NEUMANN&HEILEMANN RULEX シャッター 2人のドイツ人 | シネレンズとオールドレンズで遊ぶ!

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カメラマンヨッピーのブログ。シネレンズやオールドレンズなどのマニュアルフォーカスレンズをミラーレスカメラに装着して遊び、試写を載せていきます。カメラ界でまことしやかに語られているうわさも再考察していきます。

某中古屋のジャンクコーナーで見つけたレンズに見慣れないシャッター。そこには「NEUMANN&HEILEMANN」の文字。

デッケル社のコンパーシャッターそっくりのデザインはいかにも舶来品?

ドイツ人らしき2人の名前の社名。このシャッターの正体はいったい!!

疑問にぶち当たった僕はとりあえずこのレンズを購入することにした。

調べてみたところこのレンズとシャッターユニットは本鳥(motodori)写真機械工業所のコンドルカメラに付いていたものであろうことが分かった。

シャッターはなんと予想を覆して国産であった。コンドルカメラが生産されていたのは1930年代~1940年代。この時代に「NEUMANN&HEILMANN」ってどんなセンスなのよって思ったら、なんと在邦ドイツ人のNEUMANN(ノイマン)さんとHEILMANN(ハイレマン)さんが作った会社であることがわかった。ノイマンはツアイスのパテントレンズで有名なフランスのKrauss(クラウス)社出身。ハイレマンはドイツのカメラメーカのkenngott出身であることが分かった。

 

1932年にノイマンとハイレマンはNeumann&Heilmann Feinmechanisch Werkstatenn Goshi Gaisyaを設立する。高木、大森、西宮、武庫川の各工場でRULEX、NEUHEIL,PERFECT&PERFEKTなどのレンズシャッターを生産し国内のカメラメーカーに供給していた。またシュナイダーのRadionarなどを輸入し自社シャッターに組み込み供給していた。

 

実はこの4年前にノイマンとハイレマンはある日本人と会社を設立している。その日本人の名は田嶋一雄。1928年11月11日に設立されたその会社の名は「日独写真機商店」という。ノイマンの指導の下「ニフカレッテ」を作った。このころから日本でも本格的な国産カメラの生産が始まる。

 

ノイマンは1937年にハイレマンと袂を分かち「ノイマン商会」を立ち上げる。その矢先1939年ごろバイクの事故でこの世を去っている。

 

一方ハイレマンは太平洋戦争開戦後も日本にとどまったがスパイの嫌疑をかけ数ヶ月にわたり収監されている。戦後になっても日本で小さな工場を営み成功を収めている。

 

ノイマンとハイレマンと田嶋一雄が立ち上げた「日独写真機商店」は その後「モルタ合資会社」 、「 千代田光学精工株式会社 」と名前を変え「ミノルタ株式会社」となった。そして「コニタミノルタ」を経て現在のソニーαシリーズとなる。

 

Neumann&Heilmannの工場はその後、藤本写真工業(Lacky)やミノルタの武庫川工場へ引き継がれている。

 

2人のドイツ人が日本に持ち込んだカメラ製造の礎はしっかりと日本に根付き現在も生き続けている。