勝手気ままに
動き始める人たち


 先々週からテレビ朝日で『Dr.伊良部一郎』というドラマが始まった。日曜深夜という放映時間のせいか何なのか、はっきり言ってあまり話題になっていないのだが、この作品の主人公「伊良部一郎」は、知る人ぞ知る“有名人”である。

 元々は、奥田英朗の小説『イン・ザ・プール』から生まれたキャラクターである。職業は神経科(ドラマでは心療内科)の医師。彼の元にはさまざまな心の悩みを抱えた人たちが訪れる。だがこの伊良部、医師というイメージとは遠くかけ離れた人物なのだ。

 子供のようにワガママで、傍若無人。患者をまるで“都合のいいカモ”だと言わんばかりに、診察そっちのけで自分の話ばかりを繰り広げ、得体の知れない注射を打ちまくる無茶苦茶な医者なのである。おまけに髪は薄く、腹はでっぷりと出ていて、見た目もいかにも胡散臭い。当然、訪れた患者は真っ先に“引く”のだが、知らず知らずのうちに伊良部のペースに巻き込まれ、いつの間にか症状が回復している、というのが毎回のストーリーである。

 『イン・ザ・プール』で初登場したこの強烈なキャラクターは、さらに『空中ブランコ』、『町長選挙』という続編を生み、「伊良部シリーズ」と呼ばれる人気シリーズとなっている。映像や舞台にもなっており、ドラマ化されたのも今回が初めてのことではない。ちなみに、奥田英朗は『空中ブランコ』で直木賞を受賞している。シリーズものの2作目、しかも連作というスタイルの小説が直木賞をとるのも珍しい。

 「キャラクター」というものは、程度の差こそあれ、作為的な存在である。作者はキャラクターを、作品の意図やテーマを自身の代わりに語る拠り代として、あるいは物語を然るべき方向へ導くための人工的な装置として、練り上げるのである。

 しかし、ごく稀に、作者の意思と関係なく生まれるキャラクターというものがある。まるで独立した生命を持っているかのように、そのキャラクターは勝手に動き回り、勝手に発言し始めるのである。作者とキャラクターの主従の関係は逆転し、作者は彼、あるいは彼女の行き先を、追いかけるようにしてペンを走らせるしかなくなる。

 ・・・というような話を以前、漫画家のハロルド作石が語っていた。『BECK』の名物キャラクター「斉藤さん」は、紙の上にペンを置くだけで勝手に“動き”始めてしまうらしい。確かに斉藤さんは、ひょっとしたらあの作品の中でもっとも生き生きしたキャラクターかもしれない。

 不遜を怖れず言えば、僕にも似たような体験はある。例えば昨年上演した『バースデー』で言うと、オカマのヒロミや、レストラン従業員の谷川さんは、まさに僕の意思を超えて勝手に動き始めるキャラクターだった。執筆中に一度だけ、谷川さんの台詞に僕自身が笑ってしまったことがある。

 こういう場合、作者である僕はとにかく必死である。なにせ頭の中でひたすらヒロミや谷川さんが喋っているので、テープ起こしを延々とやっているような状態なのだ。そして当然の結果、彼らの台詞の量は異様に多くなり、後々削ったり切り離したりといった、本来であればあまり必要ではないパズル的な作業が発生してしまう。

 だが、そういう勝手なキャラクターの方が、作者が意図的に作り上げたキャラクターよりも魅力的な場合が多い。それは一言で言えば「生命力の有無」である。たとえそのキャラクターが、主人公を導いたり大事なテーマを語ったりといった、作品の核心に触れる存在でなくても、生命力が躍動する人物には自然と目が行き、問答無用のインパクトとリアリティを与えるものである。そういうキャラクターをなるべく多く生み出したいと思うけれど、なかなか意図してできるものではない。難しいところである。

 今回紹介した「伊良部一郎」も、ひょっとしたら奥田英朗の意思を超えたキャラクターだったのではないかという気がする。伊良部のあのワガママな性格は、「設定」というよりも、彼自身の自己主張の強さのように思えてしまうのだ。しかも、それに対して作者が半分匙を投げてしまっているようにさえ見え、そこがまた面白い。「こんな奴いるはずねえよ」と思いながらも、「どこかにいたら面白いな」と思ってしまう。
ドーハの「歓喜」

 いや~・・・やりましたね、サッカーアジア杯。李のあの決勝ゴールはまさに「一閃」。何度もピンチに見舞われた今大会、その最後の最後にあれほどまでに美しいシュートが決まったというのは、それまでの苦労や鬱憤が全て込められた怒りの矢のようでもあり、同時に新たな歴史の始まりを告げる祝砲のようでもあり、なんともドラマチックだった。

 しかし、こんなにもハラハラドキドキするスポーツの国際大会というのもなかなかないんじゃないか。個人的には去年のW杯よりも心拍数が上がっていた気がする。テレビの前で何度も顔を覆い、何度も拳を突き上げた。リアルな世界で、ガチンコで、こんなにもドラマチックなものをやられてしまうと、フィクションの作り手としては身のすくむ思いである。

 サッカーの日本代表というと、どちらかというとこれまでガッカリすることの方が多かったので、素人ファンの僕なんかは観戦していてもつい「及び腰」になってしまう。今回も何度「ああ、やっぱり・・」と思ったか知れない。特に決勝トーナメントは開催国カタール、韓国、そしてオーストラリアと、仕組まれたような対戦カード続き。だが、その中を、若い日本代表選手たちは一歩一歩、それこそ劇的と呼ぶに相応しい展開で勝ち進んでいった。そして、見事優勝を遂げた。

