<思い出す場面>

低学年の頃、近所の商店から万引きしていた。
何度も何度も見つかるまで…

学校の帰り道にある団地の裏で1人で火を燃やしていたこともある。

あ、何故かまつ毛を「抜かなければならない」と思い込んでいて、頻繁に抜いていた。

こうゆうのもストレスの現れだったのかな??


思春期になって《怒り》とゆぅ感情が私の中に現われるまで、あまり記憶がない。
母親にあの時どこに行ったとか、あんな事があったとか言われても、ほとんど覚えていない。

もちろん遠い昔の事だから記憶があいまいだったり抜ける事もあると思う。
でも友達と遊んだことや外での記憶はわりとあるのに、母親がらみの事があまり記憶にない。
なのに何で、それよりも前の幼少期の記憶がハッキリと残っているのだろう?
何度もくり返し思い出していたから?


<カウンセリングで言われたこと>

*火は怒りの象徴でもある。親から受けた暴力や怒りを、子供は遊びに取り入れたりする。

*普通の記憶は時間が経つと、少し自分に都合よく変わったり、忘れていったりするが、フラッシュバックになるような記憶は普通の記憶とは違い、強く(焼印を押されたように)残る。だから、幼い頃の記憶も鮮明に覚えている。



この頃の私はすでに、自分からあまり話さない『大人しい子』わがままを言わない『良い子』に育てられていた。

家での記憶はあまりないが、口数は少なく、押し入れが好きで?いつも入っていて遊んでいた…気がする(おしおきで入っていたのか?自分が好きで入っていたのか?なぞ)



小学校に上がる前か上がってすぐ頃までは、母親の弟(叔父)が子供を連れて家にきたり、私が遊びに行ったりしていた。

その後、母親の弟は離婚してしまうので会うことはなくなってしまうけれど…
当時はイトコにあたる歳の近い女の子とよく遊んでいた。

時々家に泊まりに来るのだけど、夜になるとよく『家に帰りたい~』と泣き出してしまい、夜中に迎えに来てもらって帰っていた。


いつも何か言おうとすると母親の気に触り、怒鳴られたり叩かれたりして育ってきた私には、ものすごく羨ましくて

ある日

泊まりに行った夜中にマネしてみたくなった。


家が恋しいなんて全然思ってなかったけど、自分の気持ちひとつで親が迎えに来る『我儘が通る』
そんなささいな事が私にはとてつもなく羨ましかった。
前々から1度やってみたいと思っていて、ある日『帰りたい』って言ってみた。
それは私にとっての大革命だった。

叔父さんは母親に電話して笑顔で車で送ってくれた。


母親の対応など細かい事は覚えていないけど、ほっとしたり嬉しかったりではなく、
我儘を言うってこんなに簡単な事なの?うそ~って…とても驚いた。

私の小さな世界では、あたりまえじゃなかったから。

そんな日々も長くは続かなかった。

働かない男性に愛想のつきた母親は、私を連れて見知らぬ街に離れた。それが現在も住んでいるところ。

出て行く日、男性と別れるのが嫌で嫌で…悲しくて、泣きじゃくったのを覚えている。

『何かあったら電話するんだよ』と紙を手の平に押し込まれたが、サッサと振り向かずに歩く母親…

もう一緒にいられないんだと思うと、次から次へと涙が溢れてくる。
母親に手をひっぱられながら、歩くのがやっとだった。