468.フィリピンの時の流に身をまかせ.8 | マリンタワー フィリピーナと僕といつも母さん byレイスリー
当初ワタクシとジョイはフィリピンに移住してもファミリーとは別に家を買って暮らす事で話を進めていた、ジョイは嘘をついてまで送金させようとするファミリーにウンザリしていていて縁を切りたがっていた、だが彼女を知るワタクシは縁を切る事は難しいだろうと思っていた、たとえフィリピンで別々に暮らそうともファミリーからの援助の要請はとまらないだろう、それにお人好しのジョイが言われれば断る事が難しい、そこでワタクシはケソンシティでファミリーと一緒に暮らす事を提案した、ジョイは家の汚さや周辺のウルサイ家に「あなたが耐えられないだろう」と言い切った、だが汚さや周りがうるさいなどはワタクシには経験があり全くではないが、それほど気にならなかった、ワタクシがファミリーと暮らそうと思ったのは一つは送金しても実際は何に使われているかが分かりづらく一緒に暮らせば金銭的にかかっても何にお金が必要かが把握出来、更に別に住むよりは光熱費も安上がりになりのではと思った、日本から仕送りするワタクシを含めたP旦那やフィリピーナの恋人たち、また日本にいるフィリピーナたちは送った金はファミリーが言った理由の通り
に使っているとは限らない事が多い、日本で働いているから日本人と結婚しているからとファミリーたちは余計な仕送りを依頼してくるフィリピン人もいる、だがフィリピンにファミリーたちと一緒にいて彼らの金銭面を管理すればファミリーたちのも嘘をつかずにすみ正しい出費には協力出来て将来も助ける事が出来る。


そしてもう一つフィリピンに渡ろうと決心した理由は将来ワタクシとジョイが日本で今の蓄えでは暮らす事が出来なくなると思ったからだ、62歳で厚生年金を65歳で基礎年金を受け取り、65歳までジョイと共に働いたとしても今の貯蓄が増えたとして僅かなものだろう、ワタクシが病気で働けなくなった時点で今ある貯蓄を食い潰しが一気に始まり70歳を過ぎれば貯蓄も底をつく、実はワタクシの周りにはそういった老人たちが徐々に増えつつあり、かつての職場での先輩たちは家があるない、或いは過去年金を払っているいないで老後が大きく変わってしまっている、10年前にワタクシとって同じように離婚をし母親の介護で退職したある方は家はないが800万近くの貯蓄を持っていたが介護を初めて3年間後に母親が無くなり、その間に体を悪くし働けなくなってしまい僅かな年金と貯蓄で暮らしているが今では貯蓄が80万円まで減ってしまった、後一年間生活出来るかどうか、ワタクシが70歳まで仕事をしても、このままいけばジョイにや日本にいる子供2人にも何も残してやれなくなる、数年後には国民の3分の1
が60歳を越える現状の日本の政府の貧困高齢者政策では更に悲劇的な死を迎える人が今後大幅に増えていくだろう、そしてワタクシもその予備軍に入っていると言っていいだろう、このまま座して死を迎えるよりフィリピンでジョイの為ファミリーの為に戦いファミリーに囲まれて死にたい、これが2年間考えたワタクシの願いであり決心なのだ。


だが、フィリピンで一体1ヶ月にいくら有れば暮らしていけるのか、ワタクシは少しずつジョイと相談していった、食事代や生活費と言っても各ファミリーの人数や住む地などで毎月必要な金額の生活レベルが違う、これは日本と同じでフィリピンでもピンからキリまでのレベルがあるはずだ、だが日本に出稼ぎに来るのだからそのファミリーは常に生活レベルは低いファミリーが多いと言っていいだろう、ワタクシとしては60歳になって前倒しで貰える年金の額をジョイに伝え1ヶ月の生活費として8万5千円でやっていけるかを尋ねた、8万5千円は今のレートで3万5千ペソになる、ジョイに言わせれば光熱費を入れてもやっていけるという。


もちろんワタクシはジョイの言うことを疑う訳ではないが鵜呑みにも出来ない、本当にやっていけるかどうか疑問に思ったが今回フィリピンに行き実際に3週間暮らしてみて検証する事にした、ワタクシたち二人がフィリピンのファミリーの家に着いた次の日から帰る日までジョイが毎日食材から電気代まで払らい、また生活に必要な洗剤や歯磨きなどの備品も支払った、またワタクシはこの近所の他の家庭では実際に何れくらいの生活費なのかを聞いて回った、ジョイのロラ(お婆さん)の家庭では家族が10人で3万ペソ、隣のティトとティタのファミリーは7人で2万5千ペソ、そして日本人の旦那がいて別の場所に住んでいる隣のアテは「ここに住むなら3万ペソあれば十分よ」と言い切った、これを聞いてワタクシはこの地域の生活水準を見た気がした、この地域で住む人達と同水準の暮らしで押さえる事が出来れば年金の金だけでいけるかもしれないと感じた、実際に3週間に出た食費、光熱費は3万ペソだった、クリスマスとニューイャーでの買い込みで12月は金額が羽上がるが、それでも3万5千
ペソでギリギリいけそうだ。