 優勝した理由を、監督も選手も「団結力」と語っていた。実際、大会を通してチームの一体感を感じられる場面は何度もあった。今回の勝利に殊のほか爽快感を覚えるのは、こういうところにあるのかもしれない。団結力という、日本的過ぎて逆に現代の日本人からは敬遠されがちなこの土臭いメンタリティ。だが、結局はそれが最後に勝利をもたらしたことで、改めて自分たちのルーツや誇り、底力を見出したと感じた人は多いんじゃないだろうか。

 もちろん、今回は所詮アジア地域限定の大会ではある。だが、17年前の因縁の地で、当時よりも若い選手たちが一丸となってもぎ取った勝利には、やはり新たな時代の幕開けという感がある。

 ところで、今大会で最も印象的だった試合といえば、やはり準決勝の韓国戦ではないだろうか。延長後半の終了間際に決められてしまった同点ゴール。あの瞬間、僕は韓国の執念の強さに慄然とした。

 韓国戦は複雑だ。サッカーだけでなく、例えば一昨年のWBCでも、韓国は幾度となく日本の前に立ちはだかってきた。日本が勝っても、逆転しても、韓国は必ず追いついてくる。韓国チームの勝利への執念を見るたびに、おそらく多くの日本人同様、僕は“加害者”という歴史的な負い目を感じざるをえなかった。試合には勝ちたい。だが、韓国に対してだけはその闘志の表現の仕方に、どうしても気を遣ってしまう。「宿命のライバル」というならば、韓国戦に臨む時に必ず頭をもたげてくるこの卑屈さこそが宿命なのだという気がする。

 2002年のW杯日韓大会は、歴史的なものをひっくるめた両国の差異というものを、まざまざと見せつけられた大会だった。日本代表は初めての決勝トーナメント進出を成し遂げるも、ベスト16止まり。一方の韓国は国ぐるみの一体感でもってベスト4にまで上りつめた。

 その日韓大会を、ノンフィクション作家の沢木耕太郎が取材した観戦記が、『杯(カップ)―緑の海へ―』という本。単に試合のルポをまとめたものではなくて、スタジアムの中で、外で、街で、二つの国のあらゆる場所で沢木が肌で感じた両国の空気の違いというものが、日記的なスタイルで綴られている。サッカーをモチーフにした比較文化論、と言ってもいいかもしれない。

 ずい分前に読んだのだが、今でも悔しさとある種の諦めが入り混じった読後感を覚えている。韓国の方がやっぱり強いのか、という悔しさと、日本はやっぱりベスト16がせいぜいだ、という諦めである。正直、今この本を読むとアジア杯制覇の喜びに水をさされることになるので、読みたい方は昂揚感が落ち着くまで待つことをおすすめする。だが同時に、今大会、韓国にあのギリギリのところで追いつかれても挫けなかった日本代表のしぶとさを思うと、「日韓大会からここまで来たか」という感慨も湧いてくる。
事実は小説より、
病んでいる


 読んでいて「これはよくできたミステリー小説なのではないか」と何度も思った。しかし、事実だという。アメリカのある家族に起きた凄惨な悲劇。暴力や貧困、宗教対立といった、この国の“裏”の遺伝子が、100年以上の時を経て一つの家族―ギルモア一家に受け継がれたとき、全米を震撼させる事件を生んだ―。

 まるで映画の二流コピーのようだが、この本を読んでの感想を語るとするならば、決して誇張ではない。事実は小説より奇なり、というが、本書に書かれた「事実」は、もっとずっと禍々しい。事実は小説より、病んでいる。

 1976年、ユタ州プロヴォで2件の殺人事件が起きた。犯人はゲイリー・ギルモア。当時35歳。わずかな金欲しさの、衝動的で行きずりの殺人だった。目撃者もあり、ゲイリーはすぐに逮捕され、裁判所で死刑の判決が下る。

 この事件が世間の耳目を集めるのはここからである。当時アメリカでは死刑廃止論が高まっており、10年近く死刑の執行は停止していた。ゲイリーに下された死刑も、実際には終身刑だった。だが当のゲイリー本人が、裁判所に対して、判決通り死刑の執行を要求したのである。それも、絞首刑ではなく銃殺刑を(ユタ州は宗教的な背景から全米で唯一銃殺刑が認められている)。

 弁護士や家族は何度も執行の見送りや再審理を求めるが、ゲイリーは耳を貸さず、頑なに死刑を望んだ。このニュースはマスコミによって大々的に報道され、ゲイリーは「TIME」紙の表紙を飾るほどの時の人となる。世間を煙に巻き、人権団体を嘲笑い、家族を混乱に陥れ、結局翌77年に彼は望み通り銃殺刑によって処刑された。

 彼を破滅的な行動に駆り立てたものは一体何だったのか。どんな環境が、どんな教育が、どんな出会いと出来事が彼を作り上げたのか。その背景を、彼の父母、祖父母、さらにその先の祖先にまで遡って抽出しようとしたのが本書『心臓を貫かれて(原題“Shot In The Heart”)』である。著者はマイケル・ギルモア。ゲイリーの実の弟である。

 この本を読むと、ゲイリー・ギルモアという人物が生まれたのは、偶然などではなく、必然だったのではないかという気がしてくる。父親の度を越した暴力があり、だがその父にも親との間のシリアスな確執があり、一方の母親も、教育と風土によって捻じ曲げられた過去がある。何代も前から植え付けられていた呪いの種が、ゲイリーとその家族の身を苗床にして、一気に、そして宿命的に発芽してしまったのだ。「トラウマのクロニクル」という表現を本書コピーは使っているが、言い得て妙である。

