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シネレンズとオールドレンズで遊ぶ!

カメラマンヨッピーのブログ。シネレンズやオールドレンズなどのマニュアルフォーカスレンズをミラーレスカメラに装着して遊び、試写を載せていきます。カメラ界でまことしやかに語られているうわさも再考察していきます。

某中古屋のジャンクコーナーで見つけたレンズに見慣れないシャッター。そこには「NEUMANN&HEILEMANN」の文字。

デッケル社のコンパーシャッターそっくりのデザインはいかにも舶来品?

ドイツ人らしき2人の名前の社名。このシャッターの正体はいったい!!

疑問にぶち当たった僕はとりあえずこのレンズを購入することにした。

調べてみたところこのレンズとシャッターユニットは本鳥(motodori)写真機械工業所のコンドルカメラに付いていたものであろうことが分かった。

シャッターはなんと予想を覆して国産であった。コンドルカメラが生産されていたのは1930年代~1940年代。この時代に「NEUMANN&HEILMANN」ってどんなセンスなのよって思ったら、なんと在邦ドイツ人のNEUMANN(ノイマン)さんとHEILMANN(ハイレマン)さんが作った会社であることがわかった。ノイマンはツアイスのパテントレンズで有名なフランスのKrauss(クラウス)社出身。ハイレマンはドイツのカメラメーカのkenngott出身であることが分かった。

 

1932年にノイマンとハイレマンはNeumann&Heilmann Feinmechanisch Werkstatenn Goshi Gaisyaを設立する。高木、大森、西宮、武庫川の各工場でRULEX、NEUHEIL,PERFECT&PERFEKTなどのレンズシャッターを生産し国内のカメラメーカーに供給していた。またシュナイダーのRadionarなどを輸入し自社シャッターに組み込み供給していた。

 

実はこの4年前にノイマンとハイレマンはある日本人と会社を設立している。その日本人の名は田嶋一雄。1928年11月11日に設立されたその会社の名は「日独写真機商店」という。ノイマンの指導の下「ニフカレッテ」を作った。このころから日本でも本格的な国産カメラの生産が始まる。

 

ノイマンは1937年にハイレマンと袂を分かち「ノイマン商会」を立ち上げる。その矢先1939年ごろバイクの事故でこの世を去っている。

 

一方ハイレマンは太平洋戦争開戦後も日本にとどまったがスパイの嫌疑をかけ数ヶ月にわたり収監されている。戦後になっても日本で小さな工場を営み成功を収めている。

 

ノイマンとハイレマンと田嶋一雄が立ち上げた「日独写真機商店」は その後「モルタ合資会社」 、「 千代田光学精工株式会社 」と名前を変え「ミノルタ株式会社」となった。そして「コニタミノルタ」を経て現在のソニーαシリーズとなる。

 

Neumann&Heilmannの工場はその後、藤本写真工業(Lacky)やミノルタの武庫川工場へ引き継がれている。

 

2人のドイツ人が日本に持ち込んだカメラ製造の礎はしっかりと日本に根付き現在も生き続けている。

 

 

 

 

 

 

 

続けて書いてきたPetri cc auto シリーズですが、今回は真打登場です。

 

Petri c.c. auto 55mm F1.4

大きな前玉が特徴的

さらに特徴的なのは大きな後玉、F1.2クラスのレンズのようだ

 

このレンズはペトリのレンズラインナップで最も明るいレンズだ。ペトリFT用にリリースされたレンズで構成は5群7枚。オーソドックスな4群6枚のガウスタイプの最後部に凸レンズを一枚追加して正パワーを強め、明るさを明るくしている。ライツクセノンや後継のズマリット、コンタレックスプラナーF1.4などに採用されている方式だ。

この構成のレンズには共通の弱点がある。開放時にコマ収差由来のフレアが発生してしまいコントラストが落ちたり、場合によっては画面上に白いモヤのようなゴーストが発生してしまうことである。これは前群と後群の対称性によるもので対称性を崩せばキャンセルされる。

 

このレンズのカタログには電子設計機を使った近代的な設計のレンズとある。50年代の半ばから登場したコンピューター設計をペトリも導入していたようだ。

55mmF1.8はフリントガラスのみで作られた珍しい設計なのに対し、このレンズではクラウンガラスも用いられている。設計系譜的にF1.8とは全く別系統のレンズといえる。

 

前述したとおり開放でフレアを発生しやすい構成のこのレンズの写りはどうであろうか?

