[ 敗戦のくびき]
日本は、太平洋戦争の敗北により、多くのくびきを負うことになりました。日米地位協定や日米合同委員会という名のソフト植民地支配構造の構築がその一つです。同じ敗戦国のドイツと比較すると興味深いものがあります。
日本の軍部支配が継続した場合や、ロシアなどに分割占領された場合などと比較して想像した時、安心してしまう自分がいることに、複雑な気持ちになります。
ロシアのウクライナ侵攻でのウクライナの姿に、百数十年前の日露戦争時の日本を重ね合わせる方もいるかもしれません。
この世的には、ルールを定める側にまわることが強者になるための条件の一つと言えるかもしれません。
かつて、自動車をはじめとする日本製品がアメリカ市場を席捲し、脅威を感じたアメリカは長期的な対日戦略の構築をはじめます。
1985年、対米貿易黒字の削減を企図したプラザ合意もその一つです。
OPECを黙らせるため、イギリス等も巻き込んでのドル本位体制への移行も国家戦略の一つです。
日本がバブル経済を終焉させた後、アメリカはIT産業に注力し、リーマンショックがあったとはいえ、GAFAなどの成長によって国力を回復させました。
その間、中国などの成長もあり、製造業中心の日本は国際舞台での存在感を後退せざるをえませんでした。
日米関係における日本のくびきは、よほどのことがない限り、改正されることは考えられません。
列島全体に壊滅的な被害がもたらされるような天変地異が起こったり、日本が全く別次元の発想による社会システムを生み出すことができた場合をのぞいては。