シリーズ第5作
ターミネーター: 新起動/ジェニシス

シリーズ第6作
ターミネーター:ニュー・フェイト


シリーズ5作目『ジェニシス』は、驚異の成功を収めた『2』に次ぐ興行成績を記録したが、その評価は低い。

6作目『ニュー・フェイト』は大コケ。製作費と世界規模のマーケティングに投じられた莫大な費用を回収し切れず、元を取るどころか巨額の赤字を計上するが、作品としての評価は高い。

私は世間の評価とは反対に『ジェニシス』は意外と良かったと思ったし、『ニュー・フェイト』は好みではなかった。


『ジェニシス』の良いと思ったところ

なんと言っても脚本が良い。『ジェニシス』はリブート(リイマジネーション)作品と言われている。それは、『1』の舞台である1984年よりも更に過去のサラの元に護衛用のターミネーターT-800を送り込んだ事で、以降の歴史が書き換わり、カイルがか弱きサラをターミネーターから守る歴史が消えてしまうからだ。

そういう意味では過去作との繋がりが無く、リブートと言えなくもないが、話としては繋がっていなくもない。『ジェニシス』では、人類側がT-800を9歳のサラの所に送り込む事で、サラは早い段階からターミネーターの存在を知る事になり、きたるべき日に備えて訓練を始める。しかし9歳のサラの元に護衛を送る話が、『1』や『2』の後に起こったエピソードだと仮定するなら、『ジェニシス』は『2』の後に続く物語と捉えることも出来る。

『4』の後に起こった出来事かも知れないと考えれば『4』までの物語も無かった事にする必要がなく、『ジェニシス』は時系列上『4』の後に続く物語として全ての作品を活かす事も可能なのだ。

それどころか、解釈次第で『1』の後でも『3』の後でも、どの作品の後に付けても物語の辻褄を合わせられる。『4』まで活かすも良し。気に入らない作品の手前に挿入して以降を切るも良しの驚くほど画期的な物語なのだ。

リブートとして観てもいいし、続きモノとして楽しむ事も出来、どの作品の後に挿入しても話が成り立つ。こんなに融通性が高く優秀な作品もない。

歴史が書き換わった事で、それまでのストーリーに縛られる事なく物語を自由に展開させていけるし、新たな幕開けの第一章とも成り得た。

私は『2』が公開され大ヒットした当時、『3』も作られる事になるのは分かっていたが続編製作には反対であった。それは『3』が面白くなるとは思えなかったからだ。『2』は物語としては完結していた。なのにその完結した話の“続き”を無理矢理作るとなれば、中身スカスカのつまらない話になる可能性が高い。また『3』を作るなら『2』の時よりも進化したターミネーターを登場させる必要があるが、T-1000が行き着く処まで行き着いた最強の刺客だったので、それを超えるターミネーターは想像出来なかった。全身が液体金属で形成されショットガンやフルオートでも破壊出来ないアイツの更に上を行くアイデアなんて誰か思い付けるのだろうか。もしスタジオの人も思い付けなかった場合、最終的に『3』にはパッとしない微妙なターミネーターが登場する事になる。しかし反対にスタジオが強力なターミネーター創造に成功すると、ターミネーターが強くなり過ぎる。『2』の時だって「これ勝てるの?」って思ったくらいなのに、もっと強かったら人類は絶対に勝てない。しかしシリーズものの映画は勝たないと成り立たない。そして勝たせるなら道理が通り無理矢理感のない形での勝利にする必要がある。ところが絶対に勝てない敵に勝つというのがすでに理屈に合ってないので、それでも勝たせるとなると、どうしても何処かに理論上のほころびが生じ、都合のよい勝利による強引な結末の物語になりかねない。
   等々、『3』は、ターミネーターが進化しても、しなくても、人類が勝っても、負けても、どのパターンで描いても、面白くなるように思えなかったのだ。