結果は全くその気配が見られない。開放から高性能なのだ。

開放でもシャープなピント部、柔らかくやさしいボケ味。

 

 

Petri c.c.auto 55mm F1.8とは全くの別物だ。開放値が暗い分F1.8クラスレンズの方が開放ではシャープで安定した写りをしがちだがペトリに関しては完全にF1.4の方がシャープで性能がいい。

ヤシカコンタックスプラナーが登場する70年代ならばまだしも1967年にこの性能とは、ずば抜けている。世界に十分通用する性能だったと思う。

 

前ボケも理想的な柔らかさ

開放から絶好調。ポートレートに最適な柔らかさ。それでいて線が細くシャープなディテール

拡大するとこのとおり、髪の毛一本一本しっかり解像してます

 

だけど写り過ぎない。現代レンズではもちろんこんなレンズ見たことないですが、オールドレンズでも稀にみるポートレート向きレンズです。

 

もちろん僕の仕事用レンズラインナップに入ってます。

 

F1.4クラスのレンズをいきなり設計してこの出来、やはりペトリは恐ろしい会社です。

 

Model:菅彩夏子

栗林写真工業が1959年に発売したペトリペンタ。

このレンズが前回紹介したC.C. Petri Orikkor 50mm F2である。

 

今回紹介するのはその後継機である。Petri PentaV2からPetriは独自のペトリマウントを採用するようになる。そしてレンズもC.C. Auto 55mm F1.8へと変更される。下の写真はVシリーズの最終形V6だ。このころにはペトリは低価格路線を進むことになる。

 

一眼レフでレンズ込みで3万を切る価格。F1.8が25,000円、F2が21,600円だった。同じ1965年に発売されたCanon 7s 50mm F1.8付きが44,500円だったことを考えるとその安さが分かる。ちなみに同じ年に発売したキャノネットQL17が23800円だった。レンジファインダー廉価機と同じ価格で憧れの一眼レフが買える。これが当時のPetriの戦略だったっようだ。

価格を抑える一方で広告、宣伝には力を入れていたようで、V6のカタログも秋山庄太郎氏が登場している。

標準レンズは55mm F1.8と55mmF2、上位版の58mm F1.4がある。

写真は左からF2、F1.8、F2同じスペックでもさまざまなデザインが存在する。

今回の主人公は真ん中のPetri C.C.auto 55mm F1.8だ。しかし上記写真を見る限り前玉径は、ほぼ同じでF1.8とF2を見分けることはできない。それもそのはず、これらは同じ光学系をもったレンズだからだ。

じつはF2のレンズはF1.8のレンズをデチューンしてF2にしている。

 

F2のレンズに関して具体的に言うと前期型は通常f1.8でシャッターを切ったときに絞り連動機構が働いてF2まで絞られる。ピントを合わせるときはf1.8なのだがシャッターを切った瞬間f2に化けるのだ。後期型はあらかじめフレアカッターのような薄い絞りプレートで口径を小さくしてF2にデチューンしている。つまりF1.8よりF2のレンズの方が手間やお金がかかっているのだ。なぜこんなことをしたか真意は分からないが、おそらく仕様変更の範疇でバリエーションを増やしたかったのだと思う。

現代のミラーレスデジカメでは絞り連動させずに撮影することで前期型のF2レンズをF1.8として使うことが出来る。もっとも中古市場においてF2とF1.8は価格的に区別されていないので恩恵というほどではない。

