日常を変えてしまうくらいの突拍子のないものは少なく、大体は「確かに、考えてみればわかるよね」と言う程度のもので、

 

脳科学の言う所の「睡眠中の記憶の整理と統合」が行われていると言えばそれまでかなとも思います。

 

しかも数少ない見る夢(覚えている夢)は白黒画像、その代わりと言っては何だが「あぁこれは夢だ」と何となくすぐ気付く。

 

なぜなら現実は白黒ではない事を知っているので。

 

それでいてもこれまた良く

 

「夢が夢である事に気付ける人はその夢の中で自由自在なんでも出来る」

 

と言う事が言われますが自分の場合は色黒のまさにVR体験をしている様な感覚で、特にその世界に干渉をする訳でなく、自分の視点でありながらも、ただただ傍観者として成行きを臨場感を持って鑑賞する様な感じです。

 

、、、と前置きが少し長めでしたがそんな夢貧乏?な私が最近記憶に残る夢を見てそれがとってもある種の自分にとっての気付きとなったので備忘録的にどんな夢か描いておこうと思う。

 

どんな夢かと言うと

↓↓↓

 

まず自分がワンボックスカーを運転している所から物語が始まり。

 

どこかに到着したので駐車をしようと場所を探していると適当な場所が全部埋まっており、仕方なくすぐに動きそうに無い駐車場の車を塞ぐ形でとりあえず駐車をして車から降りたところで一度場面が暗転する。

 

次の場面はその4−5人のメンバーでそのまま旅行に来ていて観光や自然を楽しんだりしながら宿でゆっくりして一泊した辺りの昼間に私がある事に気付いて「ヤバい!」と思う様になる。

 

何と、旅行に行く前に一時駐車した車をあの場所にそのまま置き忘れて来てしまったのだ、他の車の前を塞いだまま、しかも公道上で!

 

本来であれば数日預かって貰える駐車場に鍵と一緒に預ける所を、、忘れていた。

 

確認すると右のポケットには車にキーが「やはり、ヤバい!」。

 

そうなってくるともう気もそぞろ、気持ちは旅行どころではなく「大丈夫かな」とか「警察に通報されて騒ぎになっていないか」とかで頭が一杯。

 

4日間位の旅行の日程を終えて帰宅し一目散にその一時駐車をした場所に確認しに行ってやっと真実を知る事になる。

 

その夢の中での事の真相はこうだ。

 

最初の場面で車を一時駐車して暗転をしていた間の事。

 

下車をしてその場所で何か皆で用事を済まし、その後、

 

「そのままその車で旅行に出かけたのだった」

 

ただその場所から旅行中、帰宅するまでは運転を別の人に代わって貰っていたのであまりその車に乗っている自覚は無く、車の所有者は私なので宿では車のキーは手元にあったと。

 

「なぁんだ、良かった」

 

と言うところで夢は終わり目覚める。

 

↓↓↓

 

そこで意識の中に解説が入る。

 

「要するに、あなたの不安や悩みのパターンはこうゆう事なんですよ、と言う事です」

 

との事。

 

左脳的に分かりやすく補足説明をすると主に次の3点が要約となるだろうか。

 

①自分の人生の一部を委ねると決めたのであればしっかり委ね、信頼する。

 

「車は自分が運転するもの」と言う旅行前の観念を手放さない限りせっかく運転から解放されて他の人に連れて来てもらった目の前の旅行が景色が楽しめなくなる事もある。

 

②悩みや不安があったら自分一人で抱えず、勿体ぶらずに自分の事を良く知っている「身近な」家族や知人・友人にまず相談する。

 

この夢はツッコミ所満載なのであるがまず最後まで結末を知ってから思うのは

 

「これ、一緒に旅行行ってるメンバーに相談したら2秒で解決していたんじゃないだろうか笑」

 

と言う事、そう、そう言う事も実は多いのかも知れない。

 

そんなところに相談しても何も解決できないと自分が決めつけて敢えて問題を複雑に難しくしていただけで。

 

