ぼくもロックで
大人になったんだ
一昨日(28日)の深夜にNHKで忌野清志郎の特集番組をやっていたんだけど、見た人いますか?そろそろ寝ようかなという時間で、見たのも途中からだったんだけど、結局夜中の2時半までテレビにかじりついてしまいました。
タイトルは『ぼくはロックで大人になった~忌野清志郎が描いた500枚の絵画~』。忌野清志郎の生涯を、音楽、そして彼が描いてきた絵画と絡めて振り返るドキュメンタリー番組である。彼は元々絵を描くのが好きで、高校時代は美術部に所属していたほど。その時の顧問が「僕の好きな先生」のモデルになった小林先生である。ミュージシャンとしてデビューしてからも折に触れて描き続け、膨大な枚数の絵を残した。絵は音楽と同じくらい、清志郎の人生にとって重要なファクターだったようである。
デビュー前の、まだ将来を模索していた頃に書かれた自画像。RCサクセションの絶頂期に殴り描いたマンガ。2人の子供を描いた絵。闘病中の自画像・・・。どの絵にもその当時の心情や葛藤が透けているようで、人間・忌野清志郎の横顔を垣間見たような気がした。
絵をあまり積極的には描かなかった時代もあるようだ。デビューして数年後、バンドの人気が低迷し仕事がない、清志郎20代前半の頃。絵を描くかわりに、彼は当時こまめに日記をつけていた。どん底時代であるから、当然内容は明るいものであるはずがない。先の見えない不安や理解を得られないことへの苛立ち、それでも夢を信じ抜こうとする強い意志。様々な感情がノートを混沌と埋めていた。
当時の清志郎にとって大きな心の拠り所だったのが、フィンセント・ファン・ゴッホだった。曰く、「ゴッホは永遠のロックスター」。ゴッホはその生涯でたった一枚しか絵が売れなかった。あの激しいタッチと色使いには、不遇な状況に対する怨嗟の声のようにも見える。不屈の画家ゴッホには、確かにロックに通じるものがあるかもしれない。
ゴッホの絵。清志郎の絵。それらの絵画を眺めながら、僕はロックのことを考えていた。清志郎の日記を読んでロックを考え、清志郎のインタビュー映像を見ながら、僕はロックを考えていた。「ロックってやっぱいいなあ」と考えていた。そんなこと、もう100億回くらい考えてるんだけど、性懲りもなくまた泣けてきた。
ロックは僕を支えてくれる。不完全だからこそ支えてくれる。ロックは愛を歌う。でもその裏には傷ついた心がある。孤独を怖れるなと叫ぶ一方で、寂しさに軋む心がある。高貴な精神を持つ一方で、足元には俗物根性が転がっている。優しさがあり、同時に暴力がある。ロックは矛盾だらけで、あちこちひび割れている。でも、だからこそ僕はそこから勇気を得ることができる。気持ちを癒し、鼓舞することができる。清志郎もきっとそうだったんじゃないかなあ、なんて思う。
2010年は僕にとって20代最後の年だったんだけど、ロックを聴く量は明らかに昔よりも増えている。大人になったらクラシックやジャズに移るのかと思ってたけど、少なくとも僕は違ったみたいだ。もうすぐ30歳というのに、ロックを欲してやまない気持ちは、まだ当分消えそうもない。
大人になったんだ
一昨日(28日)の深夜にNHKで忌野清志郎の特集番組をやっていたんだけど、見た人いますか?そろそろ寝ようかなという時間で、見たのも途中からだったんだけど、結局夜中の2時半までテレビにかじりついてしまいました。
タイトルは『ぼくはロックで大人になった~忌野清志郎が描いた500枚の絵画~』。忌野清志郎の生涯を、音楽、そして彼が描いてきた絵画と絡めて振り返るドキュメンタリー番組である。彼は元々絵を描くのが好きで、高校時代は美術部に所属していたほど。その時の顧問が「僕の好きな先生」のモデルになった小林先生である。ミュージシャンとしてデビューしてからも折に触れて描き続け、膨大な枚数の絵を残した。絵は音楽と同じくらい、清志郎の人生にとって重要なファクターだったようである。
デビュー前の、まだ将来を模索していた頃に書かれた自画像。RCサクセションの絶頂期に殴り描いたマンガ。2人の子供を描いた絵。闘病中の自画像・・・。どの絵にもその当時の心情や葛藤が透けているようで、人間・忌野清志郎の横顔を垣間見たような気がした。
絵をあまり積極的には描かなかった時代もあるようだ。デビューして数年後、バンドの人気が低迷し仕事がない、清志郎20代前半の頃。絵を描くかわりに、彼は当時こまめに日記をつけていた。どん底時代であるから、当然内容は明るいものであるはずがない。先の見えない不安や理解を得られないことへの苛立ち、それでも夢を信じ抜こうとする強い意志。様々な感情がノートを混沌と埋めていた。
当時の清志郎にとって大きな心の拠り所だったのが、フィンセント・ファン・ゴッホだった。曰く、「ゴッホは永遠のロックスター」。ゴッホはその生涯でたった一枚しか絵が売れなかった。あの激しいタッチと色使いには、不遇な状況に対する怨嗟の声のようにも見える。不屈の画家ゴッホには、確かにロックに通じるものがあるかもしれない。
ゴッホの絵。清志郎の絵。それらの絵画を眺めながら、僕はロックのことを考えていた。清志郎の日記を読んでロックを考え、清志郎のインタビュー映像を見ながら、僕はロックを考えていた。「ロックってやっぱいいなあ」と考えていた。そんなこと、もう100億回くらい考えてるんだけど、性懲りもなくまた泣けてきた。
ロックは僕を支えてくれる。不完全だからこそ支えてくれる。ロックは愛を歌う。でもその裏には傷ついた心がある。孤独を怖れるなと叫ぶ一方で、寂しさに軋む心がある。高貴な精神を持つ一方で、足元には俗物根性が転がっている。優しさがあり、同時に暴力がある。ロックは矛盾だらけで、あちこちひび割れている。でも、だからこそ僕はそこから勇気を得ることができる。気持ちを癒し、鼓舞することができる。清志郎もきっとそうだったんじゃないかなあ、なんて思う。
2010年は僕にとって20代最後の年だったんだけど、ロックを聴く量は明らかに昔よりも増えている。大人になったらクラシックやジャズに移るのかと思ってたけど、少なくとも僕は違ったみたいだ。もうすぐ30歳というのに、ロックを欲してやまない気持ちは、まだ当分消えそうもない。