・姫でもいいんです!

自分にかけた制限は、
自己探究すればするほど見つかるけれど

愛されたい・構われたいって思ってるのに
実際そうされると
どうにもこうにも、居心地が悪いって感じる・・

そう感じてしまう人って意外に多いのですが。


今日書くことは、
それを感じてる人には何かのヒントになるかもしれないけど、

それが自分の中にあることを認めない人には
「自慢したいの?」って僻み・やっかみの感情がでるかも。

って、先にいっておきますね。
理由は・・・わたしはどちらも体験したから(笑)


さて、本題。


先日の旅行、実は完全な「お姫様旅行」でした。

旅費も食事代も全部出して貰って、
車の運転も一度もせず、
荷物も持って貰って、
散策ペースも
気温の変化や部屋の温度も
行きたい所も食べたいものも
ほんっとに何もかもわたし中心。


ただ、はしゃいでるだけ。

笑ってるだけ。

好きなように楽しんでるだけ。

素直に甘えて、素直に喜んでる。

・・の、繰り返し。


自分にブロックがある時は、
こんな旅行、相手が何考えてるか怖くて

楽しむどころか

やって貰ったことの代償を必死で探して

「これだけ私もしたからね!」と言わんばかりに

認めて貰おうとしてました。


そして、そんな旅行で姫になる人に僻んでたよ。
「そんな好き勝手したらいつか嫌われるよ」って(笑)


何もしない自分に価値がないって思ってると
何かしなきゃ嫌われるとか
なにも出来ない子と思われるとか
無意識にそう感じて、

相手の気持ちも偽物のフィルターで見てしまって

素直に受け取らなくなる。


喜びが少なくなるから、

当然相手も「喜んでくれない」と感じてしまって

お互いが「すっごく楽しかった!」とはならない

不満足旅行(笑)


今考えると勿体ないことしてたわ~


でもね、

もし自分が何かしたことを、
相手が素直に受け取ってくれたら

と~~っても嬉しいでしょう?

相手も一緒。


だから、全部してもらった。
相手の「してあげたい」思いに素直に喜んだ。
自宅に着くまでお姫様を満喫。

当然、喜びは2倍になる。
二人分ね。


その喜びは、結果
自分も相手も癒すことになるのです。

素直に受け取るという癒しと、

無条件に与えるという癒しが

同時に起こる。



だからね、姫でいてもいい環境の時は

素直にそれを体験したらいいよ。


モゾモゾしたり、こっぱずかしかったり
ザワザワしながらでもやってみる。


好き放題わがまま言うのとは違うから、

そこは勘違いしないようにね。





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・熊野の旅と満月と

熊野の那智大社と、花の窟神社に行ってきました。

那智大社は数年前に一度行ったことがあるのですが
今回はゆっくり散策しながら、
「自分がよろこぶ」に焦点を当てながら、
とても自由に楽しんできました。



大門坂から那智大社までの石の階段を歩きながら、
周りの景色や自然の写真を撮ったり
普段の神社巡りと同じ光景なのに

スピリチュアルな話を一切してないところは新鮮で

ただ、楽しむ。 それだけ。

その分、目に留まるものも
いつも以上に細かいところまで気がついて

山の中にある、一足早い春を見つけたり。

目線の先にあるものに感じる
心の変化を楽しんでみたり。

こんな楽しみ方は、
最近の神社巡りではしてなかったかも~。

今日、23日は乙女座の満月ですが

この満月は自分の内側を丁寧に観ていくことに焦点があたったり
今までとは違うビジョンを感じることがテーマ。

前日に熊野でそういう体験が出来たことは

結局、流れのままにたどり着いたって感じが半端なくあって
まだ手放しきれてないものがハッキリしたり
瞬間・瞬間に選択していることが真逆だったり

あまりにも細かすぎて気がつかない部分を

しっかりと観てきた感じがします。

1月11日に沼島のおのころ神社に行ったのも、誘われて。

2月22日に那智大社に行くことになったのも、誘われて。

日にちの並びにはやっぱり「何か」を感じてしまう。

それが何かを追求するよりも、
起こることを楽しむことで
次の一歩が決まっていくような。

お決まりですが、道中何度も5の連番を見たり
変化のメッセージはあったので

3月に向けてが更に楽しみになってきました。

次は何処に行くのだろう。

流れのままに~。




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・その憐れみは慈愛ではない

心理や真理を探究していくと、親や兄弟、子供やパートナー
知人・友人、上司や部下との関係性を
見直す時期は必ずきます。


人間関係を見直していると

自分がその人生を選んだ、

そういう関係性を創り出した

「理由」に気づきだすと同時に、

相手に対しての見方が変わってくると思います。


大抵は、その役割をしてくれたことに
感謝の気持ちが湧いてきたり・・が多いのですが、

ときどき、

「そんな人生しか選べないなんて可哀想」って

相手を憐れむ方がいます。


特に、親や年上の兄・姉、パワハラの上司などに。

意外と年下の相手には思わないことが多い。



確かに、威圧的で頑固で家族も言う事聞くしかないような
親を持つ人は多いし、

そういう家庭に育っていると、

自分の兄弟も自分と同じように反抗してないっていう
家族は多いです。

だからと言って、その威圧的な性格や
みんなから相手にされない人生が本当に「可哀想」なのか?


違いますよね。


その人が自分で選んでるのだから
「可哀想」ではないし、
そこにはその人が学ぶことがいっぱい詰まってる。


問題は、あなたが「可哀想」と思う事にある。


不憫に思う、憐れに思う気持ちは

一見、慈愛のようにも聞こえますが、

それはあなたのプライドが

そう思わせてることもあるの。


こんなに嫌な思いをしてきた私は、

あの人にこんなことまでさせるくらい

色んな事を学びたい凄い魂だ!って


そう思いたいだけのプライド


これ、気づきを得て癒されたように見えるけど
何も癒されてないから。

自分を上に置くことで、

自分にあった出来事をいいものに置き換えようとしてるだけ。

もっと悪く言えば、

相手を見下してるのと同じなんです。



真に理解できた時って、自分の心は中庸なの。



だから「可哀想」なんて感じることもないし、

憐れみや不憫さも感じない。


菩薩や観音が人間に対して憐れみの感情を持つのは

全ての人が成仏できるよう見届けている

言葉では表せない大きな愛が大前提で、

蟻一匹を助けたような行いにでも愛を見つけ

それ以外の悪行に心を痛めてるから

「憐れみ」を感じているのであって


私達が言葉にする

「そんな人生しか選べないなんて可哀想」と思う憐れみとは

見ている目線が違うでしょう?



菩薩や観音の心で接するのは

まぁ正直、私もまだまだ出来ないし(汗)

その境地にたどり着くのは難しいことだけど

「中庸」の目線で相手を見ることは

気づきがあれば出来ることなんです。


自分の奥に隠されたプライド、

探してみてはどうですか?



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