まあるくておおきい汗の玉をたらたらと流しながら、ぼくは三輪車で坂道をのぼってゆく。真夏のひざしと白くて埃っぽい道は、電気ストーブの近くにいるみたいに暑い。皮膚がじりじり焼かれてひりひりするのに動けない。あのときに似ている。はあはあと、ぼくは息を切らしながら、きいこきいこと三輪車で坂道をのぼってゆく。

 もうすぐ頂上、というところで誰かが立っているのが見えた。小柄で痩せっぽちなおさげの女の子。右手でくるくると長い棒を回している。ぴかぴかと光をはじきながらくるくる回る棒の先には、ラッコが脇の下からだす貝殻みたいなかたまりが、やっぱりぴかぴかと光っている。思わずうっとりとながめてしまう。
 三輪車を止めじっと見つめていると、向こうもぼくに気づいたようで、立ち止まってこちらを見ている。右手のくるくるは止まらずに、きらきらした目でぼくを見ている。

「どっちへいくの?」

 女の子はぼくに問う。ぼくは答える。

「そっち」

 女の子はふぅんと興味のないようすで、右手のぴかぴかをぐるぐる回している。でも立ち去る様子はない。興味がないなら聞かなきゃいいのに、とぼくは少しだけ不満げな顔をする。今度はぼくの番だ。女の子に問いかける。

「その棒はなぁに?」
「これ?アイアンよ。7番アイアン。マッシー・ニブリック。しらないの?そんなデカイ図体して」

 なんのことだろう。初めて聞く名前だ。7番はわかる。1から数えて7つめの数字だ。アイアンもたぶんわかる。鉄のことだ。おとうさんのレコードコレクションにあったアイアンメイデン。名前の意味を聞いたとき、たしか「鉄の処女」って言ってた。こんなにぴかぴかした鉄ははじめて見たけど。続けてぼくは聞いた。

「そのさきっぽについているのはなに?」

 ふふん、と鼻で笑ってから女の子は、少し小馬鹿にした表情でぼくに答えた。

「これはヘッド。ついでに教えてあげる。マッシーはフランス語でこん棒、ニブリックはスコットランド語でつぶれた鼻を意味するのよ。あんたみたいなにやけた鼻をこのヘッドで殴って潰すっていう意味よ」

 女の子の言葉でぼくはとてもこわくなったけど、冗談なんだか本気なんだかわからないから、こわがってもしかたがないと思った。なぜだか、ほんのちょっぴり、こわいとは反対側の感情も浮かんできた。でもやっぱりちょっとこわいなと思ったから、少しのあいだ空を見ることにした。ひとつだけ浮かぶ雲は、青いキャンバスに貼りつけた二十日鼠のように、ピクリとも動かない。じりじりと暑さが増したように感じた。
 ふいに女の子が口を開いた。

「ねえあんた、ひとり?」
「ぼくが何人にも見えるの?」
「ひとりに見えるわ」
「そうだろうね。ぼくは忍者ではないからね。ひとりに見えないんだったら、病院に行った方がいい。目の病気かへたしたら脳の病かもしれないね」
「憎まれ口を叩くのね」

 ふいにぴかぴかの棒が回転を止め、ぼくに向けて振り下ろされた。とっさのことによけきれず、棒は左肩にめり込む。ずどむ。鈍い音がする。どうやら骨への直撃は避けられたようだが、肩の肉がへこみ、棒は包み込まれたようになっている。ぼくはわずかに眉をしかめ、棒がめり込んだ箇所を見る。そのまま棒に沿って視線を動かす。回ってなくてもぴかぴかしている棒の根元に黒い革が巻いてあり、華奢な女の子の手がそれを握っている。ぼくは右手で棒をそっとつかみ肩の肉から外そうとするけど、一瞬早くその棒は自分から離れた。というより、女の子が棒をふたたび振り上げた。振り上げられた棒は女の子の頭上でくるりとひるがえると、ぴかぴか光りながらぼくの頭に向けてまた振り下ろされた。ぼくは左手で頭を守ろうとしたけど、どういうわけか思い通りに動かない。しかたがないので、右手でかばった。棒は手首に当たり、今度はごぎりという音がした。どうやら尺骨がひび割れたか折れたかしたみたいだ。
 女の子はその後も容赦なく、なんどもなんどもぴかぴかの棒をぼくに打ち下ろした。ほとんどは腕や手のひらで受け止めたけど、何回かは体に当たった。特に振り下ろされる間にくるりと回転して軌道がわからなくなった一撃にはまいった。棒は死角から飛び込んできて、左目の下の頬骨にヒットした。ぺぎゃって音がして、一瞬目が見えなくなった。右目を左に寄せて見たら、左目は眼窩から飛び出してぶらんぶらんと揺れていた。このままにしていたら開いた穴にスズメバチが飛び込んでしまう。眼窩がスズメバチの巣になったら大変だ。それこそ目も当てられない。あわてて目玉をつかみ穴へ戻す。戻した瞬間、脳天に棒が打ち下ろされた。これは防ぎようがなかった。棒の当たったところを触ってみると、けっこうU字型にへこんでいた。3cmくらい陥没していた。
 棒による攻撃は1時間も続いただろうか。さすがに疲れたのか飽きたのか、女の子はぺたりと地面に腰を下ろして、深い溜め息をついた。半分開いた足の間からいちご柄の下着が見えているけど、ぼくは見て見ぬふりをした。
 三輪車の状態を調べると、ところどころ血液や脳漿や骨片が付着しているけど、三輪車そのものは傷もつかずきれいだった。これはぼくをほめて欲しい。女の子の攻撃から、がんばって三輪車を守ったのだ。あおい三輪車もうれしそうに、ぼくをほめてくれてるみたいに見えた。
 さて、そろそろ行こう。ぼくは坂道をのぼらなければならない。まだ、はあはあと肩で息をしている女の子に水を差し出し、ぼくはふたたび三輪車をこいでゆく。
 女の子はぼくを目で追っていたが、ふいに口を開く。

「どこへいくの?」

 ぼくは答える。

「あっち」

 ぼくは坂道の向こうを指さす。

「ねえ、いっしょに連れていきなさいよ」

 女の子は、血液や脳漿や骨片が付着している棒を杖代わりに立ち上がる。よく見ると、体中棒と同じように汚れている。頬には折れた前歯が突き刺さっている。でも、棒は傷ひとつないぴかぴかのままで、さすがだなと思った。
 ぼくはそっとため息をつく。体は思うように動かないし、目もよく見えない。左手は肩先からぶらんぶらんと揺れている。骨も飛び出ている。正直おっくうだ。でも、無視するわけにはいかない。ぼくは、女の子を抱えて三輪車の荷台に乗せる。

「わたしのこと好き?」

 三輪車にまたがり、女の子はぼくに尋ねる。ぼくは答えないけど、女の子はぼくのお腹にしっかりと手を回している。三輪車はそれほどスピードは出せないから力を入れてつかまらなくても平気だけど、女の子はぎゅっとぼくにしがみついている。
 ぼくはその感触を確かめ、やすらぎを感じながらペダルをこぎはじめた。
 坂道の頂上へたどり着くと、正面に青い空と青い海が輪郭をにじませて広がっていた。あいかわらずじりじりと暑いけど、ぼくと女の子とあおい三輪車は、ぼんやりとその輪郭に吸い込まれていった。

 

 

 

 

<了>

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