ルーツの旅@台湾〜生んでくれてありがとう〜 | 【世界中にエシカルコスメを届けよう】あなたの「お肌」と「地球」を救う、人にも地球にも優しい手作りコスメスクール代表 増岡晶子

【世界中にエシカルコスメを届けよう】あなたの「お肌」と「地球」を救う、人にも地球にも優しい手作りコスメスクール代表 増岡晶子

化粧品が「自分にとってだけでなく、人、社会、地球環境にとっても良い影響を与えるものである」という観点を加えたものが「エシカルコスメ」です。 ethical cosmeticでは、そんなエシカルな化粧品を手作りすることをご提案しています。

 


30年という人生の区切りに、
自分がどのようにして生まれてきたのか
改めて考えてみようと思い、

長いブログを書いています。




30年前、母が私を身籠った時、
父は堕ろせと言いました。



経済的な理由が一つ。


さらに父は再婚なので、
前妻の子が既に三人いて、
もう子供は1人で十分(私の兄)と思っていたようです。



もう一つは、万が一私が男であったなら、
二十歳になった頃に台湾へ徴兵に行かなければならなかったから。



詳しくはわからないけど、
なんか国籍の法律の改定により、


私は当時日本国籍ではなく
台湾国籍になってしまいそうで、



台湾では男子は二十歳になると
必ず徴兵制に招集されるという法律があったのです。


もし男の子だったら、
日本で育ったとしても

強制的に台湾に行かなければいけなかった。



そんな中、母は


この子は絶対に女の子だから、絶対に産む!!!!


と、強行に父の意見を押しのけ、
私を産んでくれました。



もちろん、今では父も
私が娘として生まれてきてくれて
本当に良かったと言ってくれていますし、

とても愛してくれています。



父の父(おじいちゃん)は当時、
日本軍の占領下にいる台湾で



村のお医者さん的な存在で、
貧しい人達には無償で食べ物を分け与えたり
仕事を作ったり…と、



本当に与える人として、
村中の尊敬を集める人徳のある人だったそうです。



でも日本軍がそんなおじいちゃんを目障りに思ったのか、



おじいちゃんは散々暴行され、
それが元で亡くなってしまったそうです。



おばあちゃんは、おじいちゃんが亡き後も
12人の子供を立派に育てあげました。



でもどれだけ頑張っても家は貧乏…



そんな中、父は偉くなって
お金を稼いで家族を助ける!!と



蛍の光並みの苦学生として、
必死に必死に勉強し、



兄弟の中で唯一大学を出て、
自力でのし上がってきました。



自分の父親が理不尽な理由で
日本人に殺されたとなると、

頭ではわかっていても普通は
日本人を恨んで当然の状況。



でも父は違った。



父の心は、おじいちゃんの魂を受け継いでいるのか、
本当にそういう曇りがなかった。



そんな父が、日本と台湾の架け橋になろうと仕事で日本に来て、



母と出逢い、愛し合い、私が生まれた。



そもそも、台湾出身の父が仕事で日本に来た時に、
母に出逢わなかったら。



たまたま父の乗っていた
バスのガイドが母でなかったら。



そして14歳も年の離れた
二人が恋に落ちていなければ。



母が自分の意思を貫いて
生む決心をしてくれなければ…


この世の全ての出来事が、
あらゆる奇跡を生み出しています。



こうしてたくさんの愛の連鎖によって、

30年前に私は生まれました。



素敵な両親の元に生まれてきて、

私はとっても幸せです。



生んでくれてありがとう。



今日は、物心ついてから初の

台湾へお墓参りに行ってきます。




自分を作ってくれた
全ての繋がりに感謝する為に。