 

Petri C.C. auto 55mm F1.8

 

シンプルな4群6枚構成。中でも最もクラシカルな部類に入る構成だ。一眼レフ用の標準レンズ設計はそのほとんどがテッサー型かガウス(ダブルガウス)型になる。F2を切るハイスピードレンズはほぼガウス型だ。そのためガウス型は無数に存在し設計もどんどん進化している。そのオリジナルは言うまでもなく1897年パウル・ルドルフのプラナーである。

Petri 55mm F1.8の方が前後群の非対称性はあるもののかなり似ている。シンプルな構成は好感が持てる。その写りは。

美しい!!

現代レンズのなめらかなボケとは180度違う幻想的なボケ。それでいて被写体の存在を邪魔しない絶妙なボケ味は、まるで戦前のMeyer Gorlitzのレンズ達のようだ。この当時の国産レンズでは嫌われることも多かった硬めのボケだ。通常中心解像力を上げていくと代償としてボケがかたくなったり、二線ボケになったりするのはよくある現象だ。しかしこのレンズは中心解像力を上げて発生した硬めのボケと二線ボケをさらにその他の収差とごった煮にしてブレンドにしてちょうどいいさじ加減にしたようなそんなボケをしている。美しく情緒的なのだ。

遠景においては、周辺部が明らかに弱いが味わいのある写りをする。中心部のピント面は非常にシャープなので、ビルの隙間から見えた飛行機雲にも自然と目が行く。道路に写し出されたビルの窓の反射も美しく再現されている。

 

前述のOrrikor 50mm F2よりレンズが1枚少ないせいか写りのヌケが良くスッキリとした印象になっている点も面白い。

 

こんなによく写りるのに、このレンズ現在の市場価格は驚くほど安い。ペトリマウントという特殊マウントのせいもあるだろうが、低価格戦略で安物というレッテルを貼られてきたことも大きいだろう。またその独特すぎるボケ味がなかなか評価されなかったというのもあるだろう。しかしこのレンズは、時代に忘れ去られた名レンズだと思う。 

 

 

 

 

 

Petri(ペトリ)と聞いてピントくる方はある程度年配の方ではないかと思う。かつて日本に存在していたカメラメーカPETRI CAMERA(ペトリ工業は現在も存続している) の交換レンズ達を何度かに分けて紹介していきたい。

僕にとってペトリカメラといえばレンズ固定式のレンジファインダーカメラというイメージが強い。蛍光イエローを使ったり指標がカラフルだったり面白いカメラだなーと思った思い出がある。

資料を紐解いて驚いたのがペトリカメラの歴史の長さ。1907年(明治40年)創業で、浅沼商会や小西商店(小西六/コニカ)に次ぐ老舗カメラメーカであったことだ。1918年(大正7年)にはカメラ製造をはじめている。戦前は皆川カメラ店や三栄堂本店などから販売されたカメラの製造を担当した。戦後に栗林写真機械製作所と改名してオリジナルカメラも手がけるようになる。

一眼レフカメラを発売したタイミングも早く1959年。PETRI PENTA(ペンタ)というカメラを発売している。この年はニコンFが発売された年と同じで日本の一眼レフカメラの黎明期にあたる。

そのカメラの標準レンズだったのがKuribayashi Petri Orikkor 50mm F2である。4群7枚の変形ガウスタイプで3群目の3枚張り合わせの一番後ろの凹レンズはバックフォーカスを稼ぐためであると推測される。

 

前ボケは非常に柔らかい

周辺部は甘くなるが雰囲気はいい

硬めだがきれいなボケだ

ポートレートにも向いているレンズだ Model:彩夏子

 

