ミニカーを撮影しようといそいそ準備してたら先生が「このマシンの質感を表現するのは難しそうだなー」と仰った。

その時、僕のやってやんよ精神に火がついた。

$ハイパーアシスタントの憂鬱


「Scuderia Ferrari Marlboro F2007」(K.RAIKKONEN)

2007 Formula 1 WORLD CHAMPION!!


これは1/18サイズかな?いつもは1/43サイズなので初めての大きいミニカー撮影となる。
ライコネンがワールドチャンピオンに輝いたので記念に買った物だ。
このマシンの撮影で難しいとこはF2007というマシンはシーズン中盤に真紅のフェラーリカラーからメタリックな紅になってることだ。
ただの真紅ならそこまで苦労しないんだろうけどメタリックが入ると話は別だ。
赤色を出そうとするとメタリック感が失われてしまう、さじ加減が微妙なのだ。

試行錯誤を繰り返し撮影に臨んだ。

仕上がり写真を見せたら先生が「これはメーカー公式に載ってもおかしくないな」と褒めてくれた。

繰り返すと俺はやれば出来る子


さて、2007年というのはF1日本GPが鈴鹿から富士に移った年でもある。
当時京都に住んでた僕はさすがに富士までは...と思い観戦には行かず自宅観戦を決め込んだ。
マーシャルカーが速かった。それだけは印象に残ってる。

それと最終戦となったブラジルGP。
王者を懸けて三つ巴の戦いになるがポイントリーダーのハミルトンはライコネンに7ポイントもの差をつけていた。

「僕はその日ブラジルGPを観れる状況だったが「あーハミルトンが勝つんだろうなーもういいやー起きてても無駄だから寝よー」
とスリープを決めこんだ。
翌朝、Yahoo!ニュースを見てビックリ。

ライコネンが大逆転でチャンピオンになってるやないか。

ライコネンの優勝について色々と言われてはいるがライコネンはチャンピオンになるだけのことはやったと思ってる。

そのライコネンがまた今期F1の舞台に戻ってくる。
また冴えた走りを見せてほしい、と心の底から願う。

いつもはミニカー撮ったらレースの写真も載っけてるけど2007年はF1観戦には行ってないので画像がない。その為、部分撮りを載せてみる。

ハイパーアシスタントの憂鬱


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ハイパーアシスタントの憂鬱
2月3日、金曜日。

撮影終了後、先生に六本木に連れてってもらった。

六本木で夕食を済ませ先生が「おっぱいに当たりにいこか」と言ってきた。
「?おっぱいに...当たる?」
ピュアな僕にはその意味が分からなかったが酔った勢いで着いていった。

目的地周辺は黒人がわんさかいて前を通ると「ヘイ、ブラザー!」とか言って呼び止めてくんの。
こわい。

先生「ここな」って指差した先は...ショットバーだった。

実は僕はピュアな僕はショットバーが初めてだった。

店に入るや僕はそれはそれはとてもビックリした。

狭い店内に流れるBGMでぎゅうぎゅう詰めになりながら踊り狂う人達。
しかも多国籍。白人、黒人、アジア系...。日本人の方が少ないんじゃない?と思うくらい。すごいグローバル。

先生に連れられ人の間を縫うように奥に進む。
ここで先生の言った「おっぱいに当たりにいこか」の真意を理解した。

狭いなか、人がひしめき合って暴れているので否が応にもおっぱいに当たってしまうのです。
ピュアな僕は決して鼻の下を伸ばしたりしませんでした。
紳士的に「失礼」と言って立ち去りました。


しかししかしすごい場所があったもんだと本当に感動致した所存です。
まるで僕がこれまで居た世界がちっぽけに感じるほど。

同時に何でもっと早くこんな場所を知らなかったんだろう、とも思いました。

メニューを見ても何が何の酒かよく分かんなかったし甘い酒以外飲めないので先生が代わりに頼んでくれました。
その味は甘くてクリーミーで、こんな素晴らしいドリンクをもらえる私は、きっと特別な存在なのだと感じました。
今では、私がカメラマン。アシスタントにあげるのはもちろんスミノフアイス。
なぜなら、彼もまた、特別な存在だからです。

先生は早々に僕を一人残して踊りに行くという名目でおっぱいに当たりに行きました。
僕は踊るのとか苦手なのでちびちびとお酒を飲んでたのですがとある女性に声を掛けられて(結構酔ってた)適当に返答していたら何かやたらと気に入られ連絡先を聞かれ、「後でね」って僕のホッペにキスをして彼女は去って行きました。

後で...?

