ロック界の学級委員U2
スケール感衰えぬ最新アルバム


 巨大なエンジンを積んだ超重量級の戦車が、排気音を大地に響かせながら近づいてくる、そんな表現が相応しいのではないだろうか。『JOSHUA TREE』の<WHERE THE STREET HAVE NO NAME>にしても、『ALL THAT YOU CAN’T LEAVE BEHIND』の<Beautiful Day>にしても、このバンドのアルバム1曲目はいつも圧倒的なスケール感で始まる。2009年2月にリリースされたニューアルバムである本作。その1曲目、タイトル曲でもある<NO LINE ON THE HORIZON>を聴いたときも、「これぞU2だ!」と嬉しくなってしまった。

 世界中のメディアとリスナーがその一挙手一投足に注意を払う、ロック界の巨人U2。しかし、「大物」と呼ばれるアーティストは数多いるが、サウンドに込められたスケール感という点では、U2は他の追随を許さない。4人とももうすぐ50歳というのに、このおじさんたちは世界を丸ごと呑み込もうとするかのようにエネルギッシュで貪欲だ。

 U2はものすごく、「真面目」なバンドである。それは、例えばボノの一連の慈善活動であったり、戦争や貧困を題材にした曲を数多く歌ったりといった表層的なアクションを指して言うのではない。それらはあくまで彼らの真面目さの結果と見るべきだろう。U2の真面目さとは、音楽によって世界とつながろうという愚直なほどストレートな姿勢のことであり、しかもそれを30年もの間一貫して崩さないタフさのことである。

 彼らの曲には恋の歌もあるし、家族の歌もあるし、なかには抽象的で何を言っているのかさっぱりわからないような歌もある。だがその根底には、音楽で世界を変えようと考えるほど楽天的ではないにしても、少なくとも音楽を現実世界との交感によって作り上げようという意志がある。彼らにとって音楽は快楽原理で鳴らすものではなく、また職人にのみ理解しうる技巧品でもなく、世界の現実とコミットするための手段なのである。

 正直で頑固で、しかもロマンチスト。真面目というよりも、“生真面目”というニュアンスに近いのかもしれない。だが、彼らの持つ巨大なスケール感は、そんなクラスの学級委員のような生真面目さの表れなのである。


 この『NO LINE ON THE HORIZON』はU2の通算12枚目のアルバム。前作『HOW TO DISMANTLE AN ATOMIC BOMB』から、およそ4年半ぶりの新作である。

 話題作なのですでにいろいろな場所で語られているのだが、僕の感じた印象としては、前作『HOW TO~』の雰囲気に近いかな、という感じ。ただ、やはりと言うか、2作ぶりにプロデューサーに復帰したブライアン・イーノのカラーが強く出ているように思える。彼がサイケ・ロックを作ったらこうなりました、というようなアルバムである。

 だがカラフルな音色とは裏腹に、全体を覆う雰囲気はなんとなく重たい。歌詞に大きな変化はないものの、音の密度が濃くて、厚い壁が四方に屹立しているような、ハードな空気がある。ロックンロールのうち、前作が「ロール」の部分が強く打ち出されたアルバムだとしたら、本作は反対に「ロック」的な志向性を持つ作品と言えるかもしれない。

 硬質な曲が目立つなかで、今回唯一のセルフ・プロデュース曲であるラスト・ナンバー<NO LINE ON THE HORIZON 2>は、ドラムとベースがパワフルに炸裂する、バンドとしてのU2が体感できるロック・チューンだ。

 それにしても『NO LINE ON THE HORIZON』だなんて、なんて“マジメ”なタイトルなんだろう!


シングル・カットもされた<GET ON YOUR BOOTS>のPV

タイトル曲<NO LINE ON THE HORIZON>。こちらはスタジオでのライヴ風景
近代日本の黎明期に何が起きたか
リアリズムで「カタルシスの後」を描いた大作


 久しぶりに本の紹介を。

 「好きな作家は誰?」と聞かれたら、僕は迷うことなく司馬遼太郎、と答える。彼の小説さえあれば一生過ごせるんじゃないか、と思ってしまうほどに僕は彼のことが好き。“超”がつくほどに愛してるのである。

 司馬作品の大きな特徴の一つは、小説なのに途中で何の前触れもなく、“筆者は~”といった具合に司馬自身が登場するという、なんとも自由奔放な空気である。

 彼の書く小説は三人称で書かれているように装って、実は生身の司馬遼太郎自身が物語の語り手を担っている。信長も竜馬も土方歳三も、まるでついさっきまで当人と酒を酌み交わしてきたかのような親密さと気さくさをもって、司馬は歴史上の人物を語る。誤解を恐れず言えば、司馬遼太郎の作品は小説ではなく、紀行文なのだ。

