池田晶子『考える人 口伝オラクル西洋哲学史』Ⅲ「処世術」12「ヴィトゲンシュタイン 考えるな、見よ」(7) 《「反省する」という「言葉」で示される「心の状態」》を、彼(犬)が知ることはない!「反省する」ことが「できる」のは、「話す」ことのできる者だけ、「反省する」という「言葉の適用に通じている者だけ」なのだ! 「反省する」という言葉の適用を学んだ彼らは、反省する「ふり」も学ぶ!
※ 池田晶子(1960-2007)『考える人 口伝オラクル西洋哲学史』 1998年(1994年初刊、34歳)中公文庫
★池田晶子氏が言う。人間と動物(犬)(Cf. 蜥蜴ではない)の間に差異などない、互いの見た目と、人間が人間《であり》、動物が動物《である》というまさにそのこと以外には。(237頁)
☆かくて私の眼を見詰めている彼の黒々とした眼を見詰め返しては、思わずこう「語りかけて」しまう。「お前の考えてることぐらい、『わかってる』んだから。」(237-238頁)
★さてヴィトゲンシュタインなら、ここで少なくとも2つの問いを提起するだろう。第1に人間が犬に「語りかける」という行為についての問い。第2に人間が犬の心を「わかる」と言うことについての問い。
★第1に人間が犬に「語りかける」という行為についての問い。さて「してはいけないことに、ふたりで決めていること」を彼(犬)がしてしまったとき、私は彼(犬)を叱る。彼(犬)は「恐縮する」、すなわち叱られて恐縮の「態度をとる」。(238-239頁)
☆私はそのとき「反省しなさい!」と彼(犬)に言うが、彼(犬)の「恐縮の態度」は、「反省しなさい!」という「命令」(※言葉)に応じて示されたものではない。(238頁)
☆なぜなら私は彼(犬)に、「反省する」という「心の状態」を教えたことがないからだ。私は彼(犬)に「反省する」という「語」の《「文法」すなわち「振舞い方」》を教えておかねばならなかったからだ。しかし、私はいかにして、それを彼に教えることができるのか。(238頁)
(18)-8-2 犬が「言葉」を話すのに適した口蓋を持ち、「反省する」という言葉の適用を学んだ彼らは、反省する「ふり」も学ぶから、もはや《人間による》「犬の物語」は成立しない!
★確かに「反省!」と彼(犬)を一喝し、同時に両手をついてうなじを垂れる態度を取ることを、彼(犬)に教えることはできる。(238頁)
★しかし人間が反省する時、「反省の態度」を取れるのは、《「反省する」という「言葉」で示される「心の状態」》を、人間は自ら知っているからだ。(238-239頁)
☆ところが、《「反省する」という「言葉」で示される「心の状態」》を、彼(犬)が知ることはない。「反省する」ことが「できる」のは、「話す」ことのできる者だけ、「反省する」という「言葉の適用に通じっている者だけ」なのだ。(239頁)
★かくて、犬にできることは、叱られて恐縮の《態度を取る》ことだけ、人間にできることは、それを「反省している」と《見る》ことだけだ。いかんともし難く「循環する断絶」(パラドックス)!(239頁)
★人間は愛犬に滔滔と「語りかける」。彼(犬)はこちらの語りかけを「理解している」態度を示す(事実1)。だが一言も「話さない」(事実2)。この2つの事実の間隙に《人間による》「犬の物語」が成立する。(239頁)
☆犬が「言葉」を話すのに適した口蓋を持ち「反省する」という言葉の適用を学んだ彼らは、反省する「ふり」も学ぶから、もはや《人間による》(※幾多の感動的な)「犬の物語」は成立しない。(239頁)