[ 巫女舞] | ラウルイクセンバーグ 『人間とは何だろう?』

ラウルイクセンバーグ 『人間とは何だろう?』

『人間とは、究極は何だろう?』
 古今東西の賢人の抱いたこの疑問の解読こそ、これからの人生を開く道だと確信しています。         Rauliksenburg

 [ 巫女舞]
明治以降、近代化という名の元に、日本文化の真髄の一部は換骨奪胎されてしまいました。それは良かった面とそうではない部分があります。
「巫女舞」もその一つで、明治以降、本来の巫女舞には禁止令が出されました。現在、神社の拝殿などで見ることのできる「浦安の舞」※などは舞踊の一種と言っても過言ではありません。

かつて巫女舞は、憑依などの危険性を伴うものも含まれており、多分にサイキックの要素を含んでいました。
いわゆる神がかりというだけではなく、奥義の中には舞っている本人が覚醒し、エネルギーが変わり、それを周囲に伝播する技だったのです。

 

人間の足裏や手のひらはツボが集中し、センサーの役割を持っています。
巫女舞で見られる摺り足は、所作の美しさだけではなく、足裏を通して地のエネルギーを浄化する目的もあったのです。

左右の手の動きで、周囲の空気を浄化していたのです。

本当の巫女舞の所作の一つ一つ、手足の動き、そして順序には全て意味があったのです。
これこそ、埋没させられた日本精神の一つと言えるかと思います。

 

※ 「浦安の舞」 昭和15年(1940)皇紀二千六百年の慶節に、昭和天皇が昭和8年(1933)に御製された「天地に神にぞ祈る朝なぎの海のごとくに波たたぬ世を」の御歌(和歌)を、官内省楽部長であった多忠朝氏が作曲振付し「浦安の舞」として、その年の11月10日全国の村社以上の神社でー斉に奉納し、国の平穏無事と皇室の発展をお祈りしました。
 「浦安」の語義は日本書紀に「日本者浦安国」とあり、また心中の平穏を表すとされています。