 彼の作品には彼自身の体温が籠もっている。司馬作品を好きか嫌いかの分かれ目は、作品のモチーフとか筆致とかの問題ではなく、彼の人格を受け入れられるかどうかの違いだと思う。

 今回紹介する『翔ぶが如く』は、西郷隆盛と大久保利通の2人を中心に、明治維新から西南戦争に至るまでの10年間を描いた作品だ。司馬遼太郎の代表作の一つとして数えられる本作は、彼の作品の中でもっとも長く、そしてまた、もっとも紀行文的、記録文的な小説である。その理由は、描いた時代に由るところが大きい。

 明治維新という革命によって日本は俄かに近代国家となった。だがその実態は、充分な国家歳入がなく、政府の機能も勢威もままならない、かなり不安定な船出だった。大久保利通は強烈なイニシアチブを発揮し、政府主導による国家経営に乗り出すが、在野には特権を奪われたかつての武士たちの不満が渦巻いていた。西郷隆盛はその不満を征韓論という形で吸収しようとするが、大久保との政争に敗れ、故郷鹿児島へ帰る。だが西郷の下野は、はけ口を失った全国の武士の不満を引き寄せることになり、明治10年、鹿児島士族を中心とした反政府勢力は西郷を首領に担ぎ上げ、西南戦争という凄惨な内戦に突入する。

 明治最初の10年は騒擾と混乱に満ちた時代だった。エネルギッシュではあるがカオスであり、そして暗さが漂う。そういった時代を題材に選んだ司馬の苦闘が、文庫本全10巻という長さと、物語というよりもドキュメンタリーに近い筆致として表れたのではないだろうか。

 時代の混迷を示すかのように、物語もあちこちへと数限りない寄り道をしながら進むこととなる。例えば、征韓論に関する記述や、台湾出兵とその後の清との交渉に関する記録的描写は膨大だ。また、第三の主人公ともいうべき宮崎八郎のエピソード、とりわけ中江兆民との交流を基に当時の民権運動を描くくだりは丸々1巻以上が費やされている。その後も萩の乱、秋月の乱、神風連の乱といった西南戦争の前哨戦にも紙面が割かれており、西郷が挙兵していよいよクライマックス、というところまでは、読むのにかなりの根気を要する。

 明治維新は近世を壊し近代をこじ開けた日本史上の革命であり、そして革命とは歴史を物語として読み直すうえでは強いカタルシスを持つ、いわばラストシーンを飾るに相応しい瞬間である。『竜馬がゆく』も『峠』も『花神』も、読後に爽快感が感じられるのは明治維新以降が物語に含まれていないからだ。

 だが僕らは、明治以降の日本がどういった歴史を辿ってきたかを知っている。雄藩連合による俄か普請で作られた新政府は、基盤の弱さを埋めるべく天皇という古代権威を持ち出したことで、大日本帝国憲法に「統帥権」の一語を加えてしまい、結果それが昭和になって陸軍の暴走を合法化させる口実となった。日清・日露の勝利は日本の近代化が諸外国と比肩するまでに至ったことを証明したが、同時に帝国主義を固陋化させ、大正、昭和と時代が進むにつれて、逆に近代的な合理精神を衰退させることになった。明治初期を描くことは、とりもなおさず現代日本がその出発点において何を為してきたかを再定位することである。

 司馬遼太郎の創作の原点は、敗戦時に感じた無力感にあるという。なぜ日本はこんな愚かな国に成り果ててしまったのか、司馬文学には彼が若き日に感じたこの疑問が通底している。彼にとって歴史とはロマンの対象ではなく、徹底したリアリズムで観察すべきものだった。独自の紀行文的文体は、そういった動機から生まれたものでもあったのだろう。

 司馬作品を歴史の流れに沿って置いてみると、もっとも現代に近い時代を描いたのがこの『翔ぶが如く』と、さらにその数年後が舞台となる『坂の上の雲』だ。近代日本がその後に歩んだ道を示唆するかのように長く重たい両作品は、現代に生きる僕らの喉元に突きつけられたナイフである。この2月で司馬遼太郎が亡くなってから13年になったが、彼の作品は僕たちや、さらにもっと後の世代にとって、貴重な財産であると思う。
見つからない探し物を探し続ける
21世紀初頭のロック・アンセム


