僕には倫理を学ぶ上で最大のテーマがある。
今日の昼、
たまたまテレビをつけると
“いのちの選択”
と題されたドキュメンタリー風の番組があっていた。
釘付けになるのも当然。
これこそがまさにそのテーマだからだ。
出生前診断
人間の科学技術はいよいよ神の領域まで到達した。
人を救うはずの医学が
いつの間にか命の選択をも可能とするようになった。
診断を受けた人で、何らかの異変が出たとされた場合、97%の確率で堕胎を選択しているという事実が淡々と放送されていた。
僕は1度、
障がい者施設の施設長に、この出生前診断についてどう考えているか質問をぶつけたことがある。
道徳に関する講義では教授と激論を交わした。
ほとんどの人が見ることなく、することのない見学、体験をした。
その度に、
男女問わず友人の多くに僕の意見を聞いてもらったものだ。
科学技術の進歩からいって
ますますこの問題が身近になることは間違いない。
もはや、未来では
死ぬ間際、
ボタンが複数並んでいる、ある装置に入ると、
“死に方”を選択できるような、そんな時代が来ているかもしれない。
人間の生死
誰も触れずにきたこの問題が、
いや、触れることはなかったというべきか、
人類の進歩に伴って公になろうとしている。
価値観
倫理観
正解も善悪もない。
自身と社会の成り行きで下した選択に他人がどやかく言うものでもない。
今、読んでいる本で気になる一文を見つけた。
“人間はどのような条件のもとで、善いとか悪いとかの価値判断を下すことを考え出したのだろうか?そして、こうした価値判断そのものには、どのような価値があるのか?この価値判断はこれまでのところ、人間の繁栄を阻害したのか、それとも促進したのか?この価値判断は人間の生の困窮、窮乏化、堕落の兆候なのだろうか?それとも反対に、人間の生の充実と力の意志の現れであり、その勇気と自身と未来がそこに示されているのだろうか?”
何にせよ、
歩み寄らざるを得ない問題の1つだと思っている。