パタヤに行ったワタクシ達はペンションを借りる事に、15人の大所帯なので2つの一軒家借りワタクシとハルは一部屋もらう事になりました。
その日の夕食は吹きさらしになっているタイに良くあるレストランにまいりました、タイ料理は実はワタクシは苦手なのです、第一に辛すぎます現在日本でのタイ料理はやや辛さを抑え日本人向きになっていますが、地元のタイ人達は元々辛い料理に更に店の備え付けの唐辛子を山盛りにして食べて「アロイ(おいしい)」と言っているのですから、タイ人達が食べるソムタム(タイの野菜サラダ)を食べたりすると咳き込み涙や鼻水が出てどうしょうもない状態になってしまいます、それとパクチーの匂いがどうも鼻についてしまうのでした。
ワタクシがこの数年後からフィリピンに傾倒していったのはタイ料理とは逆にフィリピン料理がワタクシの口に合った事も関係していたかもしれません、やはり生活に関するものは共通点が合った方が上手く行くのではないでしょうか。
ワタクシがレストランからふと見ると歩道に上は10歳位の女の子と6、7歳の男の子が二人立っているのです、食事を済ませ甘ったるいタイのコーヒーを飲んでまた見るとまだ3人の子供達は立っていました、
ワタクシ「ハルあそこの子供達ずっと立ってるんだけど何してるのかな?」しかしハルは子供達を見ながらも答えようとしません、暫くして重い口を開きました
ハル「アノ コドモタチ ワ ワタシヨ ムカシノネ.......」
立っている子供達は物ゴイをし時には欧米人の性の対象になって対価をえるのです。
ハルは子達供を見つめていました、その目にはうっすらと涙がたまっているようにワタクシには見えたのでした、入官に捕まった時でさえ笑っていたハルが初めてワタクシに見せた涙には貧しさ故にあの子供達と同じように物ゴイや子供ながらに体を売らねば生きていけない悲しい過去が重なっていたのでした。
ワタクシは思わずハルの手を握りしめました、するとハルは涙を流しながらいつものようにワタクシにニッコリと微笑むのでした。
よしえママはその様子を見ていてやはり目にうっすらと涙を浮かべながら「あなた達は!」といいながら立ち上がり子供達のところに行き100バーツずつ手に握らせたのでした。
勿論1人に100バーツを与えた位ではこの子達を救えないかもしれません、しかし少なくとも1日は食べる事ができるのです、何もしないよりは遥かにマシとその時のワタクシ思っていたのです。
次回に続きます。いつもご訪問頂き誠に有り難う御座います。