 ただし本書は、「ゲイリーは歴史の犠牲者である」というような安易な立場を取るものではない。「どこで、何を間違ったのか」という、当事者としての切実な疑問を突き詰めていくうちに、一家の歴史を遡ってしまった、というような印象がある。「あの時ああしていれば」という悔恨がいくつもあり、だがそうした後にはすぐ「しかしあの時一体誰があの状況を救うことができたのか」という諦めが滲む。悔いと諦めの間で、何度も感情の振り子は行き来を繰り返す。本書が出版されたのは1994年。事件から20年近く経っているにもかかわらず、弟マイケルの心の中には未消化の思いが燻り続けている。

 はっきり言って本書には救いがない。「ない」と言い切ってしまうとアレだが、少なくとも読み終えた時に気分が高揚したりハッピーになったりはしない。だが、この本には「何か」がある。国も環境も時代も違うけれど、何がしかの重要なメッセージをこちらに訴えかけてくる。そのメッセージはおそらく、著者の意図や意思とは無関係のものだろう。単なる事実。そのことからくる重みや迫力によって、僕らは著者とは違った距離感と角度から、人間や人生に関する大事なものを学び取れるのだ。是非、一読を。
マドンナよりも
彼女の方が好き


 前回、2010年に出たアルバムのベストワンとしてヌードルスの『Explorer』を紹介したけど、括りを洋楽に限定するのであれば、ヴァンパイア・ウィークエンドの『CONTRA』と、アーケード・ファイアの『The Suberbs』が僕の中での双璧です。ヴァンパイア・ウィークエンドは去年のちょうど今頃リリースされたんだけど、いやあ、聴き倒しました。リピート回数なら間違いなく去年のNo.1。『バースデー』でもいくつか流しました。アーケード・ファイアの方は3年ぶりの新作だったけど、今までで一番好みの作品だった。かっこいいアルバムでした。でもこの『The Suberbs』、紙ジャケットでディスクもむき出しのまま入ってるから出し入れにいちいち緊張するんだよなあ。

 2011年も早くも楽しみな新作のリリースラッシュ。まず1/26にピロウズの新作『HORN AGAIN』が出る。コンスタントにアルバムをリリースする彼らが1年以上間を空けての新作なので純粋に楽しみ。

 2/22にはリアム・ギャラガー率いる新バンド、ビーディ・アイのデビューアルバムがリリース予定。ロック界の今年最初の目玉でしょう。YouTubeでPVを何度も見たり、リアムのインタビュー記事を読んだり、個人的にもかなり盛り上がっている。先行シングルがとてもかっこよかったのでアルバムも楽しみだ。同じ日には桑田佳祐の復帰後初音源となるソロアルバム『MUSICMAN』も出るのでこちらもチェックしたい。

 そして3/9にはR.E.M.の新作が出る!タイトルは『COLLAPSE INTO NOW』と相変わらず意味深&不穏で楽しみ。しばらくスパンが空いて、「そろそろ聴きたいな~」と思ってた頃だったので、うまく期待を煽られています。

 しかし何といっても今年前半もっとも楽しみなのはストロークスの4枚目!5年ぶりの新作である。リリースは「3月予定」とだけ発表されているので、まだどうなるかわからないけど、何せ“あの”ストロークスなのだから否が応にも期待が高まる。

・ ・・そんななか、2/9にひっそりとリリースされるのがシンディ・ローパーの新作『Memphis Blues』。ブルースのクラシックナンバーのカバーアルバムになるらしい。タイトルの通りブルースの聖地メンフィスでレコーディングされ、BBキングをはじめ超大御所ゲストが多数参加しているそう。シンディ・ローパーとブルースという組み合わせは意外なようだが、彼女は以前からブルースを歌いたかったらしく、今回その念願が叶った形だ。

 「ベテランの作る趣味盤」というとまるで揶揄しているようだが、こういうコンセプトのアルバムってけっこう僕は好きだ。最近では、去年フィル・コリンズが出したモータウンのカバーアルバム『Going Back』がとても良かった。趣味だからこそ歌は練りこまれているし、何より好きなアーティストのルーツを辿るのはそれだけで嬉しい。ビーディ・アイやストロークスに比べたら、きっと話題には上らないんだろうけど、僕はこの『Memphis Blues』、リリースされたら一度聴いてみようと思ってる。

 シンディ・ローパーを最初に聴いたのは、確か映画『グーニーズ』だったと思う。当時小学生だったんだけど、主題歌の「The Goonies’R’Good Enough」がえらくかっこよかったのだ。本格的に聴き始めたのはもっとずっと後になってからだし、その頃は既にシンディのキャリアの最盛期は過ぎていたんだけど、懐メロとしてではなく、ちゃんとマジで聴き込んだ。

 一般的にはセカンドの『True Colors』が彼女の代表作と認識されているようだけど、僕はデビューアルバムの『She’s So Unusual』の方が好きだな。シンディの代名詞ともいうべき曲「Girls Just Wanna Have Fun」をはじめ、「All Through The Night」や「She Bop」、そして名曲「Time After Time」など、とにかく入ってる曲が素晴らしい。プリンスのカバー「When You Were Mine」なんかも収録されていて、マルチ方向に広がる彼女の魅力がすでにこの1枚目の時点で余すところなく詰まっている感じがする。

 そして、このアルバムは何といってもシンディの可愛さが爆発している。彼女の持つ可愛さは、異性に訴えかける武器としての可愛さとは違い、彼女のキャラクターが持つ天然のチャーミングさである。だからこそ、おばさんになった今でもその可愛さは少しも失われていない。80年代にシンディと人気を二分した女性アーティスト、マドンナとの違いはそのあたりにある。マドンナはその後、「美の冷凍保存」とも言うべきストイックな道へ進み、50歳を超えた今もなおトップに君臨しているが、僕はシンディの方が好きだなあ。マドンナはすごいと思うけど、なんか怖いんだもん。