ワタクシは酒を飲まないし幸いな事にこの街にいるファミリー3家族は「酒を飲ませろ」と言って家に押し掛ける親族は一人もいない、もちろんワタクシがフィリピンに来たからといって宴会などはなくせいぜい家の軒先のテーブルを囲んで隣のティタファミリーや近所の衆何人かとおかずを軽く何かをつまみながらコーラかスプライトでも飲むのが関の山だった、ただワタクシにはお金をせびりに来なくてもジョイに金をせびりに来るものがいる、それはジョイの妹だ、24歳で3人の子連れで旦那は働いているがアルバイト的な仕事しかしていない、家から30分のところに住んでいるが生活費を浮かす為1ヶ月の半分はこの家にやって来る、クリスマス前に「子供たちに洋服でも買ってあげなさい」と2000ペソ渡したがワタクシたちが帰る日が迫ってきたのでまたやって来た時にジョイは幾らかのペソを渡したと思う、この他にも近所の知り合いが金を貸してくれと言ってくる者もいたらしい、だが渡比後は応対は全てワタクシが日本流でするつもりだ。


もちろん人間である以上、気をつけていても病気になる事も有るだろうし、クリスマスやニューイャーのような季節要因で出費がかさむ月も有るだろう、子供の学費などもある、その他に突発的にお金がいる事が有るかもしれないのでフィリピンでも銀行に数十万ペソは入れておく予定だ、またインターネットでフィリピンにいて日本の銀行からネットバンキングでいつでもフィリピンの銀行に15分で入金出来るように手配した、その他株式の口座からも移せるようにしてある、万全で無いかもしれないが少なくともワタクシが取れる範囲での事はしてある、フィリピンに遊びに行くのではなく暮らしに行くので左隣のアテの日本人旦那のようにゴルフをするわけでもなく酒も飲まない、女遊びは......ご想像にお任せするしかないだろうが(笑)、なるべく出費を減らし株式で儲かれば貯蓄とフィリピンにいるご友人のところに家族を連れて遊びにお伺いしたりしたい、日本から来られるブロガーさんが訪ねて来られたならご一緒に食事でも出来ればと思う。


ワタクシがフィリピンにいて気が付いた事なのだがジョイが日本にいるよりも生き生きとして輝いて見えた事だ、彼女は子供が好きで自分の子供のリアムだけでなく兄や妹の子供たちや隣近所の子供の相手を実によく面倒をみて楽しそうに相手をする、ファミリーと一緒に暮らしたくないと言っていたジョイだがフィリピンでは日本では見ることワタクシは隣にいてその姿を見ているだけで微笑み幸せを感じた、そして若い時の母親を思い出した、母親も実の子供のワタクシだけでなく腹違いの兄や姉の面倒をよく見ていた、その時何故一緒になっても苦労の多いジョイを選んだかを悟った気がした、男は何処かに母親の面影のある女性を選ぶ傾向があるというがジョイを選んだのも母親の若い時の面影を見たからに他ならなかったからだろう。


日本へのお土産を買って家に帰ったジョイ、ドライマンゴ50個、ティシャツを5.6枚に後はエコバッグや色々と持って帰って来た、そして銀行で降ろしてきた2万5千ペソのうち2万ペソをママに1ヶ月分の生活費として渡し、パパに3千ペソをお小遣いとしてジョイに渡させた、ジョイに残ったペソが幾らあるか聞いたが、数百ペソらしい日本から持ってきたお金は48万円で10万ペソを銀行に預けたが銀行残高もいつの間にか4万5千ペソ(約14万円)に減っていた、3週間で現金は1万8千円と3500ペソ前後になってしまい、差っ引いて約31万円を使ってしまった事になる、3週間なら「こんな物だろうと」思われる方もいらっしゃれば、「これは使いすぎだろう」と思われる方もいらっしゃるだろう、実際ワタクシが出掛けたのはマニラに一泊、ブラカンに日帰りで後はケソンシティ近郊を4.5回出掛けただけで観光は全くおこなっていないし自分の物は衣類を少々買っただけ、後はアイパッドのWi-Fiポケットに関する物を買ったに過ぎない、使った金額のほ
とんどはファミリーの為に使った。


フィリピン関係の皆様ならおわかりだろうがフィリピン人は日本人を金持ちと思い込んでいる、今回の旅はどうせ金持ちと思われているならワタクシの出来る範囲で気持ちよく金をばらまこうと思った、まずは40型のテレビとケーブルテレビをプレゼントしママにはフィリピンに着いた時に1万ペソ、帰り際に1月の生活費にと2万ペソを渡し、パパやロラ、ジョイの妹、隣のティタとその娘にペラを渡した、そのお陰で皆がワタクシに対して気を使った、いや実際にはワタクシの持っているペラに気を使ったという事だろうか。


もちろん、ペラは関係なく優しい部分を見せる人もいる、隣のティタは元来が優しい性格なのだろう、いつもパパのお古を着ているワタクシに大きめのティシャツを2枚くれたり家の軒下の椅子に座ると必ずコーヒーやコーラの飲み物を用意してくれた、ファミリーの中では一番信頼おける人に思えた、一番信用が置けないのはジョイの年子の兄だ、ワタクシの前では取り立てて変わった風は見せないがドラッグに溺れ仕事せずブラブラしている、嫁さんは2日に福岡に働き戻ったが彼女から得た金でドラッグを手に入れたに違いない、もし彼が働く気があるならトライシクルを買い与えてもいいと思うが本気度はかなり低いかもしれない、パパも腹をたて「家を出ていけ!」と何度も言っているが聞く耳を持たない、彼が本気になって働けばワタクシの負担も相当楽になる。


フィリピンばかりの居住区で暮らすというのは問題ばかりだ、だが楽しみもある、それは子供たちの屈託のない笑顔だ、この子たちの将来は無限の可能性がありワタクシが関与する事で大きく開花させる事が出来るかもしれない、だがワタクシのその夢を打ち砕くかもしれない出来事が日本で起きてしまった。



次回に続きます、いつもご訪問頂き誠に有難う御座います。