何度か書いたことがありますが
26歳から10年間整体協会の指導室に通っていました。正確には月に一度の勉強会に参加することと、整体を先生から受けること、を続けていました。
1番初めに参加した時には、全く理解できないことばかりでした。知らないことばかり。日本語なのに分からないという奇妙な体験(笑)
身体の事を、こんな風に見たことも考えたこともなかった26歳の私が、しかしその奇妙さの中に確かな真実の存在を感じて、とにかく毎月参加してみよう、と思いました。
整体では、人は皆生きるために生まれてきた、のだから身体には生きる力が備わっている。
故に、病気は身体の(生きるための)必然として捉え、発熱や嘔吐、下痢などは排泄のカタチとして自覚して乗り切り、うまく排泄したあとには元気が取り戻る、というような考え方をします。(全ての病気が対象ではありません)
勿論、ただ病気を無為に通過しろというのではなく、それに至るまでの日常の過ごし方、観察力があった上で敏感に気を込めて生きるべきなんだ、と言うように捉えていました。
それまでの、病気だそら薬だ病院だ、だけの考え方とは360度異なるものだったけれど、私にはこっちの方が腑に落ちました。
それから様々な事を学ばせていただいた経験が今の食を考え、本当の健康な身体に自分でなる、という在り方の提案につながっています。
その当時学んだ先生がお亡くなりになってからはしばらく整体から離れてしまいましたが、再び又ご指導いただける方に出会い、また身体の感受性を高めることができるようになりました。
私たち人も天から与えられた命を、与えられた目的のために使い切ることが役割なんだと思います。
その命の目的を探し求めて見当たらず、不安になるかもしれないけど、すでに生まれて今があるということそのものが、もう目的なんだと思います。
今自分ができること、与えられたこと、やらなければいならないこと、どんなことであっても、ありのまま、やるだけやる。
結果のためではなく、やりきること。を重ねる。
積み重ねた先に自分らしさが見えてくる。と思います。
今は違いが見えなくてもそんなことはどーでもいい。沢山ひまわりが咲いている中で、隣のひまわりを意識して咲いている花なんて無い。それぞれが精一杯咲くだけ、です。
そんなことを教えてくれたのが、整体でした。
興味がある方は調べて見て下さいね。