 現在57歳のシンディ・ローパー、3月には来日するそうです。
noodles
『Explorer』


 2010年は劇団の結成10周年だったので、いつになく「続ける」ということを考えた一年だった。作品を作り続けること。人間関係を抱え続けること。「続けるということは、『続けてもいいのかな』という疑問を、絶えず自分自身に問いかけ続けることだ」―あるベテランのバンドマンがインタビューでそう語っていた。

 方向性を迷ったり、モチベーションが低下したり、自分の才能に失望したり、「物を作る」という道にはいくつもの起伏と曲がり角がある。歩けば歩くほど、道は入り組んでいる。もちろん、手ごたえを得たり、評価されたり、嬉しいこともたくさんある。だがそういった出来事が行く先を正しく指し示してくれるとは限らない。良い作品を作っても、それは次の作品の質を保証してはくれないのだ。結局、作品を面白くできるのは、その時の自分の努力しかない。

 そして、劇団やバンドといった集団での創作活動の場合、さらに「人間関係」という全く別のタイプの命題がついて回る。メンバー間のモチベーションが一致しないこともあるし、続けるうちに目指す方向がズレてくることもある。途中で誰かが脱落することもあるかもしれない。「最初は仲が良かったのに、次第に関係が冷え切って・・・」というような、単純な(しかしシビアな)ケースだってある。

 活動主体が個人であれば(小説家や写真家、画家、あるいはソロ歌手)、創作にまつわる問題は基本的には全てその人の中で自己完結できる。ダメなら本人が頑張ればいいだけの話しだし、休むのも辞めるのも本人の責任だけで済む。だが集団はそうはいかない。

 そもそもクリエイティビティとは本質的にとてもパーソナルなものだから、それを他人と一緒にやるという行為にはハナから無理があるのだ・・・というとミもフタもないけれど、とにかく集団で創作活動を続けるということは、絶え間ない緊張感を乗り越え続けていくことなのだ。冒頭述べたバンドマンの言葉には、創作者として、ある集団の一員として、ひたすら己と向き合ってきた者の苦渋が滲んでいる。

 さて、作品を作り続ける上で難しい問題の一つが「変わること」と「変わらないこと」である。「進化」と「個性」と言い換えてもいい。これまでと路線を変えたり、制作環境を大きく変えてみたり、変化を求めるチャレンジ精神は、観客に飽きられないため、何より作り手自身が飽きないために必要なことだ。だが同時に、いかに変化を起こそうが、その中心に頑としてブレない自分自身、つまり個性を残したいと望むのも、作り手としては正直な思いだろう。長く創作活動を続けるためには、反発し合うこの二つの思考をうまくなだめ、統御していかなくてはならない。

 「変化とは、作者の自然な気持ちの移り変わりによって起こらなければならず、『変えよう』と思って起こす作為的な変化は『変化』とは言えない。それに、個性というものは自覚的に出したりひっこめたりできるものではなく、それを意識している時点で『個性』とは呼べない」。そういう意見もある。確かに正論だ。その自然体かつ無意識の境地に至ることができるなら、それがもちろん理想である。でも、実際には理屈通りにはうまくいかないものである。集団作業ならなおのこと。「結局デビューアルバムが一番良い」というバンドがいかに多いことか。

 昨年リリースされた新譜の中で、僕が特に印象的だったのはヌードルスの『Explorer』である。ヌードルスは2011年でキャリア20年にもなるベテランバンド。以前紹介した『METROPOLIS』をはじめ、これまでにもかっこいいアルバムをたくさん届けてきてくれた。だが今回の『Explorer』は別格だ。曲がいい、音もすごくいい・・・まあそういうことなのだが、今回はなんだろう、いつになく“熱い”。若さがたぎっていて粗く、ドライブ感がものすごい。ヌードルスというと、オルタナのひねりとガールズバンドとしての可愛らしさが組み合わさった「ちょっと変わった感じ」がウリで、ロックンロール的なものをそこまで期待するようなバンドではなかったはずだ。なのに、である。

 音楽性が変わったわけではないのだ。これまで築き上げてきたプロダクションがあくまでベースで、その上に若さやドライブ感が乗っかっただけ。結果、ベテランとしての成熟さと新人バンドのような粗さを併せ持った、聴き応えのある一枚に仕上がっている。こういうアルバムを19年目で作ってしまうところがすごい。19年というタイミングと、この内容で、『Explorer』というタイトル。かっこいい。

 長く続けていれば当然それだけ知識も増えるし、技術も高くなる。しかしヌードルスはずっと技巧的なものを避けてきたようなところがある。感覚だけを頼りにしながら、それでいて自己模倣に陥ることなく、今こうして「変わる」と「変わらない」を同居させた作品を作ったヌードルスに、僕は去年ものすごく勇気をもらった。『バースデー』のOPにかかった曲は、このアルバムの8曲目、「Galaxy Halo」である。
ぼくもロックで
大人になったんだ


 一昨日(28日)の深夜にNHKで忌野清志郎の特集番組をやっていたんだけど、見た人いますか?そろそろ寝ようかなという時間で、見たのも途中からだったんだけど、結局夜中の2時半までテレビにかじりついてしまいました。

 タイトルは『ぼくはロックで大人になった~忌野清志郎が描いた500枚の絵画~』。忌野清志郎の生涯を、音楽、そして彼が描いてきた絵画と絡めて振り返るドキュメンタリー番組である。彼は元々絵を描くのが好きで、高校時代は美術部に所属していたほど。その時の顧問が「僕の好きな先生」のモデルになった小林先生である。ミュージシャンとしてデビューしてからも折に触れて描き続け、膨大な枚数の絵を残した。絵は音楽と同じくらい、清志郎の人生にとって重要なファクターだったようである。

