規律について | 真実の結晶

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あなたはもともとパーフェクトだと言うことを♪

あなたは(家庭や社会の中で)規則を作り、それに従って生きている人が多いのではないかと思います。また、これをグルと弟子の関係についてOsho講話がありましたのでシャアします。少し長いですが読んでみて下さい。


質問者:創造性と規律について、なにか話していただけますか?

Osho:「規律」は美しい言葉だが、それは間違って使われてきた。過去に、他のすべての美しい言葉が間違って使われてきたように。「規律
(discipline) 」という言葉は「弟子 (disciple) 」という言葉と同じ語源から来ている。この言葉の本来の意味は「学ぶプロセス」だ。学ぶ用意がある者が弟子であり、学ぶ用意をするプロセスが規律だ。知識の多い人には学ぶ用意がない。

自分は知っているとすでに考えているからだ。自分のいわゆる知識に完全にあぐらをかいている。彼の知識は、彼の自我の栄養にほかならない。彼は弟子になれないし、本当の規律を持つことができない。ソクラテスは言う、「わたしは、ひとつだけ知っている。それは、自分は知らないということだ。」これが規律の始まりだ。なにも知らなかったら、もちろん、探究、究明、解明への大きな憧れが起こってくる。そして学びはじめたとたんに、他の要素が必然的に生じてくる。学んだことを絶えず捨てていかなければならない。そうでないとそれは知識になってしまい、その知識がさらなる学びを妨げるからだ。真の規律を知る人は、けっして溜め込まない。いつの瞬間も、自分が知ったすべてのことを捨てて、再び無知になる。

この無知はじつは聡明だ。無知は聡明なりと言ったディオニュシオスに、わたしは賛成だ。聡明な無知の状態にとどまることは、この世界でいちばんすばらしい経験のひとつだ。この無知の状態にあるとき、あなたは開かれ、なにひとつさえぎるものがなく、今まさに爆発しようとしている。規律は誤解されてきた。人びとは他人に人生には規律が必要だと言って、これをしろ、あれをするなと命じてきた。人間には何千もの「べき」と「べからず」が押しつけられてきた。

だが、「べき」や「べからず」とともに生きるなら、人は創造的になることができない。彼は囚人だ。至るところで壁に行き当たる。創造的な人は、すべての「べき」と「べからず」を消し去らねばならない。彼には自由と空間が、広大な空間が必要だ。すべての大空とすべての星々が必要だ。それがあって初めて、彼の内深くの自発性が成長しはじめる。だから、覚えておくことだ。

わたしの言う規律は、十戒のようなものではない。わたしはどのような規律も与えない。わたしはただあなた方に、いかにしたら学びを保ちながら、しかも頭でっかちにならないでいられるかという、その洞察を与えているにすぎない。あなたの規律は、あなたのまさにハートから出てきたものでなければいけない。それはあなた自身のものでなければいけない。これらの違いは非常に大きい。だれかがあなたに規律を与えるとき、それはけっしてあなたに合わない。

ちょうどだれかの衣服を着るようなものだ。大きすぎるか小さすぎるかして、いつもどこかしっくり来ないと感じる。マホメットはイスラム教徒に規律を与えた。それは彼にとってはよいものだったかもしれないが、他人にとってはけっしてよいものではない。ブッダは何百万人もの仏教徒に規律を与えた。それは彼にとってはよいものだったかもしれないが、他人にとってはけっしてよいものではない。

規律は個人的な現象だ。それを借りてきたとたんに、あなたは既成の原則に、死んだ原理に従うようになる。ところが生は死んではいない。生はつねに変化しつづけている。生は絶えることのない流れだ。ヘラクレイトスは正しい。彼はこう言った、「同じ川に二度と足を踏み入れることはできない」実のところ、わたしならこう言いたい
.....一度でも同じ川に足を踏み入れることはできないと。川はあっという間に流れ去ってしまうからだ!人はそれぞれの状況とそのニュアンスによく注意して、十分に目をみはっていなければならない。

そして他人から与えられた既成の答えに従うのでなく、その瞬間に従うことで状況に対応しなければいけない。人間の愚かさがわかるだろうか?5千年前、マヌから与えられた規律に、ヒンドゥー教徒はいまだに従っている。3千年前にモーセから与えられた規律に、ユダヤ教徒はいまだに従っている。5千年前にアディナタから与えられた規律に、ジャイナ教徒はいまだに従っている。全世界がこういった規律によって狂気に追いやられている!それは時代後れであり、とっくの昔に葬り去られてしかるべきだった。あなた方は死体を持ち運んでいる。それらの死体は腐臭を放っている。そして死体に囲まれて暮らすとき、どんな生を送ることができるだろうか?

わたしはこの瞬間を、この瞬間の自由を、この瞬間の責任を教える。この瞬間にはあることが正しくても、次の瞬間にはそれは間違ったものになってしまうかもしれない。首尾一貫しようとしてはいけない。さもないと、あなたは死んだようになってしまう。死んだ人たちだけが首尾一貫している。生きていようとしなさい。生きていることのあらゆる矛盾を抱えながら。そして過去を振り返ることなく、また未来を見越すこともなく、それぞれ瞬間を生きなさい。この瞬間という状況のなかで瞬間を生きるなら、あなたの責任はトータルなものとなるだろう。そして、このトータルさには美しさがある。このトータルさは創造性にほかならない。そのとき、あなたのするすべてのことは独特の美しさを持つようになる。
Osho - The Goose is Out

どうでしたか?今この瞬間を生きるということの重要性がわかりましたか!そして、昔に作った規律や規則は意味がないことに気づきましたか?仏陀はその人に合った時期に規則というより、その人が覚醒に一番早く気づけるための教えを解きます。そして、それがルールと捉えるかもしれませんが仏陀にはそんなジャッジはありません。仏陀はその人が1秒でも早く悟ってもらいたい一心なのです。あなたのグルはあなたにどう接していますか?まだ古い規則に囚われていますか?よくみて感じてみて下さいね♪


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