案の定『3』が公開されると強力な武器が内蔵されてるとかいう「それは進化って事でいいの?」という設定だった。金属の骨格も液体金属も重火器も元からあったもので、その3つをひとつにしただけ。何処に進化が?
   そもそも液体金属は自在に形を変えられ“全ての攻撃が効かない”というメリットがあったのに、そこに金属骨格や武器を入れ、ダメージを受ける作りに戻した意味がわからないし、その骨格や内蔵武器が邪魔でT-1000のように鉄格子を通り抜ける事も出来なくなった。


その点、『ジェニシス』は『2』の後の時代の話ではなく、歴史改変が行われた『2』と同じ技術の世界の話なのでT-1000が登場する。やり直しの歴史なので同じターミネーターが出せるのだ。改善ならぬ改悪された訳の分からぬ新型ターミネーターなんか出す必要がないのである。

『3』は機械のくせにターミネーター(シュワルツェネッガー)が老けてるわ、進化してるのか微妙な敵(T-X)が現れるわ、ジョン・コナーのキャスト(アル中で)変わってるわで、散々だった。

『3』の完成には様々な調整や問題のクリアを必要とし、やっと完成に漕ぎ着けた時には、『2』の公開から実に12年が経過していた。シュワルツェネッガーを続投させる以上、機械なのに見た目が12年老けてるのは仕方ない。新型ターミネーター創造は容易ではなく、その場しのぎな設定でも仕方ない。問題の多いエドワード・ファーロングの起用は無理だから代役で妥協も仕方ない。そんな映画観たいですか?

『ジェニシス』のもうひとつ良かったところは、マシン表面の皮膚組織は歳を取るという設定を考えたこと。以前から表層が細胞被覆されている設定はあったが、それはあくまでパーツを構成する素材としての規定で、ある程度の維持機能しか認知されていなかった。外傷により生体細胞が破損したり、古くなれば、他の部品同様、工場で新しい皮膚と交換される。よって基本的に見た目は変わらないというのがこれまでの漠然とした認識であった。しかし『ジェニシス』の新しい設定により、シュワルツェネッガーが歳を取った現在の姿のまま役を演じる事が可能になり、全編CG合成した加工映像を見せられ続ける必要が無くなったのだ。堂々と老けてていいって素敵やんかー。(実際には加齢によりシュワルツェネッガーの骨格も変化しているので表層だけの問題ではないのだが)

ターミネーター・シリーズは言わばジョン・コナーを巡る物語である。その存在無くしてストーリーは動かない。しかし、新作が公開される度に違う俳優がその役を演じるのを観るのはもうウンザリだったし、かと言って、もう一度エドワード・ファーロングに戻ってきて欲しいとも思わない。つまりアイコンであるのに存在が邪魔なのだ。消えて欲しかった。そう思っていたら『ジェニシス』はジョンを消してくれるのだ。敵の手に落ち、乗っ取られたなら仕方ないよね、殺しちゃっても。ゾンビ映画なんかでも、そうやって身内にトドメ刺してきたしね。

つまり、『ジェニシス』は私のやって欲しい事、全部やってくれたのだ。ネット上の批判に「燃えたはずの写真が存在する」とか「ターミネーターの顔を知らないはずのカイルが、T-800の顔を見た途端、撃とうとした」というのがあった。「よく観てるなぁ」と唸る中々鋭い指摘であったが、擁護派として屁理屈を駆使すると、写真を見ていたシーンが、時系列上、燃える前だった可能性もあるし、なにより、本来の未来とは違う未来になっているのだから、書き換わった未来ではT-800をすでに見た事があったのかもしれないし、写真も燃えなかったのかもしれない。

エミリア・クラークのサラ・コナーも可愛いし、この際、ジェイ・コートニーとジェイソン・クラークには目をつぶろうじゃないか。ジェイソン・クラークに関してはジョン・コナー死ぬから新三部作の次作以降はもう出てこないし。ほんとにカイルが48時間以内に死ぬ運命なら、ジェイ・コートニーももう出てこない。

最高。
て思うてたら、
『ニュー・フェイト』が
『ジェニシス』を途中退場させ
『ジェニシス:第二章』を潰したのや