 スネオヘアーを、僕は長い間“食わず嫌い”だった。スネオヘアーこと渡辺健二がメジャーデビューしたのは2002年。当時から名前は知っていたのだけれど、そのあまりにシュールなアーティストネームから、「どうせヘンな音楽だろう」と高を括っていて、そのうち存在すら忘れてしまった。そんなスネオヘアーを、初めてきちんと聴いたのがこの、05年にリリースされた3枚目『フォーク』。
 シンプルなメロディーと淡く切ない歌詞、ギター・ベース・ドラム・鍵盤という削ぎ落とされたサウンドが紡ぎ出す全11曲57分間の世界は、とにかく美しい。ものすごく個性が強いタイプではないけれど、不自然な力みや押し付けがましさのない静かな美しさには、じわじわと感情が揺さぶられ、圧倒される。
 「ヘンな音楽」だなんてとんでもない。スネオヘアーは極めて「ストレート」なアーティストだった。

「どうしてそんなに簡単にわかりあえてしまうのだろう」
「そんなにも簡単に好きになんてならないで」
と歌った後で、
「そんなにも簡単にさよならなんて言わないで」
と呟く、アルバムタイトル曲<フォーク>。
 このアルバムで彼が歌うのは、失恋であったり他人との誤解であったり周囲に理解されない淋しさといった、極々パーソナルな心情である。他人にとっては取るに足らない些細なエピソードも、本人にとっては今も抜けない棘のように、チクリチクリと忘れた頃に痛み出す。そんな、自分と世界との埋めようのない溝に対する苛立ちが歌われている。
 ここまでは取り立てて珍しくも目新しくもない。むしろこれらは、半世紀以上にわたってロックが描いてきたメインテーマの一つだ。だが、このアルバムが古臭くないのは、世界への苛立ちを感情のまま叫ぶでも朗々と歌い上げるでもなく、クールで突き放したような声で歌う点にある。
 冷め切った目線に、少しの熱さも持ち合わせないボーカル、愛を歌いながらも希薄な他人の存在感。スネオヘアーの佇まいには、なにか大事なものを諦めてしまったような、そんな空気が漂っている。「どうしてそんなに簡単にわかりあえてしまうのだろう」と安易な人間関係を拒絶して真の理解を求める気持ちを歌いながらも、彼の心の奥底には、まるで「きっとそうはならないんだろうな」と言わんばかりの深い悲しみが見え隠れするのだ。
 だが、このアンビバレンツこそが現代のリアルと呼応する。希望と空想とが限りなく同義に近くなった今日の閉塞感のなかでは、願いを願いのまま口にすることは“痛い”行為でしかない。夢や希望を本気で語るのであれば、「そんなものどこにもないんだ」という諦めを前提として、その相反する2つの感情に引き裂かれることを覚悟しなければならないのだ。
 だからこそ、クールで突き放したようなスネオヘアーの佇まいは、リアルなファイティングポーズのように見える。見つからないとわかっている探し物を、それでも探し続けるような、真面目でひたむきな彼の音楽は、21世紀仕様へとアップデートされたロックミュージックなのである。


アルバム1曲目<フォーク>PV。本文の本旨とは若干ずれる曲なのだけど、いい曲です。神木隆之介くんが出演していて驚き。終盤に出てくる救急隊員がスネオヘアーこと渡辺健二本人です
犯罪史上未曾有の脱獄王とそれを追う人々
教科書では知りえなかった昭和史が見えてくる


 太平洋戦争最中の昭和18年4月、1人の囚人が巣鴨の東京拘置所を離れ、5人もの看守が付き添う異例の厳戒警備のなか、北海道の網走刑務所へと移送された。

 囚人の名は佐久間清太郎。昭和8年に青森県で起きた準強盗致死事件の犯人として逮捕された無期刑囚であり、そしてこの10年の間に青森刑務所と秋田刑務所、2回の脱獄歴を持つ男である。

 これ以上の脱獄を許せば、他の囚人の増長や社会不安を招きかねないと考えた司法省行刑局は、30年近く無事故という国内屈指の警備体制を誇ってきた網走刑務所へ佐久間を移送することを決めたのである。

 ぶ厚い楢の壁と鉄の扉に覆われた独居房、24時間体制の専任の看守、さらに重さ約15キロの特製の手錠と足錠。網走刑務所は威信をかけて、厳重に厳重を重ねた監視体制で佐久間を迎える。

 だが、佐久間は看守たちの裏の裏をかく奇想天外な方法を駆使して、ついにはその網走刑務所をも破獄する。その後再び逮捕され札幌刑務所に収監されるも、さらに脱獄。つまり、脱獄歴は計4回、累積逃亡期間はなんと3年という、日本犯罪史上他に類を見ない服役囚、それがこの『破獄』の主人公、佐久間清太郎なのである。