後ぼけに特徴がある写り。全体的にはクラシカルでネガプリントのような写りになる。硬目でざわついたボケは国産レンズでは珍しい。Meyer系のレンズみたいだ。

何を撮っても絵になるいいレンズだと思う。このレンズが1万円を切る価格ならコストパフォーマンスは非常に高い。

個人的にはレンズキャップのつくりが気に入っている。

1960年代~1980年代にかけてZOOMレンズは飛躍的に進化した。1930年代に動画用の特殊レンズとして登場したズームレンズはあくまで特殊用途のレンズとして存在し続けた。スチールカメラ用のズームレンズは1959年にフォクトレンダー社より発売されたズーマーが世界初である。その後レンズの設計はコンピューターの自動設計の時代に入り複雑な設計も可能になった。設計技術の進化がズームレンズの性能の飛躍的な進化をもたらしたのだ。

今回紹介するレンズブランド『Vivitar (ヴィヴィター)』はアメリカのサードパーティーレンズブランドである。

1938年カリフォルニア州サンタモニカでマックス・ポンダーとジョン・ベストにより「Ponder&Best」として設立された。創業当時はドイツから写真機材を輸入する会社であった。

その後マミヤのセコールや三協のコムラーなど日本写真機材の取り扱いも開始する。

これらレンズがどのカメラでも使えるように様々なカメラマウントのバージョンを扱うようになった。これが成功しサードパーティレンズメーカーとして人気を博すようになる。1960年代にはオリジナルブランド「Vivitar」を立ち上げ主に日本のレンズメーカー製のOEMをVivitar銘でリリースするようになった。

『Series1(シリーズ1)』は1971年から始まったVivitarの新プロジェクトである。独自設計の高性能レンズを作ることをコンセプトに始められたプロジェクトは数多くの高性能レンズ『Series1』を世に送り出した。

その多くはアメリカのOpcon社の設計で日本のレンズメーカー(キノ精密工業、小峰光機、タムロン、コシナー、など)が生産を担当した。『Series1』にはいま見ても明らかに高性能なレンズが多数存在している。

 

Vivitar Series1 35mm-85mm F2.8 VMCは1974年にリリースされた『Series1』レンズでOpcon社が設計を、キノ精密工業が生産を担当している。正確に言うとのこのレンズはズームではなくバリフォーカルという。バリフォーカルとは焦点距離を替えるとピント位置が動くレンズのことで、ピント位置が一定のズームレンズとはやや異なる。現代では焦点移動のないズームレンズは当たり前のことだが、当時の設計技術だと焦点移動のないズームレンズを実現するには光学性能を犠牲にする必要があった。そこであえてバリフォーカルにすることで光学性能優先を優先した。

 

このレンズでまず驚くのが開放値がF2.8固定という点である。当時ほとんどのズームはF4か明るくてもF3.5程度であった。1973年に発売されたキャノンの最新ズームでさえ35mm-70mm F2.8-3.5であった。F2.8固定の標準ズームはキャノンでは1993年のEF28mm-70mm F2.8Lまで待たねばならない。ニコンでF2.8固定が実現するのは1987年のAiAF NIKKOR 35mm-70mm F2.8Sである。

 

もちろん世界初のスチールズームレンズズーマーは36mm-82mmF2.8でF2.8固定であったが画質に難があったためかなり無理してF2.8を実現していたことがわかる。

 

このレンズのもうひとつの先進機能がマクロズームである。この機能は先行のVivitar 75mm-250mm Macro Focusing ZOOMで実用化されている機能だか、ズームの一部にマクロ機能を持たせたものだ。Vivitar Series1 35mm-85mm F2.8 VMCでは35mm側がマクロズームになっていてレンズ先端から8cm程度まで寄ることができる。

Vivitar Series1 35mm-85mm F2.8 VMC 最短撮影時

Macro Focusing ZOOMはVivitar(Ponder&Best)の特許でエリス・ベテンスキーと 渡辺林蔵(キノ精密工業/ペトリ写真工業)が発明者となっている。この機構はその後多くのメーカーで採用される。

 

