助けること、助けたいこと、
ワゴン車と乗用車が衝突して、その勢いでワゴン車がガードレール突き破って池の中央に落ち、沈んだ事故がクリスマスにありましたが覚えてますか?
生後半年の男の子がワゴン車に乗っていて、重体でしたがその後死亡しました。
それから、ワゴン車に乗っていた人と乗用車の男性も死亡しました。ワゴン車は二人くらい生き残ったかな?
ワゴン車に乗っていたのは全員18歳。
高校生と、すでに働いている人、男の子の母親、父親もいます。
ワゴン車に乗っていたのは、男の子含め9名いたようです。ふつうに人数オーバーです。男の子はもちろんチャイルドシートにのっていませんでした。
その日福岡は雪が降っていて、初心者にはとうぜん運転しづらかったとおもいます。
乗用車の男性は26歳。
彼は事故直後生きています。
近くのガソリンスタンドに助けを求めてから現場に戻り、救助のために池に入り死んでいます。
一部では、ワゴン車から脱出した少年たちが救助を強要したとも言われています。
警察の調べではワゴン車の道からはブレーキ痕がなく、制限速度内で走っていただろうとみられています。
しかし、ブレーキ痕がないっておかしくないか?とわたしは思います。衝突してんのにブレーキふまないの?って思います。
乗用車の男性はもういません。
生き残ったのはワゴン車側の人だけ。
正直、証言は信じられるものではないと疑っています。人間はその気がなくても嘘をつく生き物だから。
そして、救助の強要が本当のことならば、乗用車の男性を殺したのはその強要した人だと思います。
救助なんて簡単に言ってはいけないんです
たすけてほしい気持ちはわかる。でも、そのために死なせていいわけない
昨日も今日も明日も
同じ直線上にあるのに、
わたしたちは、
今日と明日にしか触れることはできない
理不尽で不合理で無情なこれを、
でも当たり前で日常的なこれを、
わたしは実感するのに中3までかかって、
昨日は決して戻ってきてくれないと知った
年を越すこともそれと同じ。
細かく言えば一分一秒もそれと同じ。
違うなんてことはない。
世の中はみんな同じ。
モモって本を読んだことありますか?
けっこう有名な話だとおもうんだけど。
その話の中では時間が貯蓄できるんです。
時間銀行に時間が貯蓄できて、一日は人によって時間がちがう。
みんな、より多くの時間を貯蓄するために「時間がもったいない」ってずっと言ってんの何するときも言ってんの
幸運なのか不幸なのか、
世の中はそんなことないから
何をかいているんだ自分
たとえば。
今までずっとともだちだと思っていた同性の友達から突然告白されたとします。
そうなると困るとおもうけど、とりあえず断る。わたしそういう趣味ありませんごめんなさい。
そしたら突然その友達が、ずっと言ってなかったんだけど実はわたし男なんだ、とか言い出す。
そんな展開になった人間の心情を考えてみたら、とても複雑な気持ちになりましたのでみなさんも考えてみて下さい。いい暇つぶしになるかもよ(・◇・)
そこから派生して、ずっと好きだった人に告白したら実は同性だったというパターンも考えてみた。
こっちもなかなか複雑な気持ちになった。
そうなると、好きだという気持ちは本当にその人の中身をみているということになるのか否かという問題についても考えてみたが、バカらしくなってやめた。
男は女を、女は男を好きになるのは本能なんかじゃなく、地球規模にわたる洗脳だとしたら………
んんー、、ひまだあああああ