 実はこの本、ほぼノンフィクションである。佐久間を含め登場人物の名前こそ仮名であるが、事件の詳細な記述などは事実。獄中での佐久間の様子や刑務所側の苦労などが、吉村昭独特の、感情描写を省いたクールな筆致で細かく書かれている。

 特に網走刑務所に収監されて以降は、過去の脱獄の経緯や手法、さらには取り調べでの会話など、刑務所側の佐久間に対する「研究」がなされ、そのため看守と佐久間との会話は、まるで心理戦のような緊張感がある。

 時代は太平洋戦争末期。20代、30代の壮健な男性は戦地へ狩り出されていたため、刑務所側も人材が払拭しており、そのような人材難を解決するため、優良な囚人を選別し彼らに看守の補佐をさせる「特警隊員制度」という苦肉の策を採用していたことなど、時代的な事情も記述されていておもしろい。

 一般国民は食料が危機的に欠乏していた時代にあって、刑務所に服役する囚人には国民よりも豊かな食事が与えられていた。これは、食料が減ることで囚人の暴動や逃走、それによる社会混乱を防ぐためであり、そのために刑務所の所員たちは食糧確保のために東奔西走する。戦争が激化するなかで、いわば日陰の存在である行刑に携わる人間たちが、そのような社会的使命を帯びて職務を全うしていた事実などは、戦時社会史の新たな一面を見るかのようである。

 当の佐久間だが、4度目の脱獄後、結局は逮捕され、府中刑務所に収監される。そこで刑期を終えることになるのだが、なぜ彼がこのときに限って脱獄を犯さなかったのか。府中刑務所は一体彼にどのような態度で臨み、どのような警備体制を布いたのか。そこには、超人的な能力を脱獄という反社会行為でしか発揮できなかった哀れな人間と、それを囲む人間たちとの静かでゆるやかな交流があった。


 この『破獄』は1985年にNHKがドラマ化している。僕は2,3年前に、深夜にこのドラマの再放送を偶然見かけて、それがこの原作を読むきっかけとなった。

 ドラマで佐久間清太郎を演じていたのは緒形拳だった。全身の毛穴から生命力が湯気となって絶えず溢れているような佐久間という人間を、緒形拳は見事という言葉などでは足りない、すさまじい芝居で演じていた。
猛スピードで走り去った
ある高速車の記録


 日本のバンド、スーパーカーが2005年の解散直後にリリースしたシングル集。彼らがリリースした16曲のシングル全てが網羅されている。

 スーパーカーというと、松本大洋原作の映画『ピンポン』の主題歌<YUMEGIWA LAST BOY>のイメージが強いせいか、打ち込みメインのグループと思われがちだが、元々の彼らは純然たるロックバンド。キャリアを経るうちにサウンドが大きく変化したのである

 <CREAM SODA>や<LUCKY>など初期の頃はギンギンと耳鳴りのように響くギターロックを鳴らし、中期<LOVE FOREVER>や<FAIRWAY>あたりで徐々にエフェクトや打ち込みの導入などエレクトロへの傾倒を見せ始め、そして後期では<AOHARU YOUTH>や<BGM(プロデューサーは元電気グルーヴの砂原良徳)>といった、さらに電子的な要素を取り入れた楽曲を制作するようになる。

 元々初期の頃からエフェクティブな音楽への好奇心が見え隠れしていたものの、たった8年という短い活動期間のなかで、ロックに始まりながら、最終的にロックという単一の規格には収まらないオリジナルな世界観へと進化したスピードとその振れ幅には、この『A』を聴くと改めて驚かされる。

 メンバー自身もこのような激しい音楽性の変遷を予測できてはいなかったのではないだろうか。行き着くところまで行ってしまったので、ある意味解散は必然だったのかもしれない。


 スーパーカーのメンバーは4人。うち1人だけ女の子が混じっている。ベースのフルカワミキである。

 僕は彼らがデビューして間もない頃にビデオクリップを観て初めて知ったのだけど、女の子がボーカルではなくプレイヤーとして男に混じって演奏しているということが、当時高校生だった僕にはとても新鮮だった。

 だがフルカワミキの放つ強い存在感は、そういったフォルム上だけのものではない。彼女のコーラス(曲によってはメインボーカル)は、スーパーカーの大きな特徴の一つだ。

 彼女の歌声は典型的な“しゃべり声”。ボーカル中村弘二の低音で気だるい感じの歌声に、フルカワの「この人やる気ないんじゃないか?」と思わず心配になりそうな奇妙に力の抜けたコーラスが加わると、不思議な化学変化が生じて男性的でも女性的でもないような独特のフワフワした心地よさが生まれる。

