175.ハルの微笑み.119 | マリンタワー フィリピーナと僕といつも母さん byレイスリー
雪子が日本に帰って来て5日程で別れてしまったワタクシですが、雪子が日本に来るための最後の260万円は余りに痛すぎました。


「こんな事なら大阪に置いてくればよかったかも」と後になって考えるワタクシですが既に遅し、後悔先に立たずなのでした、お金が更になくなった為、自宅を第二抵当権をつけノンバンクから借入するはめになり、おまけに新聞に出た事で悪評がたち、やっと200万円ほどの利益が出るようになったネットワークもあっという間に崩壊し新たな仕事を探さなければなりませんでした。


そんな時、暫く音沙汰のなかったカッチャンから電話がありました、カッチャンは上野広小路のミキとも別れ、リカコママのフィリピンとタイの合同パブのナンバー1の女の子をものにし同棲を初めていました、この子の名はニットと言いワタクシが見たタイ人女性ランキングでもベスト5に入る小柄な美人でした、しかも元レスビアン、それがカッチャンに出会った事で女に目覚めたと何やらややこしい娘なのですが、美しさには変わりありませんでした。


久しぶりにあったカッチャンですが、ワタクシにお金を貸してくれないかと言うのです、何に使うのかと聞くとエアコンを買いたいと言うので一緒に電気屋に行きカードで支払いを済ませました、金額は7万円程度だったと記憶しています、電気屋の前で別れたのですが、それがカッチャンにあった最後となりました。


ワタクシは梅津君、本間さん、カッチャンを弟のように思っていました、しかし本間さんもカッチャンもワタクシがお金を貸した事で遠ざかっていきました、多分二人共に他の人からも借りていたに違いないと思います、7万円の事で去ってしまったカッチャン、一言でも何かを言って欲しかった、ワタクシは寂しく思いました、その後新宿の歌舞伎町でホストとして働いているという噂だけが聞こえてきましたが今どうしているのやら....。

ワタクシは錦糸町という街を通して数多くの人と会い、多くの別れを繰り返しました、金銭的な問題にも巻き込まれました、しかし、これしきの事で人間と人間のつながりが切れてしまう事にいつも残念な思いをしていました、今思うのはもっと親身に話を聞いてあげればよかったと振り返るしかないのです。



台湾料理店を開いたよしえママ、1ヶ月後に小さいながらも店をオープンしました、女性は夕子を含めタイ人女性5人、夕子は勿論アルバイトでよしえママは35万円を月給で出してくれる事になりました、ワタクシも少額ながら祝い金を持って店に行く予定にしていたのですが夕子から満員なので遅い時間に来るように電話があり、店のそばのパチンコ屋に入りました。

前回に夕子と来て以来久しぶりのパチンコ、ワタクシの好きな「大工の源さん」のが15回出ていて800回転回っていて座って1000円でいきなりの確変を引き21時から終わりまで連チャンは続き10万円以上の利益です、パチンコをやって3戦3勝、「ひょとしてワタクシはパチンコの天才か?」ここからワタクシは長きに渡りパチンコにハマっていくことになってしまいました。


ワタクシは1日平均5万円勝って30日で150万円だなと単純に計算しました、そして手帳に台のナンバーを書き過去3日間の回数を書き込んでいきました、そして次の日から一週間は毎日パチンコ屋に行き研究を始めました、何回転目位が一番出やすいか、朝早く出た少ししか出ない台は何回転目に出やすい、色々とデーターを取り本格的にパチンコをやり始めました、そして、その結果は.......。


次回に続きます、いつもご訪問いただきまして誠にありがとうございます。