初めて聞いたころ、
全く意味がわからず広辞苑で調べたことを思い出す。
“人格における存在証明または同一性。ある人が一個の人格として時間的・空間的に一貫して存在している認識をもち、それが他者や共同体からも認められていること。自己同一性。同一性。”
これほど、人の捉え方が意味を左右するものはない。
前回の記事(相容れない)で引用した、
文章は置いておく。あの文章を語ると、まさに今回のタイトルと相容れないものとなるからだ。
ある人がこんな質問をしていた。
アイデンティティ、難しい言葉です。家族、学校、バイト先、どれが本当の自分か分かりません。
そもそも僕には疑問がある。
自己同一性に価値があるのかと。
質問者と同じことをもちろん考えたことがある。
人は社会的(諸関係によって規定されている)存在であり、
各共同体での居心地の良さを求める。
それが言葉、コミュニケーションに表れ、
円滑な人間関係を構築しようとしている。
つまり
どれが本当の自分?
ではなく、
全てが本当の自分であり、
裏を返すと全てが偽物になる。
この質問の回答者は、
様々な経験によって変わることがなくなり、
これが自分だと認識したと言った。
アイデンティティの確立だ。
(この回答者における)
アイデンティティの確立
は
僕の持論と真っ向から対立する。
全てが偽物と認識すると、
これは、
自分については「認識者」ではない。
に、つながってくるのか。
自己認識は難問だ。
ただし、
問いかけたいのは、
アイデンティティの確立自体に価値を見出すことはできるのか?
である。