 歌詞の大半を手がけるのは、リードギターのいしわたり淳治(現在チャットモンチーなどのプロデューサー)。彼の書く歌詞には、愛や夢や未来の不安という、かなり甘くスイートなエッセンスが詰まっていて、ボーカルが男女どちらかに偏ればくどくなってしまいそうなのだが、中村・フルカワの両者によるコーラスはそれを見事に中和して、普遍的なリアリティへと昇華している。桑田佳佑だけでも歌としては成立するけれど、やはり原由子のコーラスがなければ“サザン”にはならない、そんな感じに似ている。

 刻々と進化するサウンドと、中性的で甘酸っぱい世界観。スーパーカーはいわゆる「ロック」的な硬く重さのあるバンドというよりも、柔らかくてつかみどころのない多面性を持つ不思議なバンドである。コアなロックファン層を中心に、未だに人気が衰えないのも頷ける気がする。同時発売されたシングルB面集の『B』と併せて聴けば、短くも濃密な彼らの足跡を味わえる。


初期の代表曲<LUCKY>。この曲では中村・フルカワがボーカルをきれいに半々に分け合っています。
傷を舐めあって群れる男
涙も強さに変える、たくましい女


 現在NHK-FMで毎週火曜の23時から放送されている『元春レイディオ・ショー』がとっても良い。番組のナビゲーターは佐野元春。彼自身がON AIRする曲をセレクトしていて、特定のジャンルに偏らない、ちょっと知的でマニアックな音楽ばかりをかけてくれる。

 ちなみにこの番組は80年代に放送されていた『ミュージック・ストリート』という番組が元になっていて、当時は佐野元春の他に、坂本龍一や山下達郎が日替わりでナビゲーターをやっていたらしい。なんという豪華な顔ぶれ!

 僕にとって、未知の音楽への架橋をつないでくれたのは、ラジオではなくMTVだった。最近じゃiTunesなどのネットメディアに押されてすっかり人気は下火になってしまったらしいけれど、少なくとも僕が高校生だった頃、ゴールデンタイムの歌番組なんかじゃ物足りなかった音楽への好奇心を受け止めてくれたのはMTVだった。

 今回紹介するのは、アラニス・モリセットがMTVの名物番組『アンプラグド』に出演した際のライヴ盤。この番組は屋内の小さなスタジオに観客を招き、毎回違うアーティストがアコースティック・ライヴを行うというもの。過去出演したアーティストは数えたらキリがないのだけれど、シンプルなアレンジと生楽器による演奏は、毎回CD音源とは一味違う魅力を発見させてくれる。なかにはニルヴァーナやレニー・クラヴィッツといった、アコースティックなイメージとは正反対にあるようなアーティストも出演していて、そういった意外性もこの番組の見所だった。

 アラニス・モリセットも、本来は重く歪んだギターをバックにシャウトしまくるヘヴィゲージなアーティストである。しかしこの『アンプラグド』における一連のアレンジは、元々こういう曲だったのかと思うくらいに完成度が高い。エレキギターが削ぎ落とされ、代わりにモダンジャズのように引き締まったピアノが高いウェイトを占めていて、それが彼女の歌声を際立たせている。正直このアルバムを聴くまでは、彼女がこんなに歌が上手いとは思っていなかった。

 女性シンガーが音楽を通して女性の強さや自立を歌うケースは、それこそエディット・ピアフやビリー・ホリデイの時代からたくさんあるけれど、その多くは「男性に対しての女性」という文脈のなかでしか歌われてこなかった。男性社会のなかでの女性の生き方の模索であったり、男性よりも優れた女性の特質であったり、当時の社会と文化のなかでは、男性という存在を前提にしなければ、多くの女性は自らを定位できなかったのである。そんな時代性が徐々に変容し、女性アーティストが男性という重力圏を離れ、女性固有の価値観を音楽を表現してきたのが、60年代のジャニス・ジョプリン、70年代のジョニ・ミッチェル、80年代のマドンナとシンディ・ローパーという流れだったのである。

 そして90年代後半あたりから、男性性と切り離して女性性を歌える女性シンガーが登場する。アラニス・モリセットはその代表格であり、パイオニアの一人だろう。彼女の歌詞には自分を捨てた元カレが登場したりしてけっこう暴露的なのだが、それをサラッと、すがすがしいほどの笑顔で歌ってしまう。そこには男性に対する遠慮も気負いもコンプレックスもないどころか、男性のことを歌っていても男性を感じないという不思議な透明性がある。「女性として」「男性として」という従来型の発想を超えた、一人の人間としての自然な佇まいを見るようだ。

