忘れもしない1995年。
バブル経済崩壊の不況の煽りが
年々強まるさなか
追い討ちをかけるように起きた
神戸大震災と地下鉄サリン事件。
暗澹とした幕開けとなったこの年
1人の男が海を渡り
メジャーリーグの重く固い扉を
こじ開けました。
メジャーを扱った週刊誌は飛ぶように売れ
スポーツ番組だけでなく
一般のニュース番組にも特集が組まれるほど
日本中はトルネードに酔いしれた。
暗い記事で埋まる新聞も
スポーツ欄に踊る奪三振の数が
人々を勇気づけた。
当時、中学生だった松坂は
野球の本場で活躍する野茂の姿をみて
「同じフィールドに立つことを目標」にしたといいいます。
あれから13年。
夢と勇気を与え続けてくれた人が
現役引退を決意しました。
正直なところ
僕の中では昨年の時点で
引退は秒読みに入っていた。
しかし同時に
再び、あの何度も見せてくれた
不死鳥のような復活劇を
祈るような気持ちで
待っていた自分もいました。
あの Nomo なら、まだ何かあるに違いない。
あの不死鳥のような Nomo なら。
野茂のメジャーでの大活躍以降
それに続けといわんばかりに
日本球界からスター選手が
続々と新天地を求めてメジャーに向かいました。
その中にあのイチローもいました。
2001年。
破格の契約でマリナーズに移籍する
イチローの話題で持ち切りだった。
またこの年、仰天移籍を決めた新城も加わり
日本ではメジャーブームが再燃していた。
その話題の中に
かつての主役、野茂の姿はありませんでした。
成績が安定しない野茂は球団を転々としており
この年、レッドソックスに流れ着いたことすら
世間は知らなかったのです。
ところが開幕して間もない4月4日、
イチローのメジャーデビューを特集する番組に釘付けだった
野球ファンの度肝を抜いたのが
メジャー2度目のノーヒットノーランを達成した
野茂のニュースでした。
まるで生まれついての Hero のような名前。
それとは裏腹に
野茂の歩いてきた道は
エリート街道とはかけ離れた
険しい苦難の道でもありました。
そして、その苦難との闘いが
人々に深い感動を与え
野茂英雄は、真の Hero になったのです。
打たれることは恥ずかしいことじゃない。
逃げることが恥ずかしいこと。
野茂の言葉です。
そんな野茂らしく
華のあるうちに盛大に引退するのではなく
ボロボロになって、もうダメだという最後の地点まで
挑戦しつづけた。
引退の会見で
「引退する時に悔いのない野球人生だったという人もいるが、僕の場合は悔いが残る」
と語った。
これを本当の美しい姿と言わずして何を美しいと言えるでしょう。
これほどの記録、実績、功績そして
人々への記憶を残しながら
「悔いが残る」と言い放つその目の先には
いったい何が見えていたのでしょうか。
手術後かつての球威を取り戻せず
何度もマイナー通告、戦力外通告を受けながら
メジャー復帰1%の可能性を模索して
黙々とトレーニング、調整を続ける
Hero 野茂を駆り立てていたのは
何だったのでしょうか。
それらを思うと僕は胸がいっぱいになりました。
まだお疲れさまでした、なんて言いません。
なぜなら、その「悔い」は
野茂のセカンドステージ挑戦の原動力となって
また僕らを痺れさせてくれることと信じているからです。
挑戦すれば、成功も失敗もある。
でも挑戦しなければ成功はない。
挑戦しないことには始まらない。
野茂