 デビュー前の、まだ将来を模索していた頃に書かれた自画像。RCサクセションの絶頂期に殴り描いたマンガ。2人の子供を描いた絵。闘病中の自画像・・・。どの絵にもその当時の心情や葛藤が透けているようで、人間・忌野清志郎の横顔を垣間見たような気がした。

 絵をあまり積極的には描かなかった時代もあるようだ。デビューして数年後、バンドの人気が低迷し仕事がない、清志郎20代前半の頃。絵を描くかわりに、彼は当時こまめに日記をつけていた。どん底時代であるから、当然内容は明るいものであるはずがない。先の見えない不安や理解を得られないことへの苛立ち、それでも夢を信じ抜こうとする強い意志。様々な感情がノートを混沌と埋めていた。

 当時の清志郎にとって大きな心の拠り所だったのが、フィンセント・ファン・ゴッホだった。曰く、「ゴッホは永遠のロックスター」。ゴッホはその生涯でたった一枚しか絵が売れなかった。あの激しいタッチと色使いには、不遇な状況に対する怨嗟の声のようにも見える。不屈の画家ゴッホには、確かにロックに通じるものがあるかもしれない。

 ゴッホの絵。清志郎の絵。それらの絵画を眺めながら、僕はロックのことを考えていた。清志郎の日記を読んでロックを考え、清志郎のインタビュー映像を見ながら、僕はロックを考えていた。「ロックってやっぱいいなあ」と考えていた。そんなこと、もう100億回くらい考えてるんだけど、性懲りもなくまた泣けてきた。

 ロックは僕を支えてくれる。不完全だからこそ支えてくれる。ロックは愛を歌う。でもその裏には傷ついた心がある。孤独を怖れるなと叫ぶ一方で、寂しさに軋む心がある。高貴な精神を持つ一方で、足元には俗物根性が転がっている。優しさがあり、同時に暴力がある。ロックは矛盾だらけで、あちこちひび割れている。でも、だからこそ僕はそこから勇気を得ることができる。気持ちを癒し、鼓舞することができる。清志郎もきっとそうだったんじゃないかなあ、なんて思う。

 2010年は僕にとって20代最後の年だったんだけど、ロックを聴く量は明らかに昔よりも増えている。大人になったらクラシックやジャズに移るのかと思ってたけど、少なくとも僕は違ったみたいだ。もうすぐ30歳というのに、ロックを欲してやまない気持ちは、まだ当分消えそうもない。
この人たちはどうしてこんなにも
僕の気持ちがわかるんだろう


 リバティーンズの活動期間は短い。デビューは2002年で04年には活動を休止している。その間発表されたアルバムは『up the bracket』(02)とこの『THE LIBERTINES』(04)のわずか2枚。にもかかわらず彼らの与えたインパクトは絶大で、00年代のロック史を語る上で欠かせない存在である。

 バンドの中心はピート・ドハーティとカール・バラー。共にギターを担当し、ボーカルも分け合っている。曲も2人が共同で書いている。英国バンドで、フロントマン同士がタッグを組んで作曲しているところから、このドハーティ/バラーは「21世紀のレノン/マッカートニー」などとも呼ばれている。多分に漏れず2人の仲の悪さも有名で、ステージ上での殴り合いは日常茶飯事。おまけにドラッグ問題なども絡んでゴシップ誌にも散々話題を振りまいた。ただ、時代錯誤的とも言える素行の悪さや暴力性が、歴史化してしまったロック本来のアンダーグラウンドさや猥雑さを感じさせ、00年代のリスナーには逆に新鮮に映ったのかもしれない。ロックの持つ凄みのようなものをリバティーンズは“地”で持っていたのである。

 実を言うと僕は初めから彼らの音楽が好きだったわけではない。00年代のギターロックバンドの代表格としてよくリバティーンズと共に並べられるのがストロークスだが、僕はストロークスの方が圧倒的に好きで、リバティーンズの方はピンとくるところが少なく、しばらく放置していた。彼らの音楽がようやく僕の耳の奥にまで届くようになった頃、リバティーンズというバンドはすでになく、「もったいない」という思いがした。

 僕とリバティーンズとの架け橋となったのは、パンクだった。僕は彼らの音楽を聴くようになる直前、パンクにどっぷりと浸かっていた。よくリバティーンズは伝統的なギターロックの復権を担ったバンドとして語られ、実際英米を中心としたガレージロックリバイバルの流れの中で登場しているのだが、彼らの本質はギターの音の強度ではなく、前述のような退廃性にある。ツインギターの雑然とした絡み合い方、投げやりなボーカルと勝手自儘なハーモニー、「おれはどこへも行けない」「もう音楽さえ聞こえない」といったどん詰まりの歌詞、そして暴力的でセクシャルなファッションやパフォーマンスまで含めて、リバティーンズの音楽には深い混沌と怒りに満ちている。いわゆる「パンクロック」のイメージからすると音楽的にはだいぶ垢抜けているが、彼らは紛れもなくパンクだ。

 以前、ある雑誌で、リバティーンズのファンの女の子が「彼らの音楽を聴いていると、最低でクソみたいな自分の人生が特別なものだって思えるようになるの」と話していたのを読んだことがある。僕は彼女ほど切羽詰って自分の人生を「クソ」だとは思っていないけど、それでもごくたまにどうしようもなく嫌な気持ちになる時がある。何もかもが嫌で、手元に爆弾でもあったら躊躇なくスイッチを入れてしまいたくなるような、矛先のない怒り。何も手につかなくて、湿ったシーツの上でただ無気力に身を委ねているしかない。そんな時にリバティーンズを聴くと、少しだけ慰められたような気持ちになる。それは、彼らの音楽があらゆる否定を重ねながらたった一つの肯定を描こうとしているからだ。街中を根こそぎ破壊した後で、一輪の花を植えるように。昔、甲本ヒロトが「パンクロックは優しい」と歌っていたけれど、リバティーンズを聴いているとよくわかる。