 ここ10年くらい、邦楽も洋楽も、女性はソロアーティストが増えて、逆に男性はソロが減ってバンドマンが増えている気がする。なんだかこれは女性が強く逞しくなり、その一方で、男性の軟弱体質化が進んでいることの表れのように思えてしまうのだが、同じ男として我が身を顧みると思い当たる節もあって、正直笑えない。


『アンプラグド』ライヴの映像より。セット・リストのなかで唯一のカヴァー曲だったのが、ポリスの<King Of Pain>。ラストに「King」という歌詞を「Queen」と変えて歌っている。それが彼女の矜持にも聴こえてとてもかっこいい。
「出来損ないのカメレオン」が
全てにサヨナラを告げた日


 ピロウズが結成20周年を迎える今年、初の武道館でのワンマンライヴを行うことになった。

 1989年に結成し、91年にメジャーデビューを果たしたピロウズ。そのキャリアは決して順調なものではなかった。現在の彼らの曲しか知らない人が、初期ピロウズの曲を聴くと、その違いに驚くと思う。初期の彼らはストーン・ローゼズやザ・スミスのようなフワフワとトリッピーな音色のギターを鳴らす、洋楽の、とりわけブリティッシュのサウンドを色濃く体現したバンドだった。だが当時の邦楽シーンには、まだ彼らのような本格派の洋楽バンドを受け入れるほどの素養は育っていなかった。

 思うような評価が得られず、ピロウズは迷走する。93年にはバンドの生みの親でもあったベースの上田ケンジが脱退し、一時的に活動を休止。その後事務所を移り活動を再開させ、ボサノヴァやフレンチ・ポップ、ジャズなどにまでサウンドの模索を広げるものの、セールスは依然として停滞し、メンバーとレコード会社など周囲との葛藤は日に日に深刻さを増していた。状況を打破すべく、レコード会社のタイアップ戦略を受け入れて商業的な成功を狙ったシングル『Tiny Boat』も低調に終わり、ピロウズは出口の見えない闇の中へ完全に落とされる。

 そのような失意のどん底で、ボーカル山中さわおは『ストレンジカメレオン』を作る。良いと思って作った曲がことごとく受け入れられない自らを「周りの色に馴染まない出来損ないのカメレオン」と喩えた歌詞と、かつてないほどに重く歪んだギターの音。この『ストレンジカメレオン』は、それまでのバンドの音楽性を根底から覆すような曲だった。

 契約を切られ、再びインディーズへと戻ることも辞さない覚悟でリリースしたこのシングルは、結果FMチャートで2位を獲得し、直後に予定していたライヴのチケットは即日完売する。ようやく、少しだけ、それまで彼らを覆っていた暗闇に光が射したのである。

 この『ストレンジカメレオン』を収録したアルバム『Please Mr. Lostman』が、今日のピロウズ・サウンドの祖形であり、20枚近くある彼らのアルバムのなかで間違いなく最重要な一枚だ。

 ギターの真鍋吉明は、かつてインタビューでこのアルバムを「音楽業界への遺書」だと語っていた。レコード会社や事務所がいくら反対しても、これからは自分たちが信じる音楽だけを鳴らそうと決意したピロウズは、『Please Mr. Lostman』を作ることで当時のシーンにも業界にもサヨナラを告げたのである。

 とても痛々しいアルバムだ。誰にも理解されない孤独と、自分の感性への揺るぎない誇りと、そして「できれば僕の音楽を気に入って欲しい」という祈り。山中さわおは当時の心情を生々しく楽曲に叩きつけている。だがドメスティックでありながらこのアルバムが普遍性を持つのは、彼の曲が悲しみでも嘆きでもなく、「誇りある孤立」を選び取る勇気を謳っているからだ。

 サヨナラと告げて旅立ってから10年以上、ピロウズは武道館のステージに立つ。世界に居場所を見出せなかったLostman(迷子)が、長い時間をかけて多くの人に理解され、そしてかつては夢にも見なかった場所へとたどり着いたのだ。彼らの作る歌一つひとつに自分自身を重ね合わせてきた僕にとって、これは単なるバンドのサクセスストーリーなどではなく、もっと大きな希望と幸福の物語なのである。


<ストレンジカメレオン>PV
ケルトの旋律が
地上に遍く朝日を照らす


 2001年の12月、僕の所属する劇団theatre project BRIDGEは初のオリジナル作品となる『Goodbye, Christmas Eve』を上演した。この作品はタイトルの通りクリスマスが大きなキーワードになっていた。演出を担当していた僕は、劇中使用曲にケルト音楽を使おうと考えていた。