まず最初に頼るべきは身近な人間であって、普段生活を共にしていないカウンセラーやコーチ、ヒーラーその他専門家ではないのかも知れない。

 

③何にしろ、そもそもその不安や悩みに実体が無いと言う事に早いところ気付くべき

 

そう、「そもそも」である。。。笑

 

実体が無いので「解決」する必要もなかったり汗

 

 

、、、と言ったところで今日はこれまで、ええ夢や♪

 

 

 

 

 

 

 

先日、ひょんな事から、ミスインターナショナル2019の世界大会を観に行く機会に恵まれ、そこで体感し、感じた「きづき」をここに書き留めようと思う。

 

ひょんな事とは、10月の終わりに夜レストランのシズラーに行った時に偶然こちらの出場者の各国代表のミスインターナショナルがゾロゾロと店に入って来て、その迫力みたいなものに圧倒されたと同時に、何というか出場者の間に流れる何とも言えない暖かい、軽やかな感じに惹かれた。

 

即、ちけっとぴあで、チケットゲット♪

 

そしてその時、自分の中の何かが

 

「こうゆうのを今見ておくといいよ、ぜひ見せたいんだ」

 

と自分に語りかけて来た様な気がした。。

 

 

そしてついに当日、、、カウントダウン

 

 

 

出場国の簡単な紹介、日本ではモデルや芸能界志望の登竜門みたいなイメージがあるけれども世界中から様々な職業やバックグラウンドを持つ代表が集まっていた。

 

観客の半分以上も様々な国からの人々が詰めかけて来ていて歓声などもよく飛び交い新鮮な感覚。

 

 

 

 

 

そして大会の理念がスクリーンに凛と映し出され、その後華やかに開幕。

 

 

その後各国代表が想い想いの衣装で行進、、、Best Costume賞はベトナムの方「黄金の龍」を表現しているそうな。

 

この20日間日本で色々な体験をしました、、、的な。

 

 

審査員紹介、例の夫人はこんな所にも!笑

 

昨年大会のミスインターナショナル2018、1年間の活動を経て文字通り輝いています。

 

 

その後様々な審査があり、、その後82名→15名→8名と絞られていく中でスピーチなどもあり色々な想いあってこの場に立っているという事が分かり、ただただ感銘を受ける。

 

 

 

 

その後、各種副賞が発表され表彰に移り、、、って何で夫人が写真撮影のセンターっぽいポジション取りしとるんやねん!と突っ込みたくなり笑

 

 

そしてこの後、遂に暗転しドラムロール、、ドドドド

 

 

ミスインターナショナル2019がタイ代表の方に決まった時のまさに歓喜の瞬間!

 

 

 

 

 

その後舞台上で起こった出来事に目を奪われた、、、

 

 

 

何が起こっているのか理解するのにほんの一瞬ではあるが時間を要した、、、

 

発表された瞬間から壇上の全ての出場者が迷う事なく選出されたミス・タイ代表を心から祝福し、そして周りにいる各国代表の仲間達の事をお互い讃え合い、労い合っていた。

 

しかし、その一瞬の出来事で全て伝わって来た。

 

皆がどんな想いでこの大会に参加し、この20日間という時間をどの様に過ごして来たのかという事を。

 

この幸せな祝福の瞬間は「We are the world」の歌声と共に5分間程、司会者が進行の為に制止するまで続いた。

 

この歓喜の瞬間を通じて自分自身に伝わって来た概念、感覚は主に4つの言葉に集約できる。

 

「共同創造」「平和(世界平和)」「愛(人類愛)」「自分の生命を輝かせる事」

 

そして思った。

 

「あぁ自分は見る所(フォーカス)をどうやら誤っていた。人生において、こうゆう所を今までも周りを見回せば、確かにあっただろうに全然目を向けて来なかった」

 

と。

 

「こうゆうモノをこれからの人生もしかしたら信じて行っても良いのかもしれない、、」

 

とも思った。

 

思えば自分はこういった事こそを今までの人生で疑ってかかって信じていなかったと思った。

 