そしてこのレンズを使ってみて驚くのが、『シングルタッチコントロール』と呼ばれる操作方法。

このレンズではズームリングとヘリコイドがひとつになっている。縦移動でズーミング、回転方向でピントといった具合だ。このヘリコイドの操作性のよさが只者ではない。ズーミングをしても全長が変わらない設計で縦から横への動きもきわめてスムーズ。画角を合わせながらピントあわせが容易にできる。バリフォーカルであることを忘れさせる操作性の良さだ。

 

しかしなんといっても最大の魅力はその写りである。今から40年以上前にこんな性能のズームレンズが存在していたことが驚きだ。単焦点レンズと比べてもまったく見劣りのない写りどころか言われなければズームレンズであることを微塵も感じさせない写りである。

 

カメラ:α7R

 

 

 

 

 

リコイルさんから”パッテッドストラップ”が届いた。
以前NIKON Dfのスペシャルセットを撮影させていただいたときに一目惚れしたストラップのまさにそのものであった。そのストラップはどこまでも滑らかで自分の一部かのようにフィットする。
そしてカメラの重さを忘れさせてくれる魔法のストラップだ。
1905年創業のアメリカの老舗タンナー”ホーウィーン社”の『クロームエクセルレザー』をベースに最高級の シェルコードバン』をアクセントとして使ったこのストラップはこれ自体が『作品』と呼ぶにふさわしい出来である。
写真を撮るという行為が作業であればカメラや機材は道具で十分であるが、作品を生み出すという行為なのであればカメラや機材は道具を超えた存在であるべきだと思う。

Recoil:http://www.recoil-ms.com/

最近、知り合いのあるマッドサイエンティストが宝石レンズなるものを考案した。

その名も"illuminar 25mm F1.4(イルミナー)"


レンズ内に配置した宝石により光を乱反射させ画面内にゴーストやハレーションを意図的に発生させるというなかなかマッドなレンズだ。


しかも宝石を透過した光は宝石色の色カブリになるというおまけつき。
さぞか悲惨な写りになるに違いないと使ってみると、あれ・・・・。
面白い‼!!

アメジスト

アメジスト

スワロフスキー(参考商品)

ルビー

ルビー

サファイア

 

アメジスト

アメジスト

アメジスト

アメジスト

アメジスト

アメジスト

スワロフスキー(参考商品)

アメジスト

アメジスト

アメジスト


トイカメラにネガフィルムを詰めて撮った時のような写りとどう写るかわからないドキドキ感。逆光で暴れる光に振り回される感じ。全てか新鮮な感覚だ。
おまけに写りもどこかおしゃれ!!


とんでもないモノを産み出してしまいましたね。プロフェッサー!

宝石の種類はサファイア、ルビー、アメジスト、ブルートパーズ、ジルコニア、シトリントパーズ、ペリドットの7種類があります。

 

イルミナーがネットで販売開始されました。

https://www.illuminaopt.com/

 

ちなみにこのレンズ、オールドレンズ写真学校で購入可能だそうです。

あと恵比寿の大沢カメラさんで委託販売されているそうですよ。


 

最近ひょんなことでKinoplasmat25mmF1.5を手に入れた。

現在の相場的に僕にはとても買えない感じのレンズであるが、なぜか買える価格で手に入った。

Kino plasmatはいまさら僕が書くことがないほどの銘玉である。

 

1926年にパウル・ルドルフにより設計されたこのレンズは当時新興のHugo Meyerより発売された。パウル・ルドルフといえば20世紀を代表するレンズ設計者で泣く子も黙るカールツアイス社で光学部長を務めプロター、ウナー、プラナー、テッサーなどを設計した人物である。

中でもテッサーは当時、爆発的なブームとなり特許を取得していたルドルフは富を築く。ツアイスを退職したルドルフは悠々自適の生活を送っていたが第一次世界大戦の敗戦に伴うハイパーインフレーションにより財産は紙切れ同然となってしまう。

