自分の周りに起こる出来事を受け入れる時、
「あるがまま」に受け入れる必要があります。

このことは以前も書きましたね。

自分に起きたこと全てに対して
良いことも悪いこともただそのままを受け入れるということ。
何も足さない。何も引かない。
ただそのままの状態を認めることです。

この「あるがまま」の状態と、

起こったことに対して「流れ任せたふりして目を逸らす」こととは違います。

ただそのままの状態を認めるというのは、
何事にもジャッジせず受け入れることですが、
その中からどうしてそういった現状が生まれたのか、
そこから学ぶべきものは何か、
自分の闇の心を見つけ出し向き合うことは必要です。


その向き合うことを全くせずに、あるがままに受け入れていると言っても
それは単に流れに任せて生きているだけで、自分の闇から逃げているのと同じです。


「あるがまま」という言葉を使って、
向き合うことから目を逸らす口実にしているのです。
その状態で「私はあるがままに生きている」と言っても大きな勘違いです。

魂の成長は自分と向き合うことから始まります。
そこを脇に置いたまま、毎日をしっかり生きている・楽しんでいると言っても、
それはこの幻想の世界の中から抜け出すことをやめている状態なのです。


心の中の愛を知るには、自分と向き合う必要があります。

外の世界に見える、見せかけの愛は幻想です。

魂を成長させるのにも、自分と向き合わなければいけません。
毎日毎日、毎瞬毎瞬の中にも私達が学ぶことはたくさんあります。
それすら見つけ出さないで、あるがままに生きていると言ったところで、
それは本当の「あるがまま」とはかけ離れているのです。

Crystal breath

         ピンクのグラジオラスの花言葉は「たゆまぬ努力」
Crystal breath-おれんじらいん


仏陀の教えの中に、「諸行無常」があります。
この世の一切のものや出来事は常に移り変わり、
不変のものはないという教えです。

仏陀は苦しみが生まれるのは、変わらない事を知らないからだと悟りました。
無知が迷いを生み、迷いが欲を生み、
欲が執着を生み、執着は苦しみを生む。

だから「無常」というものを受け入れることでしか、平安は得られない。
受け入れて、現実を直視し執着を取り除くことでしか得られないのだと説いたのです。


受け入れるとおのずから変容がもたらされる。
それこそ受け入れることの美しさだ。
自分を受け入れたとき、動きが始まる
――人生とともに流れ始めるのだ。


~OSHO~

あるがままを受け入れると変容がもたらされるのは、
そこで自分と向き合う、現実を直視するようになるからなのです。

向き合うことから目を逸らして、「あるがまま」に生きてるつもりでは
何の変化も訪れません。

向き合うことは、苦しみの中に飛び込むことでも
嫌な感情を思い出すことでもありません。
ただそこから学ぶべきことを見つけ出す為に向き合うのです。

流れに任せてただ生きている人生より、

真のあるがままの人生を選択していきましょう。





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ドキドキあなたのハートへ、愛と光をドキドキ
今の現実に満足出来ない時、人は変化を求めます。

また、現状に満足している時でさえも、永久不変なものはないので
いつしか変化の時は訪れます。

人が変化するためには、今ある状況から一歩踏み出す必要がありますね。
今までの信念体系や観念を見なおさなければいけません。
自分が信じていた信念や、そうあるものと思っていた観念を一旦リセットするのです。

新しく物事を受け入れる時、古い考え方に執着していては受け入れることはできません。
現状が満足という考え方ですら、そこに留まり変化を拒んでいるから執着なのです。

「破壊は創造の始まり」とよく例えられますね。
今ある考え方や思念を壊さなければ、新しいものは得れません。
壊すのですから、少しでも以前のものが残っていてはダメなのです。
木端微塵に打ち砕く、まさに「破壊」するのです。

今までの信念や観念を打ち砕くのには、かなりの恐怖が伴います。
自分の未知な世界へ飛び出すのですから、恐れはつきものです。
エゴはそこに働きかけ、現状を維持させようと囁きます。
変化に伴うリスクを考えたり、現状で満足出来てるように感じる場面を
どんどん見せつけてくるのです。
変化に対する更なる恐れを湧きあがらせるのですね。
これはエゴと自分との勝負なのです。
エゴの甘い囁きを克服した時、私達は変化の一歩である破壊を体験するのです。