何か恐ろしい予感しか感じませんでしたが僕の脳内はアルコールさんがいっぱい入っていたのである種の無敵モードを発揮してるので特に気に留めませんでした。


数十分後に先ほどの女性から連絡が入り僕はバーを抜け、近くのバーで女性と再会しました。
そのバーでも一緒に踊ってたのですが彼女はおもむろに僕の股間に触ってきたりベルトを外そうとしてきました。
僕は「これが痴女ってやつか...末恐ろしいな」と思いながら必死に抵抗してました。ピュアだから。
後に知りましたがこれはランバダっていうダンスらしいです。

まぁそんなこともあり彼女は自宅に帰ると言ってきます。
「じゃあタクシー呼ぶよ」と僕は言いました(もう時間は2時を過ぎてました)
そしたら彼女は「でも部屋散らかってるから別の場所で...」

ええ、いつからそっち方面の話になっていたのでしょうか

僕は身の危険を感じ適当に挨拶をしてその場を切り抜けました。

つまり何が言いたいかというと、俺は紳士


そして大事なことに気付きました。

先輩を最初のバーに置いてけぼりにしてたことです。


ま、それは置いといてすごい世界を経験できた素晴らしい夜でした。


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さて、再び新田桂一氏に話を戻す。

彼はもともと洋服が好きでアパレルデザインを学びにアメリカの学校に行く。
が、洋服のデザインでは周りには勝てない。とデザインの道を断念することになる。
そして前々から興味を持っていたカメラの道を志す。

カメラマンの道を志す為、彼は至ってシンプルだが想像もつかない手段に打って出た。

まず彼はカメラを学ぶなら一流のカメラマンの元で、と考えテリー・リチャードソンのスタジオに電話をかけることに。

だが電話をかけるもやはりうまくはいかず「busy」の一言で電話を切られてしまう。
(電話の対応はテリーのアシスタントがおこなっていた)

そこで諦めないのが新田桂一という男だった。


なんと2年間もの間、彼はテリー・リチャードソンのスタジオに電話を掛け続けたのだ。

最初の方は「またお前か」と呆れられていたようだけど段々とテリーのアシスタントと打ち解け世間話をするようになりテリーのスタジオに電話を掛け続けること2年が経とうとしたある日、テリーのアシスタントから「スタジオに来いよ」とお呼びがかかり、めでたく新田桂一はテリー・リチャードソンの元で働くことになる。

だが最初の一年間は無給でスタジオの仕事が終わった後はバーでバイトをして生活費を工面していた。

ある日、グッチの撮影がありテリーのスタジオに60人程の関係者達が来た。
(ちなみに僕が働いてるスタジオでも多くてモデル含めて15人くらい。60人ってのは尋常な数じゃないと思う)
しかしテリーの気分がまったく乗らず新田桂一氏が「グッチだから始めようぜ?」

テリー「ここじゃやりたくない、この人達はいやだ。なんも関係ないじゃんあいつら。」

結局、数名のみをテリーのホテルに連れて行き残る何十名もの関係者をスタジオに置き去りにした。

それでもスタジオで撮ったものと比較にならないほど素晴らしい作品を作った、と新田桂一氏は語る。


そんな新田桂一氏だが6年間テリーのスタジオで働いていたある日、一身上の都合により急遽帰国しなければならなくなった。

そのことをテリーに相談したら「せっかくいいチームなのになんで行っちゃうの」って涙を流した。

結局理解をしてくれたようで新田桂一氏は日本に帰国後、精力的に活動し見事フリーフォトグラファーとして独立し日本の広告業界にその名を知らしめることになった。


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新田桂一氏のご尊顔


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↓とこれは新田桂一氏の作品。テリーとテイストが似てる

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テリー・リチャードソンと新田桂一の共通している点が二人とも人生をすごく楽しんでいて今が楽しくてしょうがない、ということだろう。
やはりそういう姿勢が写真にも表れているんだなー、とつくづく思う。


最後にテリー・リチャードソンが新田桂一氏に宛てたメッセージ

「ケイイチ、もし彼に出来るなら、君にもできるはずさ」


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テリー・リチャードソン&新田桂一