さすがのルドルフも再就職せざるを得なくなり1918年に当時新興だったHugoMeyerの光学部長に就任する。そこでルドルフは凄まじいスピードでレンズを設計してゆく。そして1926年にKino plasmatを設計した。名前にKinoがつくように16mmムービーカメラ用に設計されたこのレンズは当時,市販レンズとしてはもっとも明るいF1.5を誇っていた。

当時F1.5の明るさを実現したレンズにビオターがある。ビオターは1927年にカールツアイスのウイリー・ウォルタ・メルテにより設計された。メルテとルドルフにはテッサーをめぐって因縁があった。1902年にルドルフはテッサーを設計する。当初はZeissAnastigmatⅡbと呼ばれていたため初期のTessarをbテッサーと呼ぶ。bテッサーの開放値はf6.3でルドルフはテッサーをこの明るさより明るくすることを禁じていた。

しかしルドルフがツアイスを去ったあと世の中の流れに押されてテッサーも徐々に明るくなってゆく。ルドルフの後継者であるヴァンダースレブはテッサーをF4.5まで明るくした。その助手を務めていたメルテは後年さらにF2.8までの明るさにした。

メルテは1925年にルドルフのプラナーを改良し明るくしたビオターを設計する。メルテに対し新しいアプローチでF1.5を達成して見せたのはルドルフなりの意地だったのかもしれない。

これらのレンズの銘板には発明者がルドルフであることを示すD.R.P.Dr.Rudolphの銘が刻まれている。(D.R.P:ドイツ帝国特許/Deutsches Reichspatent )

 

 

購入して到着したときの状態はマウント不明。ヘリコイド固着。薄クモリあり。そのままでは使用できない状態であった。

しかし同じ鏡胴のCマウントのレンズを見たことがあったのでバックフォーカスは問題ないと判断。Cマウント接写リングとスペーサーでマウントを復活させた。

固着したヘリコイドは2つあるうちの1つを溶剤で剥離することに成功。直進ヘリコイドはあきらめて回転ヘリコイドとして使えるように加工した。

薄曇りはノンコートレンズということでバラせれば清掃可能だとおもい分解清掃。1群と4群はバルサムにより接着されているために分解不能だったが幸いにもバルサム面に致命的なクモリはなかったため清掃でかなり綺麗になった。

こうして再度カメラにマウントできる状態に復元した。

 

ここでKinoplasmatの実力を拝見。愛機Olympus E-P3に装着。

いろいろ撮ってみました。

見事なグルグルボケです。前評判どおり中心解像度は非常に高いです。

様々な表情を見せてくれます。

kinoplasmat 25mm F1.4の特徴として放射状からグルグルに変化する後ボケがある。

遠景近くでは放射状のボケ。

近景時はグルグルボケ。これは非点収差の割合が変化してるためだと思われます。

 

すばらしい表現力です。

F5.6あたりまで絞ればパキッと写ります。

ふたたび開放。中心解像力だけ高いので日の丸構図のとき中心の被写体が浮き出て見えます。

銘玉と呼ばれる所以が分かります。

でも周辺部は収差のデパートです!!

最近、動画の撮影の依頼が増えた。自分はムービー出身ではないので、動画の仕事を受ける時は慎重に受けるようにしている。

ムービー出身ではない事
自分では編集をしない事 
技術的に難しい事はできない事
自分のテイストでしか撮れない事

これらを説明させていただいてそれでもご依頼頂けるのであれば受けるようにしている。

今回はソロアーティストの★STAR GUiTARとして、またプロデューサー/アレンジャー/作曲家のSIZKとして活躍するAkiyoshi Yasudaさんの新曲『y』のアーティスト写真(プロフィール写真)とグラフィック素材とMVの撮影でした。
本名での新プロジェクトのテーマは『なりたい、理想の自分ではなく、ただここにある自分。』繊細な『y』の世界観に合わせてナイーブな映像を撮ることを心がけた。モチーフも映像映えするものではなく日常の風景をいかに違った角度で見せるかに力を注いだ。



カメラをα7からα7Rにアップグレードしました。




見た目は同じですが

Rの文字が追加されました!

