チェルノブイリの後で、広瀬隆の「危険な話」を読んだ。
内容に愕然とした。
原発を推進する側は、肝心なこと・危険なことは何も話さない。
そして本当のことは実は当事者すら自覚していないと言うこと。
それを知っていた自分ではあっても、去年のあの日まで結局は
何も出来なかったし、ただ呆然と成り行きを見、無力感に、
喪失感に、犠牲になっている人たちへの後ろめたさに
たじろいでいただけだった。
じゃあ、これから何かを・・・、って出来るタイプではない。
自分のできることって何だろう。多くのヒトがきっとこの一年
ずっと自問自答し、ある人は実践し、ある人は何も出来ず悔やみ
ある人は淡々と日常に戻っていっただろう。
それぞれのヒトが考えただけでもあの日以前とちがうと思う。
そしてまた、昨日と同じように見えても、昨日と今日は違う日であり
今日と明日はまた同じではない。
そう思いながら、日常を送ることにした。
ワタシは、全てを面白がることに決めた。
世界には、まだ捨てたモンじゃないことがいっぱい転がってる。
モッタイナイ毎日を送ることがないように、見て聞いて話して。
地球がちょっと身震いしたぐらいでこんな状態になってしまう
人間だから、明日死んでも、おもしろかったと言えるように。
と、余生の使い方について考えたのダッタ。