 そんなリバティーンズは今年まさかのリユニオンライブを行った。10月、イギリスのレディング・フェスティバル。演奏は若干カタさがあったものの、数万人のオーディエンス、とりわけ10~20代の若いファンたちが彼らの一曲一曲を愛しそうに大合唱している光景は感動的だった。



 ・・・というわけで、ずい分と長く空いてしまいましたが、またぼちぼちとブログを書いていこうと思います。

 5月に最後の更新をした後、僕はtheatre project BRIDGEの10周年パーティーの準備、メモリアルブック『MY FOOT』の編集、そして10周年記念公演『バースデー』と、バタバタした生活を送っていました。パーティーと『MY FOOT』の準備は去年の公演が終わってすぐに始まりましたから、久々に1年中劇団の仕事に携わっていました。

 僕らはこの5、6年、ずっと「結成10周年までは何が何でも続ける」を合言葉に頑張ってきました。キツかったフルマラソンのゴールテープを切った瞬間はきっとこんな気持ちなんだろうなあ、なんてことを今考えてます。これからどういう形でBRIDGEを続けていくか、現在メンバー全員で模索中です。

 パーティーに来てくれた方、『MY FOOT』を読んでくれた方、そして『バースデー』を観てくれた方、どうもありがとうございました。本当にありがとうございました。

 旗揚げ以来ずっと、公演パンフレットに「終演後のごあいさつ」という文章を書いてきました。けれど今回の『バースデー』では、10年間で初めて、この「終演後のごあいさつ」を掲載できませんでした。「書こう」「書こう」と、初日の朝まで机に向かっていたのですが、ただの一文字も書けなかったのです。

 ずっと前から、10周年の公演パンフレットに何を書こうかを考えていました。10年目という節目に僕は一体何を語るのか、僕自身が楽しみにしていました。けれど、いざその時を迎えると、頭が真っ白になって、一向に言葉は浮かんできませんでした。思いは溢れるほど詰まっているのに、そのどれもが「10年目を迎えた」というたった一つの事実の前には、取るに足らないことのように思えたのです。もう少し時間が経って、僕が思いを言葉に直す冷静さを取り戻せたら、その時は折にふれてこの場で書いていけたらいいなと考えています。

 当たり前の話ですが、旗揚げ当初は20歳前後の劇団だったのが、今では30歳前後の劇団になりました。劇団を続けること――それ自体が僕らには試練になってきました。

 でも、辞めません。思うように稽古ができず、みっともない姿を舞台で晒すことになるかもしれません。お客さんが一人、また一人と離れていってしまうかもしれません。運良く続けられたところで結局先細りになり、「あの頃は良かった」などとぼやく瞬間が来るのかもしれません。でも、辞めません。辞める方が楽だからこそ、辞めません。

 ・・・なんてかっこいいこと言っても、終わる時は終わるものです。アマチュアだろうがプロだろうが、集団なんて驚くほどあっけなく、ささいなきっかけで終わるものです。この10年間だって、そういうギリギリな瞬間がなかったわけではありません。結局、そういう緊張感を抱えたまま、やっていくしかないだろうと思います。

 『バースデー』の開演前の劇場ではずっとリバティーンズを流していました。客席の後ろでリバティーンズを聴きながら、僕はずっと自らを奮い立たせていました。「ここからだ、ここからだぞ」と。
見た目は「森ガール」なのに
鳴らす音は真正ロックンロール

 徳島出身のスリーピースバンド、チャットモンチー。メンバーの橋本絵莉子(ボーカル/ギター)、福岡晃子(ベース)、高橋久美子(ドラム)の3人は、バンドよりも下北沢のカフェとかが似合いそうな女の子。華奢で大人しそうで、およそロックには結びつきそうにないこの3人が、なんでこうもタイトで重い音を出しちゃうのか。デビューしてすでに5年経つけれど、僕は未だに彼女たちの見た目と音とのギャップが新鮮だ。かっこいい。すでに全国的な知名度を得ているチャットモンチーだが、もっともっと評価されていいと僕は思う。

『生命力』は2007年にリリースされた2枚目のアルバム。まずこのジャケットが素敵。きっぱりとしたブルーと陰影だけで描かれた3人の顔のイラストが、可愛いけれど迎合していない彼女たち自身の姿勢をよく表している。

 このアルバムを聴いていて毎回感じるのは、冒頭4曲のすさまじいキラーチューンぶり。<親知らず><Make Up! Make Up!>とたたみかけ、<シャングリラ>で意表を突き、濃厚なミドルチューン<世界が終わる夜に>へとなだれ込むという展開は素晴らしい。ここで早くもカタルシスが感じられる。他のアルバムを聴いても思うのだが、チャットモンチーはアルバム序盤の組み立て方が上手い。

 彼女たちは『生命力』の後、1年ほどして3枚目のアルバム『告白』をリリースしている。現時点での最新のオリジナルアルバムはこの『告白』。彼女たちの現在の人気を決定付けたアルバムであり、メディアの評価も高かった作品なのだが、僕は2枚目の『生命力』の方が好きだ。先日theatre project BRIDGEのカメラマン、巽くん(彼もロック好きなのだ)ともこの件について意見が一致したところだ。2人とも理由は同じで、『告白』というアルバムはちょっと“可愛すぎる”のだ。好きな男性に振り向いて欲しくて云々という世界観は、男としてはなかなかもう一歩踏み込みづらいのである。

