「目の前で車椅子の人の足を治した」
「他人は知らないハズの事を言い当てた」
今回はこれらを詐欺師がどうやって実行し信じさせたかを解説するものではありません。
上記のケースが事実か嘘かさえどうだっていいのです。
真の奇蹟だったとしても関係ありません。
どう思考するべきか。その一点のみです。
すごい事が目の前で起きた場合、「説明出来ないからホントの奇蹟だ」「仕掛けが見当たらないから本物だ」と考えるのは悪い思考法です。
自身の中に常識があり、その常識で測れない出来事に遭遇すると神秘のパワーだと考えてしまいます。
『常識を超えた』 = 『奇蹟』
この方程式がダメなのです。
それが騙される理由です。
「分からないから奇蹟」では、自分で「分からない」と言ってる通り、この時点でハッキリしているのは「分からない」という事だけなのです。つまり、目の前で起きた事がホントかウソか、インチキかキセキかも未確定な状態です。
この世には理解不能な事なんて幾らでもあります。自然界にも不思議が溢れてるし、嘘みたいな偶然が起こる事もある。手品のトリックだって分からないものが多い。
歩行困難者の足を目の前で治したからと言って、トリックが無いとは言えません。
最初から種や仕掛けがあると分かっている手品ですらトリックを見破る事が出来ないのに、手品の分からないは「上手だなぁ、すごいなぁ」で、足を治す分からないは「奇蹟」と判定するなんて、“基準”はどこにあるのですか?
目の前で奇蹟としか思えないような光景が繰り広げられたら簡単に否定する事は難しいでしょう。ですが、簡単に肯定してしまえるような決定的材料も同じく、有りはしません。
「分からない」は「分からない」でいいです。
肯定も否定もせず、分からないままにしておきましょう。