夫は、口では贈るというものの、ちっとも動く気配がなくて、義母には、私と娘で選んだフラワーアレンジメントとケーキを贈りました。
この日の午前中、娘を夫に任せて買い出しに出掛けたら、あちらこちらから「母の日」のアナウンスが聞こえました。
朝、洗濯をして朝食の準備をして、頭を抱えながら昼食と夕食の献立を考えつつ買い出しをして。
いつもと全く変わらないことに「なんだかなぁぁ」な気持ちを抱えていました。
娘が母の日をどこまで理解しているか分からないし、夫に「紫苑は俺の母じゃねぇ、妻だ」って言われたらそのとおりだし。
だけど、こうも全く労われないのって何なの?!そんな、労う価値もないほどダメな母親だった?!
そんなことまでふと考えてしまうほど、なんだかやさぐれておりました。
ところが、その晩。
「お母さんと(お風呂)入る~」という娘をどうにか説得して夫と入らせ、娘の髪を乾かして、おやすみの挨拶をした直後のこと。
台所の片付けが残っていたので娘たちに背を向けて台所に向かおうとしたら、娘が背中にぶつかってきました。
挨拶したし、なにかあったかな?と振り向くと、その手にはカード。
娘が描いた絵が、そこにはありました。
それから、小さいけれど確かに「いつもありがとう」の声。
そういえば、連休の前半に、娘と夫がなにやらこそこそしていた日があったな。
隠し事ができないもんだから「カードがね」みたいなことも言っていたな、と思い出したのは、娘が夫と寝室に入った後のこと。
金髪翠眼で、明らかにプリキュアのキャラクターみたいな女の子だったけど、でも、完全にやられました。
そうなんです。
なにも、でっかい花束が欲しい訳じゃないんです。高級ディナーも豪勢なプレゼントも特に欲しいわけじゃない。
ただ、想いがほしいというか。
「母の日か、お母さん(私)に何かしようかな」と、少しでもそう思ってもらえたら、それが「ありがとう」の一言だけでも報われる気がする。
結婚前、母に何か贈るたび「そんな、モノは要らないのよ」と言われ、「それじゃあ何かしたいっていう私の気持ちはどうなるのさ」とケンカしたものです。
このときは確か「モノを貰うよりも家事を手伝って貰う方が何倍も嬉しい」と言い返されてぐうの音も出なくなったんだったな。
その後も懲りずにせっせとモノを贈り続けているのだけど、ようやく、あのときの母の言葉が少し分かった気がしました。
子が成長するってこういうことなんでしょうか。ちょっと目頭が熱くなった2020年の母の日でした。