 それに対して『生命力』は、確かに恋をモチーフにした歌が大半を占めているものの、テーマは恋を通り越して「自立」「孤独」といった普遍的なものへ手を伸ばしている。「希望なんてない」「愛という名のお守りは結局空っぽだったんだ」なんていう、けっこう痛々しいフレーズも散見される。『告白』のような垢抜けた感じはないのだが、その分粗い砂粒を噛んだような苦さがあり、僕はそこに惹かれるのだ。

 だがとにかく何を置いても彼女たちの最大の魅力は冒頭述べたパワフルなサウンド。スリーピースでありながら音はぶ厚くて重い。ギターとベースとドラム以外の楽器に(ほぼ)手を出さない姿勢もかっこいい。彼女たちの現在の人気を担保にした歌モノとしてのキャッチーさだが、本来のチャットモンチーは「音で味わう」バンドだと思う。この『生命力』がリリースされた1ヵ月後に上演したtheatre project BRIDGEの『クワイエットライフ』では、早速<Make Up! Make Up!>を開場BGMとして流した。
4月はいつにも増して吉村昭をやたら読んだ一ヶ月でした。

『桜田門外ノ変』 吉村昭 (新潮文庫)

 この小説は今年、大沢たかお主演で映画化されるそうです。吉村作品の映画化は珍しいと思い、予習のために読んでみた。
 桜田門外のテロがどのようにして起きたのか。その経緯を事件の3年前から描く、上下巻の長い作品。事件の前段、前々段を描く前半は正直ちょっと退屈。だが前水戸藩主の徳川斉昭が井伊直弼の手によって失脚させられ、藩の有力者たちも次々と粛清され、いよいよこれは井伊を斬るしかないと水戸藩士たちが追い詰められていく中盤以降一気に面白くなる。
 とても興味深かったのは、事件に加わった人間たちのその後が描かれていたことである。当然、幕府の大老を白昼堂々斬ったのだから彼らは天下の重罪人であり、逃亡生活を余儀なくされる。ある意味事件そのものよりも、その後の方が緊迫しており、幕府の追捕の輪に徐々に囲い込まれながら、皆次々と理念に殉じて散っていく様は泣ける。


『雪の花』 吉村昭 (新潮文庫)
 
 日本で最初に天然痘治療に取り組んだ医者、笠原良策の物語。
 時代は江戸時代後期。当時の日本には天然痘の治療法はなく、一度流行すると医者はなす術がなかった。福井藩医の良策はある日、西洋には天然痘にかかった牛の膿を人の皮膚に埋め込むことで天然痘を予防する方法があることを耳にする。漢方医だった良策は一大決意をして蘭方医学を学び、牛痘苗の確保に奔走する。
 動物の身体の一部を植え込むことに激しい恐怖心を抱く庶民。怠惰な藩の役人たち。そういった周囲の無理解にも負けることなく、使命感に燃えて天然痘と戦う良策の姿にひたすら感動する。「医術は仁術」を旨とし、私財を投げ打ってまで治療を続ける良策に対し、文句を言うどころか「誇り高い夫を持って幸せ」と精一杯夫を支える妻にも感動。日本人の「公」という精神性を見ることのできる、とても爽快な一冊。


『冬の鷹』 吉村昭 (新潮文庫)

 日本で初めての翻訳解剖書『解体新書』を訳述した前野良沢の物語。
 同書の訳者として広く知られるのは杉田玄白の方だが、実際に中心となって翻訳作業を進めたのは良沢の方らしい。玄白はあくまで訳文を整理したり、スケジュールを管理したりといった裏方作業を担当していた。
 それがなぜ今日、玄白の名ばかりが知られるようになったかというと、『解体新書』を出版する際に、良沢は自分の名前を載せないように玄白に言ったからだった。翻訳は決して完璧なものではなく、意味を類推しながら意訳をした部分も多々あり、そのような書を世に出すことに良沢は反対だったのである。学究肌で頑固で、どこまでもストイックな男だったのである。結局、語学者として評価される機会を自ら捨てた良沢は、『解体新書』出版後も狭い部屋で蝋燭一本を灯しながら黙々と訳述に没頭し、人嫌いな性格もあり、孤独な余生を送ることになる。
 一方の玄白は元来の社交家で、『解体新書』出版により名声を得たことで家族、弟子、富に恵まれた幸福な老年生活を過ごす(当時の玄白の年収なんかが記されていておもしろい)。非常に対照的な2人だが、やはり男として惚れるのは良沢の方だろう。信念を曲げず、自らが決めた道をただひたすらまっすぐ進む姿にグッとくる。


『夜明けの雷鳴』 吉村昭 (文春文庫)

 こちらも前野良沢に負けず劣らず、信念に生きた男の物語。
 医師、高松凌雲。江戸末期にパリに留学した彼は、当時の世界最先端の医療を学ぶと同時に、貧民のための無償病院の存在を知り感銘を受ける。幕府瓦解後に帰国した彼は、旧幕臣榎本武揚とともに函館へ軍医として従軍するも、敵味方の区別なく治療にあたる。明治になり、彼はパリ留学以来の夢であった、貧民病院の開設に奔走する。渋沢栄一や福地源一郎、松本順(良順)といった当時の名士たちの協力を得て、明治14年、ついに日本初の民間救護団体、同愛社を設立する。
 「医者は患者を区別しない」と言って敵方の兵士であっても丁寧に治療を施したり、逆にたとえ肉親であっても特別扱いをしなかったり、病院が戦火に巻き込まれるのを避けるために敵の士官と交渉したりと、この凌雲という男はどこまでも信念と正義を通すひたすら強い男である。また、高給で雇われるのを断ってまで旧主徳川慶喜の匙医を勤めるという、義に熱い部分も持ち合わせている。
 『雪の花』、『冬の鷹』、そしてこの『夜明けの雷鳴』。この3冊を読めば間違いなく感動でお腹一杯になります。