 僕はタワーレコード渋谷店の5階にあるワールド・ミュージックのコーナーに足繁く通って、「ケルト」「アイルランド」と名の付くものは片っ端から聴き漁り、さらには他の北欧音楽やニューエイジにまで手を広げ、とにかく毎回3,4時間はそのコーナーをうろついた。さぞかし鬱陶しい客だったと思う。ちなみに、同じフロアにはジャズのコーナーがあって、以前本稿で紹介したakikoは、ちょうどその頃に出会ったアーティストである。

 ある日、いつものように散々試聴して、そろそろ出ようかと思った僕は、最後に新譜の試聴コーナーへ向かった。そこに置かれていたのはジャズやブルース、カントリーのCDがほとんどで、なんとなく眺めていただけだったのだけれど、そのなかに1枚、ハッと目につくジャケットがあった。

 それは広大な針葉樹の森に陽光が差し込んでいる神秘的なイラストだった。タイトルから察するにその光は朝日。たしかによく見ると朝霧が森を覆っている。その景色は、かつて僕が高校時代にこの目で見て衝撃を受けた、アメリカのグランド・キャニオンの光景とどこか似ていた。

 それが、ビル・ダグラスの『A Place Called Morning』だった。


 このアルバムのなかにあるのは、ピアノにヴァイオリン、チェロにクラリネット、フルートにファゴット、そして聖歌隊のコーラス。ジャンルとしてはニューエイジに類されるのだろうが、例えばアディエマスやエニグマなどのシンセ主体のニューエイジ・ミュージックとは違い、生の楽器による質感は、むしろクラシックに近い。

 そしてまた、何年か前に話題になったコンピ・アルバム『イマージュ』のような、脆弱なヒーリング音楽とも全く異なる。楽器の音色は、何かに祈りを捧げているような透明な緊張感を孕み、聖歌隊のコーラスはまるでレクイエムのように硬質で、その旋律は哀しく儚い。耳あたりのよさよりも、全体にある種の厳しさのようなものを湛えている。

 この作品には、実はケルト音楽が血となって流れている。現代音楽家ビル・ダグラスはクラシックやジャズを学び、さらにケルトをはじめアフリカやインディアンなどのルーツ音楽への造詣が深い。どこか哀しく郷愁を誘う旋律は、ケルト・フォークの影響だろう。確かにジャケットに描かれた朝の森は、南国ではなく、北方の大地に広がる針葉樹の森だ。

 タイトルにある「Morning」とは、決して爽やかな気持ちやリラックスの比喩ではない。このアルバムで描かれているのは、森や川、山や谷に訪れる朝そのもの。そこには単なる「1日の始まり」ではなく、46億年の間絶えず育まれてきた、生命そのものの厳粛な美しさがある。

 このアルバムを聴いていると、音楽が魔法であることを改めて感じることができる。それは、言葉では表現できないものを、音楽はいとも簡単に抽出し、表現し、昇華させてしまうという素朴な感動である。文字を持たなかったケルト人は、自身の歴史や文化を全て口承だけで伝えてきた。自然のことや生命のこと、世界の有り様を、彼らは神話と音楽だけでずっと表現してきたのである。
アイドルでもアーティストでもない
Perfumeという名のGAME


 2年前か3年前か、はっきりとは覚えていないのだけど、友達数人とカラオケに行ったときのこと。酔っ払って疲れていたのか、一人が歌い終わったら休んで、しばらく経ったら次の人、という具合の極めてまったりしたカラオケだった。僕はまばらな曲予約の合間あいまにモニター画面に流される、アーティストのインタビューやコメントをボーっと眺めていた。

 その映像のなかにPerfumeがいた。確か「新曲が出ました」とか、そういう内容だったと思う。衣装も喋り方もちょっと野暮ったくて、そのときは彼女たちがまさかこんなに人気者になるとは思わなかった。

 3人とも若いので、てっきりデビュー後いきなり売れたかのようなイメージがあるが、実は意外と苦労人。結成は2001年。まだ彼女たちが小学生の頃だった。インディーズでCDを出しながらデパート屋上のイベントやレコードショップの店頭などでライヴを行う下積み時代が長く続く。

 そんな彼女たちがついにブレイクを果たしたのが2008年。シングルのオリコンチャート首位獲得、ライヴ会場は中規模ホールからついに武道館へ、そして年末には紅白出場と、人気を一気に全国区にした。そんな文字通りサクセスストーリーな1年の幕を切って落としたのが、このセカンドアルバム『GAME』である。オリジナルアルバムとしては初になるが、全12曲の大半がタイアップ曲なので、実質的にはベストアルバムに近い豪華さだ。