「あらゆる創造活動は、まずなによりも破壊活動である。」

~ピカソ~

Crystal breath

             ヤマブキの花言葉は「崇高」
Crystal breath-ぐりーんはーと


破壊して何もかもなくなった状態、信念や観念が取り払われれば
新しい考え方を素直に受け入れる事が出来るようになります。

そこで、今までにはなかった物の見方、考え方で、新しい人生を創造できるのです。
これは「再生」ではありません。
再生とは、「衰え・または死にかかっていたものが生き返ること。」なのです。
再生は古いものが一部残っている状態なのですね。
破壊してなくなってしまったら、ゼロから創り出すので「創造」なのです。

新しい人生に入っていくのを恐れてはなりません。
崇高なことを成し遂げようとすると必ずリスクがともないます。
リスクを負うのを恐れる者は、崇高なことを成し遂げようと期待してはなりません。


~オグ・マンディーノ~

どんな形の幸せであれ、人によって価値観は様々です。
ですが、その人にとって幸せを得ることは気高く尊いこと。
大きなことを成し遂げることが必ずしも崇高だとは限りません。

この世に生を成し、幸せや喜びを感じて生きる。
そういった人生を創造する魂はとても崇高な魂なのですから。


創造性というのはけっして無関心ではあり得ない
創造性は構うものだ
なぜなら、創造性とは愛だから
創造性とは愛とこころづかいの機能なのだ
創造性は無関心ではあり得ない

もし無関心にしていたら
だんだんとあなたの創造性は消えてしまうだろう
創造性には情熱が
生気、エネルギーがいる
創造性には
あなたがひとつの流れ
激しい、情熱的な流れであり続けることが必要だ


~OSHO~

恐れを抱いて現状を維持し続けるか、
信念や観念を破壊し、新しい世界を創造していくかは自分次第なのです。

新しい世界へ一歩踏み出せば、そこには必ず今以上のものが待っています。
それが私達に与えられる最高のギフトなのです。



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黄色い花あなたのハートに愛と光を黄色い花
おとぎ話や童話の世界によく出てくる「天国と地獄」。
神様や天使がいる世界と、悪魔や閻魔さまがいる世界のように描かれますね。

仏教やキリスト教、その他の宗教でも、概要は違えど天国と地獄の思想はあります。

天国は理想の世界の象徴、地獄は悪行を犯した者の行き先の象徴ですね。

この二つの世界は、死後の魂の行き先として描かれます。

魂は肉体から離れると一つの意識として残ります。
肉体があれば地球上で色々と学べますが、
肉体を離れれば行く先は、その無くなった時の波動の領域へと導かれ学びます。

だから天国と地獄のような概念があるのです。

天国が夢のような理想の世界でも、地獄が苦に満ちた世界でもありません。
自分の魂の波動が導かれる世界は、亡くなる直前の波動と同じ。
つまり、その時に視えていた現実の世界と同じ波動なのです。


自分の感じていたこの世が、観念で創りだされた世界で
エゴや欲に塗れていたのならば、同じ苦のある世界に導かれます。

逆に、愛や慈愛に溢れ喜びを感じるこの世であれば、
天国と思える波動の世界へと導かれるのです。


今、自分の目の前に広がるこの世の世界は天国ですか?
創りだすのは自分です。

生きてるこの世が天国のように思える世界を創り出すには
自分の心のあり方次第なのです。

Crystal breath

           フリチラリアの花言葉は天上の愛
Crystal breath-おれんじらいん


「神の国は見ゆべき様にては来たらず
『視よ、此処に在り』『彼処に在り』と言うことはできぬ。
視よ神の国は汝らの中に在るのだ」


~ルカによる福音書 17章20・21~

聖書では天国の事を神の国といいます。
その神の国はいつ来るのかという質問に対しイエスは

神の国は見える形では来ない。
ここにある、あそこにあると言うことは出来ないのです。
神の国はあなた方の中(間)にあるのです。と言っています。

「あなた方の中に」それは「私達の心の中にある」ということ。
私達の思いひとつで、今のこの世が天国になるのだということです。

「間」というのは、私達の関係性の事です。
互いを受け入れ許し・愛し合う関係も神の国の現れです。
聖書でいう隣人愛。
そこには自分や他者という隔たりはなく、
全てのものが無条件に愛し愛される関係がありますね。
それも天国の一つだと言うことです。


天国と言うのは、死後の世界だけではありません。

今、この生きている世界も自分の心一つで天国になりうるのです。
それが地上天国と呼ばれる高い次元のこの世なのです。

生きている間の行いや心の持ち方で、今の地上は天国なります。
それがそのまま死後の世界にも投影されるのなら、
やはり今を大事にしていきたいものですね。




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満月あなたのハートに愛と光を満月