【5】
「なんだ?地震!?」
カップの音に混じって、部屋の外からゴォーっという轟音が聞こえてきた。窓の外に目をやる。超大型トラックの群れが爆走している。荷台には、土砂が大盛りに積まれている。トラックの起こす振動がキョウヘイの部屋を揺らし、カップを踊らせている。
カチャンカチャンと激しさを増すカップのダンス。それを呆然と眺めながら俺はつぶやく。おいおい、それじゃ過積載だ。警察に捕まっちゃうぜ。
もうすでに、思考は予測された未来から逃避している。
コーヒーはカップの縁を伝って、床にシミを作り始めている。
「あーっ!」
悲痛なキョウヘイの声に振り向くと、キョウヘイはコーヒーまみれになっていた。正確には、頭上からふりそそぐコーヒーカップの雨に打たれていた。
床にたどり着いたカップはガチャンガチャンと激しい音を立てながら粉々になり、盛大にコーヒーをぶちまけた。
「たすけてーっ!」
俺はとっさに踵を返し、ドアを開け外に駆け出した。
そのまま階段を駆け下り、アパートの玄関から転がり出た。
しばらく両手を地面について、息が整ったころキョウヘイの部屋を仰ぎ見た。
白いカップの混じったコーヒーが部屋をいっぱいに満たしている。コーヒーカップの間にキョウヘイがちらりと見えたような気がする。少しだけ天井とコーヒーの間に隙間があったが、見ているうちに消えてしまった。
悪夢を振り払うように顔をゴシゴシとこすり、俺は来た道を引き返した。案外、心は静かだった。理解できないことを体験すると、人はそれを心の奥にある箱にしまいこんで鍵をかけるんだろう。大学の心理学の授業でならった気がする。
歩道橋を渡り、俺は自分のアパートへ戻る。忘れよう。今日のことは忘れよう。
鍵を開け中へ入ると、部屋の中央に置かれたテーブルの上に見慣れないものがある。
湯気の立つ黒い液体をなみなみと湛えた白いカップが置いてある。尻ポケットのスマホがブルブルと震える。見るとSNSから通知が来ている。『コーヒーbotがあなたのつぶやきをリツイートしました』と。
落ち着け、と俺は自分に語りかける。あの、ひとつだけあるカップを始末すればいい。それで済むんだ。焦るな。
部屋には白いコーヒーカップがひとつ。その向こうに、どこから迷い込んだか、黒猫が一匹。国道は荷台に土砂を満載した大型トラックが、ゴォーという音を立てひっきりなしに行き交う。
カップはカタカタ鳴っている……
<了>