 Perfumeのおもしろさは、“ありそうでなかった”感だと思う。音楽のジャンルが、ということではなく、彼女たちの存在そのものが既存の枠では捉えがたい。

 まず、彼女たちに「アイドル」というカテゴリーは当てはまらないだろう。男性をターゲットにすることはあっても、そこには男の妄想やフィクションに媚びるような気配がないからだ。<チョコレイト・ディスコ>に見られるように、むしろ彼女たちは女の子っぽさを「女の子っぽさ」という一つのモノとして逆手に取り、ちょっぴりギャグっぽくアウトプットしているようなところがある。

 かと言って、「アーティスト」というのもしっくりこない。楽曲は全てプロデューサーの中田ヤスタカの手によるものであり、そこに彼女たち自身の意思やメッセージといったものは介在しない。そもそもパフォーマーとしてのPerfume自体、ジェスチャー的で物語仕立てのようなダンスにしても、加工されたボーカルにしても、生身の体温が欠落している。

 つまり彼女たちには実体がないのだ。3人は電子的なテクノサウンドによって映し出された幻影に過ぎない。全ては用意周到に仕組まれた演技。Perfumeというのはアイドルでもアーティストでもなく、コンセプトのことなのである。

 だが、その一方で、トークなどで見られる3人のパーソナリティは非常にユニークで、普通の日常を過ごす女の子としての体温が感じられる。その落差がまたさらにおもしろい。そういった意味では、彼女たちは単純なマリオネットではなく優れた天然の役者であり、Perfumeという極めて知性的な遊びを煽るプレイヤーと呼べる。

 タイトル曲<GAME>で歌われる「Play the GAME, try the new world」という歌詞は、Perfumeという存在を比喩した、ある種の宣言文のように聞こえる。


<シークレット・シークレット>のPV。数あるPerfumeのビデオのなかでも、もっともコンセプチュアルな一本。
「鬼気迫る」とは
彼女のことだ!


 白人女性ブルースシンガーの最高峰、ジャニス・ジョプリンの代表作であり、彼女の遺作となったアルバム。この『パール』のリリースを3カ月後に控えた1970年10月4日、ジャニスはヘロインの過剰摂取で亡くなってしまう。

 今から40年も前のアーティストである。ロック雑誌などで彼女のことが語られるとき、必ずと言っていいほどセットになるのが、ヒッピー・ムーブメントやサマー・オブ・ラブといった当時の世相やカルチャーだ。81年生まれの僕には、そういった時代の空気はよくわからない。

 僕が感情移入するのは、彼女の年齢である。享年27歳。その若さで、なぜこれほど鬼気迫る歌声を聞かせられるのか。同い年の僕は、ただただ圧倒される。


 高校時代からシンガーを志したジャニスは、20歳のときに地元テキサスを離れ、ヒッチハイクをしながらサンフランシスコを目指す。当時のサンフランシスコはヒッピーなど当時の若者文化のメッカというべき街だった。彼女はそこで、コーヒーバーなどで歌いながらチャンスを待ち続ける。

 転機は24歳のときに訪れる。67年に行われたモントレー・ポップ・フェスティバルだ。20万人以上を動員し、ジミ・ヘンドリックスがギターを燃やしたことでも有名な、伝説の野外コンサートである。前年に加入したビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニーのボーカルとしてステージに立ったジャニスは、その圧倒的なステージングで聴衆からも音楽業界からも一躍注目されることになる。

 その後バックバンドを変えながら3枚のアルバムをリリースし、ウッドストック・フェスティバルをはじめ、大規模なステージでライヴを行い、大スターとなったジャニス。そんな彼女が、新たに結成されたバックバンド、フル・ティルト・ブギーとともに制作に挑んだのが、この『パール』だった。


 ジャニスは決して「美声」の持ち主ではない。以前本稿でシュガーキューブスを紹介したときに、ビョークの声を「地上でただ一つしかない楽器」と書いたが、ジャニスの場合はそれとは対照的だ。無数の引っ掻き傷を受けたかのようにかすれ、引きつれた歌声は、持ちうる情念の全てを叩きつけるかのようであり、そこには楽器としての美的存在というよりも、彼女の人格そのものがさらけ出された実に生々しい重さがある。だからこそ、ジャニスの歌は脳天を貫き、背骨を上から下まで振るわせるように力強い。まさに「ソウル」という他ない。

 女性シンガーだからと言って、ジャニスには「歌姫」という呼称は似つかわしくない。彼女は夏の日の夕方にスコールを降らせる天女だ。その天女は、狂おしいほどに刹那的で激しい雨を降らした後に、陽炎という名の儚く切ない幻を見せる。


件のモントレー・ポップ・フェスティバルでのジャニス。

『パール』の1曲目<Move Over>。邦題は<ジャニスの祈り>。