恥ずかしながら過去の心の声を表現すると、、、

 

「だいたい、愛だ平和だという様な奴はなんか気に食わない、嫌いだ。そういった事を本気で言っている奴はなんか不自由で自分自身を縛っている様な気がして嘘くさいんだよ、クソがっっ!」

 

と本気で思っていた笑

 

自分が踵を返す様に今目の前にある様な確かに見えて来た世界に向き合って向かって行く事はできるのだろうかなぁ、、、

 

と思っていた時に不意に耳元で優しい声がした様な気がした

 

「出来るよ」

 

と。そして続けて、、

 

「今まで愛や平和をあなたは疑っていたのではなくて、本当にそんなものは無いのだ、、と硬く信じて疑わずぅっとそれを信じて貫いて来たじゃないか。それは本当にすごい事なんだよ。「ない」という世界を信じて貫き通してこれたあなたなら「ある」という世界を信じて「愛」や「平和」「自分の生命を輝かせる」という事を信じて人生において顕現する事は思っているより簡単なんだよ」

 

と、言う事が自分の頭の中に考えとして浮かんできた。

 

そうか、確かにそうゆう考え方もあるなと思った。

 

そして最後に感じたのが、

 

「本当に今目の前で起きているエネルギーを覚えておきなよ、このくらいの事を自分に期待して良いのだよ、これから一直線に目指して行こうね」

 

、、自分の中に浮かんできた概念ではあるが「このくらい」の意味は解釈しかねるが、今は無理に解釈しなくて良い様な気がした、今は分からないし、分かってしまったら少しつまらない部分もあるというものだ。

 

そして帰り道に耳元で聞こえてくる音楽はディズニー映画「ズートピア」主題歌の「Try Everything」

https://www.youtube.com/watch?v=lfc9T5kYkI8&feature=youtu.be

 

 

何でも決して諦めずにトライして経験し続けていけば、良いのだと♪

 

 

 

 

人生の中には小さな選択から大きな選択まで日々様々な選択の連続である事は言うまでもありません。

 

そんな中で

 

「自分自身が何を選ぶか、自分に何を与えるか」

 

と言う判断基準は様々だと思いますが、

 

「自分にとってより実りある、魂に栄養が行き届く」

 

にはどう言った事を基準にしたらと言う事について今日は話そうと思います。

 

まず結論から言うと、、

 

自分にとって後から振り返ってみてもより

 

「言語化しにくい経験」「映像化しにくい経験」もっと言えば「他人に伝えようと思ってもシェアし難い経験」とその時点で思えるけどそれでも「やってみたい」「経験してみたい」事を選択すると良いと思います。

 

人間と言うのはどうしても人の目を気にしてしまうものです。

 

何かを選択する時にどうしても「あの人だったらどう思うかな?」「あの人にこんな事すると言ったら受け入れられるだろうか?」と考えてしまいがちです。

 

分かりやすい例でいうとインスタ映えなどで言う所の「映え」を気にする所かと思います。

 

旅行に行くにしても、外食をするにしても最初からその「映え」を目指していいねや良い反応が貰える事を念頭に物事を決める若者がよく取り沙汰されます。

 

この例は極端ですが、これはSNSなどをやっていない人にもあるごく普通の心理だと思います。

 

映えを目指してメガ盛りの店に行くけれども食べきれず残す、有名な秘境に行って写真を撮ってSNSにアップをして良い反応を得られた時に一番「行って良かった」と思える。

 

この場合、本人が必ずしも食べたいと思って行ってないので「食べたくも無いものを無理して食べる」という様な状況があり本人の喜びに繋がっていない場合があります。

 

また旅行の例にしても、映えを一つの目的としている以上、他人のその体験や写真に対する評価によって自分に撮っての体験の価値が左右されてしまいます。

 

しかし、こういった事を意識する人は必ずといって良いほど「他人への思いやりのある良い人」です。

 

本来自分の人生の時間、経験は自分だけのものであるはずの自分の経験を自分だけのものとせず人と共有しようと試みているからです。

 

