【太陽系外生物研究報告 へ―七〇六四】
国民の健康意識について。近年にない高まりを把握。原因は、健康志向の上昇。禁煙、肥満予防などに加え、スポーツでの健康向上・病気予防にシフト。特に盛んなのはランニング。皇居の周りは、いつでもランナーで大渋滞。主な理由は、投資額が少ないこと、また場所を選ばずどこでも実行できる手軽さ。運動量を自らコントロールできること、など。
「ねぇ、おじいちゃん。人間はどうしてこんな姿になったの?」「ほぉ、学校で習ったのかい? ふむ、こどもの日にふさわしい質問じゃな。よし、話してあげようかの、わしらのこの姿の理由を……」
だが、当機関の調査によると、ランニングブームの原因は、寄生生物『走星虫(以下『星虫』)』の存在である。『星虫』の生態については殆どが不明だが、固有の体を持たず人間に寄生、宿主たる人間を走らせているようである。以上から、近年のデータと照合するに、『星虫』が「走るという行為・概念そのもの」と推測される。ゆえに『星虫』は、宿主が走っていなければ存在できない。また、宿主は寄生されていることに無自覚である。あたかも、自分の意志で走っていると思い込む。さらに『虫』は宿主の脳を操作し、アドレナリンやドーパミンに代表される興奮物質を強制的に生成する。脳みそにハムスターの滑車を回させるのである。『虫』の目的は地球滅亡と思われる。先に政府発表された健康増進法に充当する予算は、直ちに『星虫』対策費として計上すべきと思われる。
「走るって楽しいね」「うん、ハムスターの気持ちわかるかも」「それある!」
【太陽系外生物研究報告 ぬ―五五】
『走星虫』活動停止について。定期観測員によると『星虫』の一人(一匹)が、エドガワク在住の3歳児に寄生。通常の手順で脳を支配し宿主を走らせようとしたが、制御不能になった模様。興奮を促す脳内物質生成を試みるも、すでに奔出していた様子。つまり「走れ!」という命令を下す以前に、宿主は走り回っていたようである。『星虫』は困惑しつつも、3歳児本能の前には何もなすすべもなく、機能を停止せざるを得なかった模様。3歳児の「走る」「思い通りに体を動かす」という喜びが『星虫』の能力を凌駕したと思われる。
「こらーヒデキ! どこいくの! もう、すぐきれいなお姉ちゃん追いかけてっちゃう」「ねね子さん、こどもってそういうものよ。太陽なの、エネルギーの塊なの、止まってられないのよ」「お母さま、それはそうですが、お姉ちゃあ〜んって……」
積極的に動く必要のない環境を手に入れた『星虫』は、テレパスでそれを共有。3歳児を中心としたこどもへと一斉に宿主を乗り替える。その後『星虫』はそこを安息の住処とし、機能を完全停止した。侵略は止まった。当機関はこどもたちが人類を救ったと認定した。【政府発表資料より】
政府の発表に、国民は驚きながらも胸をなで下ろした。自発的ではなかったと知り、ランニングなどのスポーツブームは去った。運動する人間は徐々に減り、人類の姿は変化した。手足は干からびたわかめのように退化。体が丸くなって首は埋まり、頭が乳頭のようにちょこんと突き出す。そんな風でも科学の進歩で不便はないが、鯉のぼりを見ながら祖父はふと思う。またあの変な寄生生物が現れたらどうなるじゃろう。この体で走らされたらひとたまりもないのう。わしらはあっという間に滅びるじゃろうなぁ。まぁ、そんなこともあるまいが。
祖父は、まんまるの孫を膝に抱きながら、縁側に広げた新聞に目をやる。
「また水難事故。堤防から海に飛び込む」
このところ、泳ごうとする無茶な人間が増えているのぅ……。
了