ネットなどではいろいろと問題点が指摘されているα7Rですが、実際使ってみた実感を書いて見ます。

・シャッター
α7Rのシャッターといえば最大の問題部分です。α7Rでは電子先幕シャッター設定ができないためシャッターが2回切れてしまうこととそのシャッターがひどく遅れて感じるというところが問題になってます。シャッターショックによる手振れを指摘するレビューもあります。

まずは音、これは正直いいとはいえません。2回目のシャッター音がシャッターを押してからかなり後に聞こえるのも事実です。とはいえシャッターラグ自体は容認できる範囲です。しかしα7と比べるとかなり遅く感じます。スナップやスポーツなどシャッタータイムラグにシビアな撮影には向かないと思います。僕はポートレート中心なので自分のシャッタータイミングを調整すれば対応できます。

ちなみにシャッターショックによる手振れに関しては問題だと思ったことはありません。常識的な範囲のシャッタースピードであれば十分とまります。

・電池
ソニーαシリーズのもうひとつの問題点はバッテリーのもちの悪さです。これはNEXシリーズから引き続き同じバッテリーNP-FW50を使っていることに起因します。フルサイズミラーレスにもかかわらずマイクロフォーサーズのPEN E-P3と同じクラスのバッテリーを使っているのでもちがいい訳ないのですが。

α7Rは僕が過去使ったデジタルカメラの中で最も電池の消費が早いです。しかもぶっちぎりです。数年使い込んでよれよれになったEOS5D用の電池といい勝負です。仕事で使うとフル充電でお昼まで持つかどうかといったところです。現場で充電しながら撮影するといったスタイルでしのいでいます。いまさらどうにもならないところですがこれは困った点です。

・メモリカード(取り込みスピード/容量)
α7RはJPEG+RAWファイルで平均30MB~60MB程度データの取り込み速度も大きな問題になります。

α7時代は気にならなかったSDの取り込み速度も7Rだと大問題になります。Class10以下のSDカードはお話になりません。Class10でも45MB/s程度にならなければ取り込みは気になります。さすがにSDXCⅡ UHS-Ⅱ260MB/sクラスであれば気にならなくなりますが、UHS-Ⅱには非対応です。データも大きいので16GB程度のカードで300枚前後の撮影枚数です。32GBがあってもいいかもしれません。撮影終了後ちゃんとパイロットランプが消えてからSDカードスロットを開ける癖をつける必要があります。もっとも間違ってSDを抜いてもカメラがデータ修復してくれる驚きの機能がついてますが。ソニー凄い!!

・写り
初代α7 Rは現在もかなり高画素に分類される3800万画素のしかもローパスレスセンサーを搭載しています。α7 RⅡの4200万画素の裏面照射型センサーに比べると見劣りますが、実際のところはどうでしょうか?

率直に言うといいです。しかもぶっちぎりで。これまでつらつら書いた不具合を一気に帳消しにしてお釣りが来るくらい写りはいいです。α7 とは明確に違うカメラだと思います。α7 が35mmフルサイズならα7 Rは645クラスと言っても差し支えない位違います。特に人物全身〜引き画の時のシャープネスと密度感は素晴らしいです。

・総評

巷で言われる通り問題点が山積みなカメラであるが丁寧に対応していけばそれに見合った結果を返してくれるカメラである。もちろんAFでのテストはしていないのでAF性能などは考慮してません。α7 との実勢の価格差を考えるととてもお買い得なカメラであるが、まともに運用する為には環境を整える必要があり、それなりの追加投資が必要になる。それを差し引いても十分な性能を持ち合わせているが、その性能が必要かどうかは精査する必要がある。

ちなみにレンズはシネプラナー50mmとスピードパンクロ50mm/75mmを使っています。いずれも4Kクラス対応の解像度を持ったレンズです。純正レンズを使ったテストはしていません。

以上
超偏ったレビューでした。