7回に渡ってお届けした ”ラツオ龍から見られるラツオの思考”。
前回の更新で見事に最終回となりましたが。
ラツオ龍から見られるラツオの思考
ラツオ龍から見られるラツオの思考 その2
ラツオ龍から見られるラツオの思考 その3
ラツオ龍から見られるラツオの思考 その4
ラツオ龍から見られるラツオの思考 その5
ラツオ龍から見られるラツオの思考 その6
ラツオ龍から見られるラツオの思考 その7(最終回)
今回はちょっと ”あとがき” みたいなの。
よくある手です。
長文なのでご注意を。
”ラツオ龍から見られるラツオの思考” には、更新自体にいろんな思惑が絡んでます。
自分の考え方を見てもらって、ちょっと知ってもらおうかなぁと思ったり。
どうやって作品が産まれたのか客観的に思い返してみることだったり。
その他イロイロ。
んで結局云いたかったことは~、あんな、というかどんな作品でもいろんな手順を踏んで、
一生懸命創り出してることが多いですよ、ってことです。
手抜きすることもあるけど。
”楽しい” と感じてもらえるように、心を動かしてもらえるように懸命に思考をめぐらす。
作品自体にパワーが足りないと思ったら言葉の説明を添えることもある。
説明(設定)あってこそセットで評価される場合もあるし。(この方が多いかな)
創り出す工程を知ってもらい、運良く好きになってもらえることもある。
しか~し、創り出した過程がどうであれ、説明がどうであれ、
見てる方からしたらそんなことは関係ない部分でもあるということ。
見て ”イイ” か ”悪い” かを一瞬に判断されてしまうのも事実で、
見てくれる人が気持ち良いか、気持ちよくないか、楽しいか、楽しくないか、はかなり重要な部分ですよね。
それでいいんだと思います。
なんとな~く好きとか、なんとな~くイイね、とかそんな風に。
すごく単純に簡単で。
それはもう、根本的には言い訳はできない領域だと思ってます。
全てを自信を持って世に送り出すことが出来るのはごく一部の人間で。(いないかな?)
自信が無かったり、不安になったり、受け入れてもらえないと感じたり。
スポーツでも何でも基本は一緒ですよね。
絵を描く人とか表現する人もそれは変わらないと思います。
最初から特別な存在の人なんて、そうそういないっすよ、多分。
(世の中には一握りの天才もいるとは思うけど)
簡単にイイ物はできません。
偶然はほとんど起こりません。
起こってもその偶然はそう何度も続きません。
練習(基本とか)、訓練を繰り返すのは自信を持つため、クオリティを保つために必要。
だから、ひっそりと練習やら訓練やらを繰り返す。
(表現する人は、見ることも練習になりますよね、多分)
練習、訓練、思考が表面に現れる。(現れないこともある)
ヒットは狙って打つ。(狙って打てないことも多い)
まぁ、そんな偉そうなことを云っている僕もね、
全ての創作物を自信を持って世に送り出すことができていませんが。
そこら辺も 『ラツオ龍』 を通して表現できてたらいいなと。
(ラツオ龍を通してっていうところがショボイですが)
ん、話しがそれてきたかな。
オジサマの熱い話しになってきた感が。
いろいろ書きましたが、
”ラツオ龍から見られるラツオの思考” には今後のラツオの方向性の匂わすヒントを所々に潜ませてあります。
(今回の更新で書いたようなことを遠まわしに含ませてます)
作品の創り方からも、文章からもラツオの思考が読み取れるかもしれません。
興味がある方は、ゆっくり読み返してみてください。
とか言いつつ、何も感じられないかもしれないので、
そこら辺は責任は持てませんけども。
最近は迎合することを考えすぎてる部分があったので、ラツオとしては他と違っていいし、
違う場所へ向かってもいいんだという再確認をする更新にもなりました。
あんまり違う場所だと困っちゃうけど。
いろんな人がいた方が面白いでしょ。
行きかたはイロイロだし。
そんな感じで。
※あくまで僕個人も感覚ですので、表現する人間すべてに当てはまるわけではございません。
自己表現にこだわる方はまた別だし、自己表現でも見せるならマナーやちょっとした配慮はあってイイとは思いますけどね。
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