カメラファン掲載!! こぼれ話1 トリプレットの末裔 | シネレンズとオールドレンズで遊ぶ!

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カメラマンヨッピーのブログ。シネレンズやオールドレンズなどのマニュアルフォーカスレンズをミラーレスカメラに装着して遊び、試写を載せていきます。カメラ界でまことしやかに語られているうわさも再考察していきます。

2015.05.18 PRAKTICAR50mmF2.4のレンズ構成図を修正させていただきました。

先週またカメラファンに掲載させてもらいました。
記事を扱っていただくのは4回目になります。
今回はエルノスターとオクシン型の構成を扱いました。

収差レンズの可能性~Meyer Optik Primoplan 58mm F1.9/PENTACON Prakticar 50mm F2.4/旭光学 Takumar 58mm f2.4

この中で扱いきれなかったことを書いてみます。

トリプレットの誕生は1893年で生みの親はCooke社のデニステーラーでした。


同時代はカールツアイスのエルンストアッベとショット社のショットにより新ガラスが発明された頃でCarlzeissから発売されたアナスティグマットレンズが市場を席巻していた。
これらは対称型が多く最低でも4枚多い物になると10枚以上のレンズを持ち合わせたモンスターレンズも現れた。そんな時代にあってザイデルの5収差(球面収差、コマ収差、非点収差、象面湾曲、歪曲収差)をたった3枚で写真に必要な最低限補正できるトリプレットの登場はセンセーショナルだったに違いない。
そもそもアナスティグマット(非点収差補正レンズ)は非点収差を悪としそれを補正することに主眼をおいたレンズです。一方トリプレットは収差を許容しどの収差をどれくらい補正すれば撮影に支障なく使用できるかを突き詰めたレンズになります。
トリプレットは光路計算をせずペンディングで何度もレンズを組んでは測定を繰り返して作られたと言われています。だから光学の中にこの位だったら許容できるという感覚的な要素が取り込めたのだと思います。

トリプレットの誕生以降数多くの亜種が生まれます。そのひとつがエルノスターです。

トリプレットを明るくする方法としてテーラーホブソン社のH.W.リーが取り組んだ方法がスピーディック型でした。これはトリプレットの後ろに凸レンズを足して正のパワーを増大させ明るくするという方法です。ちなみにH.W.リーは後にOPICやSpeedpanchroの設計を手がけるレンズ設計者である。

エルネマン社のルードビッヒ・ベルテレはリーとは逆の方法でトリプレットを明るくするアプローチをする。それはトリプレットの前側に凸レンズを足すのである。そして出来たのがエルノスターである。エルノスターは凸レンズを3枚凹レンズを1枚という超攻撃的な設計である。(これはスピーディックも同じであるが。)それゆえ明るさは達成するが同時にいろいろな収差の増大を抱えることとなる。とはいえトリプレットという絶妙なバランスの設計のおかげで何とか持ちこたえる。ベルテレはさらに改良を加えエルノスターをブラッシュアップしていくそれが後のゾナーへとつながる。

今回カメラファンで紹介させていただいたレンズのうち2本はこのエルノスター型である。






これらのレンズはそれぞれ違う経緯で設計された。
PrimoplanはF2よりも明るくするためPrakticarは生産コストを抑えるためだ。
Primoplanはエキサクタ用のレンズであるが、エキサクタの標準レンズはF2ばかりであった。エキサクタは一眼レフになるのでフランジバックが長い。このフランジバックに対応できるガウスタイプでは当時F2が明るさの限界点であった。F2より明るく一眼レフの長いフランジバックに対応するにはエルノスター型を選択するより方法がなかった。ちなみにPrimoplanの登場は1937年であるがLeitzXenon5cmF1.5(1936)もSonnar5cmF1.5(1932)もレンジファインダー用である。
一方プラクチカール50mm F2.4はプラクチカの廉価版レンズとして設計された。トリプレットより高性能でテッサーより生産コストがかからないレンズである。この時代のカメラは日本製のカメラとの深刻な価格競争に直面していた。大量生産による徹底的な低価格化、高性能化を達成していた日本のカメラが世界中のカメラメーカーを淘汰していた時代にあって低価格化は世界中のカメラメーカーが取り組まざるを得ない至上課題であった。しかし控えめな開放値のおかげでかなり実用性の高いレンズに仕上がっている。エルノスター型の崩壊ボケがテッサー型よりも叙情的なボケを醸し出している。それでいて張り合わせのない4枚レンズなのでかなりの生産性があったと思われる。

トリプレットの派生にはもうひとつのベクトルが存在する。それがトリプレットの凸レンズを色消しにする設計である。これらの多くはあまり芳しい結果を生まなかったようだ。その中で一定の結果を出した代表格はヘリアーやヘクトールである。またツアイスは否定しているがテッサーもこのジャンルに入ると思われる。しかしテッサーはあまりにも成功し何世代にも渡って作られた為に比較が難しく今回は扱わない。
異色なのが、ヘリアーの生みの親ハンス・ハーディングがヘリアーの兄弟として設計したのがオクシンである。
オリジナルのオクシンはF9の製版用レンズであるがそのオクシンと同じ構成を持っているのが旭光学のTakumar58mmF2.4である。標準レンズでオクシン型を採用したレンズを他に見た事がない。またこのレンズがこの構成を採用した理由も分からない。




ただとても珍しい構成なのは確かである。
日本初の一眼レフであるアサヒフレックスの標準レンズである為、旭光学としても試行錯誤の末の選択だと思われる。

これら過渡期のレンズ構成にはメーカーのいろいろな物語が読み取れて面白い!

各レンズの試写はカメラファンのサイトにあるのでこちらをご覧いただけると嬉しいです。

収差レンズの可能性~Meyer Optik Primoplan 58mm F1.9/PENTACON Prakticar 50mm F2.4/旭光学 Takumar 58mm f2.4