これでいい。
これでいいのだ。
某アニメの歌詞が脳内で流れる。
一緒に逃亡しない選択をした。
王妃の拉致監禁を阻止するには、チェ・ヨンが皇宮にいなくてはと思ったから。
王妃も王の心も、二人の赤ちゃんも助けたい。
私なんかの為に、皇宮や部下を見捨てさせてはいけないから。
「天仙様?」
皇宮から出て手裏房へ向かう道中、自分と隊長の出会いを語っていたテマンが、眉間に皺を寄せた私を見て訝し気に顔を覗き込む。
「あ、外でその名は控えないと。ソラでいいから」
「そ、そんな、駄目です。えっと、あ、奥様は?」
「結局、結婚式を挙げてないけど」
「ち、違います。徳興君の奥様ではなくて、その、隊長の、」
「隊長の? チェ・ヨンさんの奥さんということ?」
「はい!」
そんな満面の笑みで元気よく返事されても。
私が奥様になるわけがない。
帰らなければならないし、帰ったらもう二度と天門をくぐることはしない。
「奥さんは却下ね」
「え、でも、天仙様。あ。」
「テマンくん」
腰に手を当てて怒った風を装うと、吃音を全開にして困惑する。
ちょっと虐め過ぎたかな?
「ごめん、怒ってないから。名前が駄目なら、お姉ちゃんとかお嬢さんとか、どうかな?」
「あ、お、お嬢様ですね。承知しました」
お嬢の方を採用された。
ちょっとお姉ちゃん呼びに、憧れもあったのだけど。
そして、実家の裏山の話をした。
彼の過酷な山生活とは違うが、私も幼い頃は裏山を駆けずり回っていたと会話を弾ませていた。
しかし私もテマンも、同時に会話を止める。
黒い笠の男が、向こうから歩いてくるからだ。
テマンは険しい表情をしながら私の前に出ると、警戒心を剥き出しにする。
通り過ぎるまで、動かず息を詰めてしまう。
余計に怪しい私。
「…… 足音がしません」
「元国の剣客よ …… 変装しても、あの類にはバレるのか」
皇宮から尾行されていた気がしたが、あの人達はこの程度の変装では騙せないようだ。
急ぎましょうと、足早に目的地へ急ぐ。
**
手裏房に到着すると、事情は把握していたが私の姿を見て驚く兄妹がいて、私は大満足であった。
「言われなかったら追い出してたところだよ。たまげたねぇ」
「折角の別嬪さんが勿体ない! …… いや、これはこれでいいかも」
マンボ兄は守備範囲が広いな。
ウィッグと身体に巻いた布、描いたほくろを説明すると大きく頷き、商売や手裏房の活動に活かせるかと兄妹で盛り上がる。
根っからの商売人ですね。
「また代筆と書簡を届けていただきたいのですが」
結納の中に入っていた貴金属を少し貰って来たので、それを出した。
あんな事をしたのだもの、慰謝料としてもらってもいいよね。
料金を頂ければ上機嫌のマンボ兄は、私の言葉をしたためる。
届け人は、断事官。
内容は、「自分の印章、ちゃんとしとけ!」だ。
置いたままにしておくから、徳興君に利用されるんだぞ。
本当なら直接会って話がしたいのだけど、今はその時ではなさそうな気がした。
一度、テマンを皇宮に戻し、私は店の奥の個室を借りて休むことにする。
ウィッグが蒸れるので取り外す。
この時代にも、ウィッグみたいな物があって良かった。
体に巻き付けてある布も重いので、一旦、外して身を軽くする。
変装って重労働よ。
椅子に座り壁に背中を預けると、疲れが出たのか自然と瞼が下りて来る。
やっと棺桶の暗闇トラウマも和らいで、熟睡できるようになった。
睡眠は本当に大切だ。
そよそよと心地良い秋風が、僅かに開いている窓から吹いてくる。
戸の開閉の音がした気がしたが、気の所為かな?
三角巾で吊るされた腕に、何かが触れた気がした。
もう少しで寝れそうなのに、邪魔をするのはジホか、シウルか?
それとも白い人?
でも、この気配は、
この光る【気】は、
ゆっくりと瞼を上げると、目の前にチェ・ヨンが跪いて私を覗き込んでいた。
「はぇ!? なぜ?」
寝起きのように、頭も口も回らない。
何故、貴方が此処にいるの?
王妃様のことを頼んだよね?
「…… 医仙もチュモと共に到着しました」
「あ、…… うん」
チュモが同行するのは予想外だった。
でも、皇宮から逃げて天門に向かうとなると、残りの僅かな時間を一緒に過ごしたいと考えての事だろう。
「貴女が言ったように、使臣は王に条件を突き付けたようです」
「うん。二つ?」
「いいえ、三つです。一つは玉璽の使用と、もう一つは医仙の公開処刑。三つ目は、…… 天仙を貢女(コンニョ)として差し出せと、」
こんにょ?
元国へ貢ぐ女?
私に利用価値などないというのに。
まあ、それは置いといて。
「ウンスさんには処刑のことは内緒でお願いします。彼女を怖がらせたくないし」
「…… はい」
矢張り、本編通り逃亡となるが、彼女は美人で目立つ。
髪型さえ工夫すれば、何とかなりそうかな。
マンボ兄妹にウィッグか染め粉を用意してもらおうと思案していると、名前を呼ばれたので顔を上げた。
「また何か良からぬことをお考えですか」
「また、って …… 逃亡するにあたって、ウンスさんの髪型をどうしようか考えていたところです」
いつも私が企んでいると思われているなんて心外だ。
「髪型?」
「色も髪型も、あれでは目立つでしょ?」
「ええ」
指名手配されるのが分かっているのに、そのままの姿でいる必要がどこにある。
変装してしまえば、余計なゴロつきに合わずに済むし、その人達も命を落さずに済む。
「チェ・ヨンさんは、…… ぅ、…… ヨ、ンは、皇宮に戻るのでしょ?」
チェ・ヨン呼びだと真顔になる彼が怖い。
呼び方なんて何でもいいじゃないか。
少々どもってしまい、溜息を付かれたんだけど。
「戻りませぬ」
「なんで?」
「貴女を守るために参りました」
いやいや。参りましたって、
「王妃様を守らないと、」
「チャン侍医と叔母に任せましたゆえ、」
チェ・ヨンが私を優しく包み込む。
「…… 大人しく俺に守られてくれ」
耳元で静かに囁かれた。
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