会社以外の土日など暇な時間どうしよう?、、、ジムで体を鍛える、資格の勉強をする。

 

それも良いと思いますが他の人に説明しやすいだけに、最小公約数的な経験値しか自分には溜まらない様な気がします。

 

明らかにポジティブ、明らかにネガティブ、、でもないモヤモヤとした意味や定義を確定しかねる論理的ではない経験と時間を自分に与えられると人生は自身の重心を憶いだし、輝き始める。

 

 

 

 

「人生の目的、使命が分からない、ワクワクするもの好きな事も見つからない、、」

 

そう悩んだ事がある人はいると思います。

 

とても大ごとの様に聞こえますが、少し冷静になって考えてみましょう。

 

本当にそんな事があり得るのでしょうか?

 

誰のものでもなく「自分の」目的、ワクワク、好きなので自分で分からなかったら誰も分からないし、もし仮に誰か他の人が分かってあなたにその内容を教えてもらったとしてもピンとこないのではないでしょうか。

 

最近はそう言った事についても

 

「使命とは何も職業選択の様な事でもなく日常の中での心の在り方、日々の小さな選択の積み重ねなのです」という事を言う方も増えてきました。

 

確かにそうでしょう、私もそう思います。

 

しかし、こう言われると何かこうその「在り方」と言うのも「決断する」だとか「飛躍する」だとか、一部の元々根っからポジティブな人の真似をしないといけない様な気がして少し気が重くなるのはなぜでしょう。

 

やはりここは一つ視点を変えて、こうゆうのはそう言った言葉に付随するイメージの問題だと思います。

 

 

「目的」「使命」「ワクワク」「好き」、、全てポジティブの海だけから探そうとしてませんか?

 

そう、実際は全て自分が既に持っていて、上の4つの言葉と結びつく様なものを持っているのにも関わらず、明らかなポジティブでなさそうだから(人に言っても理解されない、時間と労力を費やして価値を生み出すものでないから、、等等)

 

そう言ったものがたまたまポジティブの海だけから見つかる人も居ます、それはその人がただ単にそう言う人だったと言う事だけ。

 

ネガティブの海も踏まえて見つかる人もいるし、一度一方の海のものと思って抱えていたら他方の海のものであったと気づく事もあるでしょう。

 

 

例えば、、一日が終わって「あれが嫌だったこれが辛かった、あの人が嫌だ、自分のここが嫌い、、」

 

そう思って無駄な1日だったと凹む前に少し視点を変えてみてください。

 

、、、

 

嫌だった事探して、家に帰るまで覚えてる事、他ならぬ、あなたなりの視点で人を嫌った経験、、、

 

これある意味自分なりの目的を持って嫌な事に対して「ワクワク」したんじゃないでしょうか?

 

だってこの事自体にかなりの少なくとも精神的エネルギーを消費している訳です。

 

そんな価値の無い、無駄な事のために大切なあなたの1日があったなんて事、あるのでしょうか。

 

 

どうか、ネガティブな感情を感じた過去の自分を黒歴史の様に「無かった事」にするのではなく、その事自体にワクワクした自分を認めてあげてください。

 

人間とは、存在とは、本来ポジティブ100%です、なのでネガティブとは触れ合う事がありません。

 

本来ポジティブそのものな存在がよりポジティブになろうとすると、酸素がたくさん有る場所で多くの酸素を取り込もうと意気込むと「過呼吸」になってしまうのと同じです。

 

それが「敢えて」ネガティブと触れ合っている自分の好奇心にOKをしてあげるのです。

 

ネガティブな自分に親指を立ててグッジョブサインを送りましょう。

 

そしてよく言われる様に「ネガティブにフォーカスをするとネガティブな所に囚われる」みたいな心配がありますが、そんなの大丈夫です。

 

ポジティブの総和に比べてらネガティブなど遊びみたいなものです、ただの彩りです。

 

そう言う中で「見つからない、分からない」と言う幻も解けて来ると言うものです、そう思います。