『1Q84 Book3』 村上春樹 (新潮社)

 今月、吉村昭以外に読んだのはこれだけ。でもこれだけで充分である。
 小説を読むことにこれほどドキドキしたのはいつぶりだろう、と思う。ほぼ1年を置いての続編刊行。当初は村上春樹の意図がわからなかったし、事実読み終わった今も突っ込みたいところがないではないのだが、ただこのBook3を読み終わってみて、確かに“たどり着いた”という感じはある。村上作品はいつも「どこに連れて行かれるのだろう」というドキドキ(決してワクワクではない)があり、この独特の緊張感はなかなか他の小説では味わえない。
 今回の『1Q84』は、これまで以上に現実に寄り添った、現在の社会にコミットした作品であるように思った。それは、例えばオウム真理教を彷彿とさせる新興宗教団体が出てくるとかそういう表層的ことではなく、物語が常に「現実」を着地点に見据え、これまで以上に「How To Live?」を語ろうとしているからである。天吾くんも青豆さんも生を渇望しているし、物語は彼らに試練を与え、現実を生き抜くための知恵を授けようとしている。だから、ラストに“たどり着いた”といっても、そこから見える地平は生々しく、カタルシスは重かった。
出来の悪い兄弟2人
見守るファンはもはや母親気分


 たとえば通勤電車の中とか食事中とか夜寝る前とか、生活のなかで音楽を聴く状況・場面というものが人それぞれあると思うのだが、僕の場合、料理をするときというのが音楽が欠かせないシチュエーションのひとつなのである。料理をするときは、まな板と包丁を用意することでも食材を冷蔵庫から取り出すことでもなく、まずCDを選ぶところから始まるのだ。・・・というといかにもオシャレ風だが、作るのは大抵肉じゃがとか野菜炒めとかモロに男の一人暮らしメニューなのであって、別にショパンを聞きながらビーフシチューをトロトロ煮込むとか、AC/DCを聴きながら肉を豪快に焼くとか、そういうことではない。

 で、こないだ料理中のBGMとして、久々にオアシスの『モーニング・グローリー』を聴いたのである。懐かしい。1995年のアルバムなので買ったのは僕が中学生のときである。ずい分前に『ディグ・アウト・ユア・ソウル』を紹介した際に「高校1年生」と書いていたけれど、それは僕の勘違い。中3です、中3。

 だが、衝撃を受けたのは事実。それまでは少なからず同級生への「見栄」として洋楽を聴いていた僕が、ちゃんと音楽として洋楽、そしてロックを聴き始めるようになった1枚である。仮に僕の持っている全てのCDを聴いた順、影響を受けた順に樹形図にすると、多分てっぺんか、そうでなくとも極めて上位に位置することになるんじゃないか。

 その『モーニング・グローリー』を久々に聴いたのである。玉ねぎを炒めながら。僕が料理中に音楽を聴くのは完全なる習慣にすぎないのだが、そうやって適度に音楽以外のものに神経が注がれている方が、じっくりスピーカーに集中するよりもむしろ深く聴き込めたり、新たな発見があったりして、なかなか理にかなっている部分もある。

 今回も『モーニング・グローリー』を聴いて、不変のかっこよさに心震えつつも、以前はその存在感の薄さゆえにあまり気に留めていなかった<キャスト・ノー・シャドウ>や<シーズ・エレクトリック>といった曲の鋭さ、美しさに開眼した。改めて良いアルバムだなあとしみじみ思った。

 先日行われたブリットアワードで、本作は「過去30年間のベストアルバム」に選出された。オアシスは94年のデビューアルバム『デフィニトリー・メイビー』と本作でビートルズを超えるセールスを叩き出し、ブラーとともに90年代のブリティッシュカルチャーの旗頭となった。

 だが遠く離れたここ日本でも、オアシスは瞬く間に、そして確実に浸透していった。直撃をもっとも激しく受けたのが、当時中高生だった僕らの世代である。僕のようにオアシスでロックに出会った人、オアシスがきっかけでギターを始めた人、始めてカラオケで洋楽を歌ったのがオアシスという人、そして好きな洋楽バンドは未だに、結局、オアシスという人。今20代後半から30代前半にはそういう人がめちゃくちゃ多い。オアシスはイギリスだけでなく、僕らにとってもアンセムなのである。

 そんなオアシスもノエルが抜けて解散?活動休止?しちゃいましたね。しかしノエルの脱退なんてオアシスの歴史を振り返れば珍しくもなんともないことであり、未だに解散なんて冗談じゃないかと思っているのは僕だけでしょうか。ただまあ、現時点では最後のアルバムとなってしまった前述の『ディグ・アウト・ユア・ソウル』がとても良いアルバムだったので、ファンとしては一応納得はできる。納得までいかなくても、気持ちはとりあえず慰めることができる。

 しかし40歳になっても殴り合いの喧嘩が絶えないギャラガー兄弟は、しょうもないを通り越してぶっ飛んでいる。ある意味だからこそロック。ファンは2人の兄弟喧嘩に時に振り回され、時に「またか」と呆れ、「仕方ねえなあ」と言いながらずっと付き合ってきたのだ。まるで親の気持ちなのである。そういう意味でオアシスは、メンバーの過激な言動やスキャンダルとは裏腹に、とても“家庭的”な匂いのするバンドなのだ。ステージ上からオーディエンスを、古代国家の帝王のように睥睨するリアムを見ても、ファンの多くは「なんだか可愛い」と思ってしまうのである。

 ちなみに僕が『モーニング・グローリー』を聴きながら作っていた料理は、ミネストローネでした。やっぱりロックな料理ではないですね。でも家庭的な感じはオアシス的、でしょうか。